第2話 追放令嬢、ミルテ館を開きますわ
王都の城門を抜けると、空気が変わった。
舗装の荒れた街道。冬の名残を含んだ風。馬車の揺れが、これまでの暮らしとの別れを、静かに告げている。
追放、と人は言う。けれど私は、それを悲劇とは思っていなかった。
(むしろ――ようやく、自由ですわね)
王都を遠く離れた辺境の町、レーヴェリト。交易路の途中にある、小さいけれど活気のある町だ。馬車を降りると、見覚えのある人影が、宿の前で待っていた。
白髪を結い上げた、品のいい老婦人。
「マダム・ロザリー」
「まあ、まあ。本当にいらしたのねえ、シャルロッテお嬢様」
彼女は王宮で長く王家縁談係を務めた人だ。私が幼い頃、王妃教育の一環として縁談台帳の読み方を仕込んでくれた、私の恩師でもある。数年前に引退し、この町に居を構えていた。
「手紙をいただいたときは、目を疑いましたよ。『追放されたので、そちらへ参ります』だなんて」
「ご迷惑でしたかしら」
「とんでもない。――ただ、お嬢様。本当によろしいので? あなたは、この国の縁談を、誰よりご存じの方ですよ。それを、こんな田舎で」
私は、宿の向かいにある小さな空き家を見上げた。古いけれど、日当たりのいい一軒家。窓辺には、白い花をつけた低木が植わっている。
「あれは、ミルテですわね」
「ええ。花嫁の花。前の持ち主が植えていったものですよ」
「では、ちょうどよろしいわ」
私は微笑んだ。
「ここで、縁談仲介所を開きますの。名は――『ミルテ館』」
ロザリーが、ぽかんと口を開けた。
「縁談、仲介所?」
「ええ。王都の貴族は、縁談を『家と家の取引』だと思っておりますわ。けれど取引である以上、契約には条項があり、相場があり、騙し騙される余地がございます。――わたくしは、それを全部、存じておりますの」
婚姻契約の読み方。持参金の相場。違約金の設計。良縁と悪縁を見分ける目。王家縁談係としての八年間が、私の中にすべて残っている。地位は失っても、知識は奪われない。
「不幸な縁談に泣く人を、減らしますわ。それが、わたくしにできる仕事ですもの」
ロザリーは、しばらく私を見つめてから、ふっと目尻を緩めた。
「……相変わらず、おやさしい。いいでしょう。この婆も、お手伝いいたしますよ」
こうして、ミルテ館は開いた。
看板を出して、三日。客は一人も来なかった。
そして四日目の夕暮れ。
扉が、おずおずと叩かれた。
「あの……ここ、縁談の、相談に乗ってくださるって……本当、ですか」
立っていたのは、十六、七ばかりの少女だった。質素な外套。けれど仕立ては悪くない。落ちぶれかけた家の娘、という風情だ。
泣き腫らした目で、彼女は震える声で言った。
「わたし、来週――顔も知らない人に、嫁がされるんです。父が、借金のかたに、わたしを」
「……お名前は?」
「リーゼ、です。リーゼ・コルトー」
私は、彼女を椅子に座らせ、温かいお茶を出した。
「リーゼ。泣かなくてよろしいわ」
そして、静かに告げた。
「その縁談の契約書、お持ちかしら。――まずは、一緒に拝見いたしましょう。契約は、弱い者の盾にもなりますの。使い方さえ、知っていれば」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
辺境の町に、ちいさな縁談仲介所「ミルテ館」が開きました。そして最初のお客様は、売られかけた少女。
次話、いよいよシャルロッテの初仕事。「その婚姻契約、違約金はどなたが払いますの?」――ブックマーク・評価で続きをお待ちいただけると嬉しいですわ。




