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5-2

 翌朝、教室に入っても理央の姿はない。クラスメイトの視線を感じながら、自分の席につく。


 結局理央は、朝礼のギリギリにやってきた。教室に入ってきた理央を目で追うと、バチっと一瞬目が合った。けれども次の瞬間、すぐに目を逸らされた。

いつもは休み時間になる度に、どちらかの席に言って雑談していた。今は休み時間になっても、理央は私に声を掛けてこない。明らかに理央に避けられながら、一人で一日を過ごしていた。


 理央から避けられる日々が続いた。そして理央は私以外の子と話したり、お昼を食べるようになった。理央みたいに社交性がない私は、一人で時間を過ごしている。理央が隣にいない学校生活は、ひどく長く、退屈に感じた。



 帰り道、電車を降りると駅に制服をピシッと着こなしている黒川君が前を歩いていた。

黒川君に対して、ずっと疑問に思っていたことがあった。話すチャンスは今しかないと思った。


「く、ろかわくん」


 後ろから名前を呼んで、声を掛ける。

私の声を聞いて、少し驚いた表情をして振り返った。


「黒川君に聞きたいことがあって。今、良いかな。」


 学校から少し離れた私たちの最寄駅は、同じ高校の利用者が少ない。ここなら多分、誰にも見られずに話せるだろうと思った。


「聞きたいことって何?」


 いつも表情をあまり崩さない黒川君が、少し戸惑った顔をしている。滅多に、いや高校に入って黒川君に私から声を掛けたのは初めてかもしれない。


「……私と付き合っていたこと、誰かに話した?」


 理央がどうして黒川君の話を知ったのか、聞くことはできなかった。でも理央の言い方では、黒川君が確かに私との交際の過去を認めたような口ぶりだった。これ以上噂を広めないためにも、黒川君には口止めをする必要がある。


 私の質問に対して、あぁ、そういえばと黒川君は口にする。


「クラスの女子に聞かれたんだよ、詩織と付き合っていたかって」

「だから正直に話したよ。詩織と付き合ってたこと」


 呆気からんとした態度に、言葉を失った。私がどういう思いで、黒川君に他人の振りをお願いしたのか。わかってもらおうなんて思ってはいないけど、微塵も伝わっていない現実に、頭がぼうとしてくる。


「……どうして言っちゃったの」

「どうして、って。別に嘘つく必要ないだろ」


 黒川君の真っ直ぐで、正直なところが好きだ。姑息なことを考えない。だからこそ、自分のずるい部分が錆のように出ていくようで嫌になる。


「ただ、こんな風に噂になるのは予想外だった」


 黙っていれば、過去のことなんて他人に気づかれないのに。


「黒川君が嘘をつく必要がないと思っているように、私はわざわざ言わなくても良いと思ってる。噂話で広められるなら尚更だよ。」

「じゃあ、詩織はどうして俺と付き合っていたこと、無かったことにしようとするんだよ」

「無かったことにしようなんて思っていない」


 だって私は今だって、過去にできていない。好きじゃなかったら、きっと今頃黒川君みたいに、元カレだよ、もう過去のことだって堂々と言えるはずだ。

 そんな私とは違って、過去のことだと受け入れられている黒川君の言葉が、引き摺っている私をズタズタにしていく。


「嘘だろ。話しかけるな、連絡とるなって。俺を断ち切ろうとしたのは詩織だろ?!」

「それはー……」


 その後の言葉を言おうとして、飲み込んだ。私はまだ貴方が好きで、私を好きじゃない黒川君を見るのが辛いから、なんて言ったら困らせるだけだ。

「何か言いたいことがあるならー」


 急に黙った私に不満があるのだろう。いつも冷静な黒川君が、珍しく責めるように話す。初めてみる黒川君の姿に、少しだけ怖いと思ってしまった。


「ーーもう、いい。」

 

 黒川君は諦めたように息をつく。


「詩織が嫌なら、付き合っていたことはもう言わないから。それで良いんだろ」


 ーーそうだ、それで良い。私が望んでいた言葉なのに、胸の中でモヤモヤが生まれる。黒川君を責めたいわけじゃなかった。

 だけど黒川君と私の気持ちの違いが悲しくて、黒川君を悪者にしてしまった。


 自分のことが嫌になる。自分が傷つかないようにしようとするほど、理央や黒川君を困らせてしまう。だけど傷つく勇気や度胸は、今の私にはなかった。もうどうすれば正解なのか、私にはさっぱりわからない。



