第5話 無骨な辺境伯のご依頼
その客が訪れたのは、よく晴れた朝のことだった。
扉を開けて入ってきたのは、長身の男だった。仕立てはいいが飾り気のない外套。日に焼けた精悍な顔。腰には実用一辺倒の剣。貴族というより、現役の武人という佇まいだ。
彼は店内をぐるりと見回すと、ひどく言いにくそうに口を開いた。
「……縁談の、相談に乗ってもらえると聞いた」
「ええ。ミルテ館の店主、シャルロッテと申しますわ。良きご縁を、お探しですの?」
「いや」
男は、少し目を伏せた。
「逆だ。――縁談を、断りたい」
私は、リーゼと顔を見合わせた。縁談を結んでほしい、と来る客は多い。けれど、断りたい、と来る客は珍しい。そして経験上、そういう客は、たいてい誠実だ。
「失礼ですが、お名前を」
「……グラーフェンベルク。アルノルト・フォン・グラーフェンベルクだ」
今度こそ、リーゼが小さく声をあげた。
「辺境伯さま……!」
北の国境を守る、武門の名家。王国の盾と謳われる辺境伯。その当主が、こんな小さな仲介所に、一人で。
「不調法ですまない」と、彼は無骨に頭を下げた。「だが、こういうことを、家臣には相談しづらくてな」
「どうぞ、おかけくださいませ。――それで、断りたい縁談、と申しますと?」
アルノルトは、椅子に腰を下ろすと、一枚の書面を卓に置いた。
「先月、王都から縁談が来た。相手は、モントレー公爵家の縁者だ。……断りたいのだが、断れずにいる」
モントレー公爵。
その名に、私は内心、わずかに眉を寄せた。王宮で宰相格を務める、王家の縁談利権を一手に握る大貴族。私が王家縁談台帳を任されていた頃、たびたび「ある縁談を、こう動かせ」と圧力をかけてきた人物だ。
(モントレー公の、縁者……?)
「なぜ、断れませんの?」
「この縁談には、断った場合の違約条項がついている。断れば、辺境の防衛に必要な王都からの兵糧支援を、打ち切ると。――遠回しに、そう書いてある」
私は、書面を手に取った。婚姻予約契約。なるほど、巧妙だ。表向きは穏やかな縁談の体裁を取りながら、その裏に「断れば不利益を被る」という圧力を、別紙の覚書として忍ばせてある。
「これは縁談ではございませんわね。――人質取引ですわ」
「人質?」
「あなた様の領地の安全を人質に取って、モントレー公の縁者を、辺境伯家へ送り込もうとしておりますの。婚姻を通じて、辺境伯家の決定に口を出す足がかりが欲しいのでしょう」
アルノルトの顔が、険しくなった。
「やはり、そういうことか。……俺は政略の駆け引きが苦手でな。剣を握っているほうが、よほど気楽だ」
その不器用な物言いに、私は少しだけ、おかしくなった。
「アルノルト様。剣で守れぬものを、契約で守るのが、わたくしの仕事ですわ」
私は書面を卓に広げ、条項を一つずつ検めていく。違約条項の文言。覚書の法的な弱点。婚姻と兵糧支援を結びつけることの、制度上の無理。
「ご安心くださいませ。この縁談、ほどけますわ。――兵糧支援を人質にした覚書は、王家の支援規定に照らせば、そもそも公爵個人が約束できる範囲を超えておりますの。つまり、はったりですわ」
「……はったり?」
「ええ。けれど、ほどき方を誤れば、モントレー公は別の手で報復してまいりますわ。だから――丁寧に、相手が文句を言えない形で、ほどきますの。少々、お時間をいただきますけれど」
アルノルトは、しばらく私を見つめていた。それから、ふと、ぽつりと言った。
「……君は、誰かに似ているな」
「あら」
「いや。すまない。昔――母も、よく契約書を読んでいた。父が結んだ不利な婚姻契約に、一人で泣いていたのを、覚えている」
私は、手を止めた。
不利な婚姻契約に、泣く母。――それは、私の胸の奥にも、よく似た古い記憶がある。
「……契約は、本来、弱い者を守るためのものですわ」
気づけば、そう口にしていた。
「それが、強い者の道具になっているのが、許せませんの。だから、わたくしはこの仕事をしておりますのよ」
アルノルトは、少しだけ目を見開いて、そして――不器用に、笑った。
「君のやり方は、剣より静かで、剣よりずっと鋭いな」
その言葉が、なぜだか、長く胸に残った。
モントレー公爵。辺境伯の縁談。母の、契約。
まだ繋がらない糸が、私の周りで、静かに撚り合わさり始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
無骨で誠実な辺境伯アルノルト、登場です。そして、彼の縁談の向こうに、あの名前――モントレー公爵の影が。
シャルロッテの過去にも、何やら因縁がありそうですわ。次話、今度は「偽りの良縁」を見破ります。ブックマーク・評価、お待ちしておりますわね。




