9 エルドランの忠誠・愉快だ
「私は爵位や官職が欲しいわけではないのです。ただ大好きな研究がしたいだけなのですよ。……そして、王女殿下の期待に応えることが、とても嬉しいのです……伯爵なんて恐れ多いですし、農業大臣なんて到底無理です。私が仕えたいのは王女殿下なのですよ」
エルドランは焦った口調で辞退を口にした。
わたくしは、欲のないエルドランを好ましく思いながらも、拒むことは許さなかった。
「どうか農業大臣になって、野菜や穀物でも同じことができるかを、責任を持って試してほしいのです。爵位と官職は、エスティナ王国がエルドランを歓迎し、ずっといてほしいという意味なのですわ。もっと強く、もっと幸せな国にしたいの。そのために、あなたの力を貸してちょうだい。これはわたくしの命令ですし、あなたの主は変わりませんわ 」
エルドランは嬉しそうにわたくしを見つめ、少しも迷わずその場に片膝をついた。まるで騎士が主君に忠誠を誓うように、深く頭を垂れる。
「王女殿下のご命令なら、喜んで。このエルドラン、騎士ではありませんが、永遠の忠誠をお誓いしましょう。我が主は王女殿下のみ、でございます。そして、王女殿下が望むことなら尽力してみせましょう」
その声には揺るぎない決意が込められていた。
前世では帝国に利用され、悪辣な皇帝を作り出した才能。
けれど今世では違う。
エルドランはエスティナ王国のためだけに力を振るうのだ。
林檎園から始まった小さな奇跡は、やがて王国全土を巻き込む大事業へと発展していった。
野菜の試験栽培が始まり、穀物への応用研究も進められる。
最初は半信半疑だった農夫たちも、実際に収穫量が増える可能性を目の当たりにすると考えを改めた。
そして人々は口々に語るようになる。
「グローリア王女殿下は先見の明があるのでは?」
「グローリア王女殿下は奇蹟を呼ぶ。あの年齢であれほどの人物を見抜くとは、生まれながらの統治者だ」
その声は少しずつ広がり、やがて王国中へと広がっていった。
◆◇◆
「なんだと? エスティナ王国が王女の林檎園を成功させただと? まさか本当に実現したというのか!」
皇帝の怒声が玉座の間に響いた。
俺はいつものように玉座の一段下に控え、そのやり取りを静かに聞いていた。
「事実にございます。林檎だけではありません。すでに野菜や穀物にも研究は広がり、驚異的な収穫量が期待されております。季節を問わず作物が育ち、天候にもほとんど左右されないとか。エスティナ王国では食糧難という言葉そのものが、消えることでしょう」
密偵の男は緊張した面持ちで言った。肩口から先のない右袖が、ぶらりと垂れていた。
「うるさい! お前の見解など聞いておらんわ」
皇帝は吐き捨てた。
「しかし私は実際にこの目で確認しました。林檎の成長速度は通常よりかなり早く、その大きさはおよそ二倍。まさに奇跡と呼ぶべきものかと。忍び込むことには成功しましたが、利き手を失いました。あそこから無事に生きて帰れたこと自体が奇跡です。王女を守る近衛騎士は精鋭揃いですし、研究者には大勢の護衛がついています」
「ああ、そうだろうな。多分、わざと殺さなかったんだろう。二度と密偵を寄こすな、というメッセージだ」
皇帝は忌々しそうに顔を歪めた。
ただでさえ豊かな国だったエスティナ王国は、その技術によってさらに巨大な力を手に入れつつあった。
しかも、その発明を成し遂げた研究者は、王女に絶対の忠誠を誓っているという。
(今や最も価値があるのは、技術そのものばかりではない。それを見出したグローリア王女が凄い、という評価だ)
俺が感じたことを皇帝も思ったようだ。
「待てよ。その王女……本当にただの子供か? 最初から国を豊かにするつもりで動いていたのではないのか? 愚かな娘どころか、とんでもない天才かもしれん」
玉座の間が静まり返った。
「買いかぶりすぎですよ、父上。どうせ偶然です。ただの食い意地の張った女の子です」
不機嫌そうに口を開いたのは第一王子だった。
その声音には嫉妬が滲んでいた。彼は自分以外の者が褒められることを嫌う。
「偶然であれ何であれ、結果は結果ですよ。エスティナ王国は、これから大陸一番の豊かな国になるでしょう。私としては、その王女の婚約者になりたいですね」
今度は第二王子が肩をすくめた。
「何だと? 男のくせに情けないことを言うな! お前は余の息子なのだぞ!」
「だって、私は第二王子ですからね。帝位継承権では兄上に及びませんし、エスティナ王国ならもっと贅沢ができそうだ」
早くも将来の身の振り方を考えているあたり、第二皇子らしかった。
俺はその会話を他人事のように聞いていた。
仮に王女が婿を探していたとしても、自分が候補になることなどあり得ない。
天地がひっくり返ったとしても。
その半年後、大陸は未曾有の凶作に見舞われた。
雨が降らず畑が干上がる国や、長雨によって麦が腐る国。
夏になっても冷たい雪が降り続ける国まであった。
各国は次々と食糧不足へ追い込まれていき、もちろんグランツェ帝国も深刻な食糧難に直面した。
そこで皇帝は騎士の一人を呼びつけ命じた。
「エスティナ王国に使者として行くのだ。『グランツェ帝国は貴国との食料取引を求める。対価は多めに支払うゆえ、速やかに手配されたし。ここで我が国を助ければ、有事の際にはこちらもエスティナ王国を救うであろう』と伝えろ! 必要量は書類にて示すのだ」
やがて使者が戻り、返答を伝えた。
「グローリア王女殿下がおっしゃったことをお伝えします。『自ら帝国に赴き、取引をして良い相手がどうかを見極める』とのことでございます。王女殿下は将来エスティナ王国を継ぐ女王であり、王配に相応しい相手を婚約者にしようと探していらっしゃるそうです。『グランツェ帝国の皇子達にも会いたいので、丁重にもてなすように』ともおっしゃいました」
俺は笑いをかみ殺すのに必死だった。助けてもらう立場の皇帝があんな不遜な言葉を使者に言わせたのだ。返ってきた返答は『お前よりわたくしのほうが格上だ! お前の息子を品定めしてやろう』と正面から言っている。笑える。
「そんな小娘に頭を下げるのか! 忌々しいとはこのことよ。食料が欲しければ機嫌を取れ。婚約者に選んでほしければ媚びろとでも言うつもりか! 我がグランツェ帝国も舐められたものだ!」
皇帝は屈辱で歯ぎしりをした。
「父上、絶対にその王女に逆らわないでください。私は気に入られて、せいぜい婚約者にしてもらえるよう頑張ります。できれば綺麗な子だといいんですがね。ですがこの際、そうでなくても我慢してあげることにします」
第二皇子は、自分がさも選ばれると思い込んでいるかのように、鷹揚に笑った。
一方で俺は、その騒ぎをどこか遠く感じながらも、愉快な気分でいた。
大嫌いな皇帝とその息子達が、俺よりも年下の王女に振り回されている。
愉快だ。
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◆◇◆で視点がアンドレアスに変わっています。