「早見さん、これもう返却作業終わっているやつ」

「あ、ホントだ」

「早見さん、珍しく今日はぼーっとしているね」


 今日は図書委員の日だ。普段ならしないミスを今日は何度もしてしまっている。


 理央とは仲直りできる機会がなさそうだし、黒川君とも口喧嘩のようなことになってしまった。上手くいかない現実と、まさに今瀬戸君に迷惑をかけてしまった自己嫌悪で大きなため息が自然に溢れた。


「めっちゃため息ついているじゃん」

「うん……。あ、ごめん」

 せっかく瀬戸君が場を和ませてくれようとしていたのに、無意識に相槌を打っていた。


「いーよ、いーよ。そんな日もある」

「わ…!」


 瀬戸君の声が、直接鼓膜を震わせた。いつの間にか私の背後に来ていたらしい。驚いて振り向くと、数センチ先に瀬戸君の顔がある。目の前の彼はしてやったりな顔で笑っている。


「もう……びっくりした」

「だって全然こっち向いてくれないし」


 瀬戸君は近くに置いてある台車から、本を運んでいく。私も遅れないようにと、手元の作業に意識を戻す。


「何かあったんだ?」

「いや、別に…」


 委員会が一緒なだけの瀬戸君には話すことじゃないと思った。特に、黒川君の親友である瀬戸君には。


「嘘つき。ため息そんなついてて、何もないわけないでしょ」

「でも、くだらないことだし」

「目真っ赤になるぐらい泣くなんて、くだらなくないだろ」


 そうだ。私にとっては、全然そんなことなかった。少しでもそのことを理解してくれたことが、私の涙腺を熱くした。


「実は…友達に隠しごとしてたのがバレちゃって。それで友達と喧嘩しちゃったんだ」


 瀬戸君は作業を止めて、近くにあった椅子に座り直す。真剣に話を聞いてくれることがわかった。


「……なんかさ」


 普段より少し、落ち着いた重みのある声で瀬戸君は話し始める。いつものタンポポの綿のような、ふわふわとした話し方とは違った。


「自分が大事だと思っている人ほど、知られたくないことってあるよな。その人が本当のことを知ったら、自分のことを嫌ってしまうんじゃないかって怖くなるというか。」


 瀬戸君が言うことは、私のことを見透かしているような言葉だった。


「でもそれって、結局は自分のことばかり守ってさ。相手はもしかしたら寂しいのかもしれないじゃん」


 何かを思い出したのだろうか。瀬戸君は力無く笑ってそう言った。


「さ、みしい?」

 そんな風に考えたことなかった。


「うん。こんなに一緒に過ごしているのになんで言ってくれないんだって。信頼されてないな、とかさ」


『何でも話せる友達だって思っていたの、私だけだったんだ』

 理央が涙を流しながら言った言葉が脳裏によぎった。確かに私は、自分のことばかりだったし、自分に自信がなかった。

 地味で、特別可愛いわけでもない。取り柄のない私が、どうして黒川君の彼女だったんだって。そんな風に言われたくなくて、逃げていた。自分が傷つきたくなくて、理央のことを全然考えていなかった。


「全部話すことは難しいかもしんないけどさ。大事な人に対して、言えないことがあるってことくらいは、隠さない方が良いんじゃないかって思うよ」

「……そっか。そうだね」


 瀬戸君の言うことは、本当にその通りで。だからこそ、どうしたら良いのかわからなかった。理央を傷つけた私が、また理央に歩み寄る資格はあるのだろうか。


「仲直りしないの?」


 決心ができず黙って何も言えない私に、瀬戸君は優しい声で問いかける。


「隠し事した私が悪いから、私がそんなこと言う資格はないよ」

「じゃあ、早見さんはどうしたいの?」

「わたし?」

「仲直りしたいか、したくないか。」


 ばちっと視線が絡む。真っ直ぐ私を見つめる目は、透き通っていて綺麗な琥珀色だ。


「……もちろん仲直りしたいよ」

「じゃあ、答え出てるんじゃん。仲直りしたいなら、仲直りしたいって伝える。早見さんは、気を遣って難しく考えてるかもしんないけどさ。」


「自分がどうしたいか、それだけじゃん?」

 

 ……私がどうしたいのか。そう考えたとき、鉛のようにのしかかっていたものがふっと消えた。理央に自分の気持ちを隠さずに話そう。


「そうだね。ありがとう、瀬戸君」

「……別に」


 瀬戸君は小さな声でそういった。ベージュの髪の隙間から見えた耳が、少し赤くなっている気がする。多分それは、窓から差し込む夕日が色を染めて、そう見えたのかもしれない。


 ほんの少しだけ、私のせいだったら良いなと思ったのは内緒だ。




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