第4話 縁談には、相場がございますの
リーゼの一件が片づいてから、ミルテ館の評判は、町の中で静かに広がっていった。
「あの仲介所は、契約書を読んでくれる」。たったそれだけの噂が、こんなにも人を呼ぶとは。私自身、少し意外だった。
貴族にとって縁談は、家と家の取引だ。けれど取引であるはずなのに、当事者たちはたいてい、相場を知らない。言い値で持参金を積み、言い値で娘を出し、後になって「こんなはずでは」と泣く。
「リーゼ。これが、わたくしの相場帳ですわ」
私は、分厚い手帳を卓に置いた。王都にいた頃から、こつこつと書き溜めてきたものだ。家門ごとの婚姻履歴、持参金の標準額、地方ごとの慣習。縁談台帳には載らない、生きた数字の記録。
「すごい……こんなに」
「縁談の相談を受けたら、まずこれと照らし合わせますの。提示された条件が、相場に対して高いか安いか。安すぎる縁談には裏があり、高すぎる縁談にも、また裏がございますわ」
その日の午後、新しい客が訪れた。
仕立てのいい、けれどどこか草臥れた外套を着た、初老の紳士。没落しかけた子爵家の当主、ドラン子爵と名乗った。
「娘の縁談で、相談がある。……恥を忍んで言うが、我が家はもう、長くない。借財がかさみ、領地も半分手放した。せめて娘だけは、まともな家へ嫁がせてやりたいのだ」
「縁談の話は、来ておりますの?」
「ああ。それが――妙に、良すぎる話でな」
ドラン子爵が差し出した書面を、私は相場帳と並べて読んだ。
相手は、新興の商家。爵位はないが、財はある。提示された条件は――没落子爵家の娘を迎えるにしては、破格に手厚い。持参金は一切不要。むしろ、子爵家へ支度金まで出すという。
「これは……」と、リーゼが横から覗き込む。「良い話、ですよね? 持参金が要らなくて、お金までもらえるなんて」
「リーゼ。さっき申し上げたでしょう。安すぎる縁談には裏があり――」
「高すぎる縁談にも、裏がある……」
「ええ。そして、これは“高すぎる”ほうですわ」
私は、書面のある一行を指した。
「ここ。『婚姻後、子爵家の家名と紋章の使用権を、商家へ譲渡する』。――ドラン子爵。この縁談、娘御を欲しいのではございませんわ。あなたの“家名”が欲しいんですの」
子爵が、息を呑んだ。
「家名……?」
「新興の商家にとって、古い貴族の家名と紋章は、何より欲しいもの。それさえ手に入れば、商売の信用が跳ね上がりますわ。支度金は、その対価。――娘御は、家名を運ぶための、ただの“付属品”として扱われますの」
手厚い条件の裏に隠された、本当の取引。良縁の顔をした、買収。
「では……断るしか、ないのか。だが、この話を逃せば、もう娘に縁談など」
「いいえ。断る必要は、ございませんわ」
私は、微笑んだ。
「家名が欲しいなら、家名に正当な値をつければよろしいの。そして――娘御を“付属品”ではなく、“当主”として扱う条項を入れますわ」
私は紙を取り、新しい条項を書き起こしていく。家名使用権には相応の対価を。娘は嫁ぐのではなく、商家と子爵家をつなぐ共同経営者として遇すること。家名の使用には子爵家の承認を要すること。
「これなら、商家は信用を得て、子爵家は財を得て、娘御は“物”ではなく“人”として遇されますわ。三方、損のない取引に組み直すんですの」
数日後、商家はこの条項を呑んだ。家名を安く買い叩くより、正当な対価で堂々と手に入れるほうが、商売の信用になると理解したのだ。
ドラン子爵は、深々と頭を下げた。
「縁談とは、勝つか負けるかだとばかり……。組み直す、という道があったとは」
「縁談は、戦ではございませんわ。取引ですもの。――誰も泣かない取引が、一番、長く続きますの」
その夜、私は相場帳に新しい一行を書き足した。
ミルテ館の評判は、また少し、遠くへ広がっていく。
その評判が、やがて辺境のとある武人の耳に届くことを、このときの私は、まだ知らなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
シャルロッテのお仕事は、ざまぁだけではございませんの。誰も泣かない取引へと、縁談を組み直す。これが彼女の流儀です。
次話、ミルテ館に、ちょっと変わったお客様が。無骨で口下手な、辺境伯さま――ブックマーク・評価で続きをお待ちくださいませ。




