8 ついに完成
諸外国で、わたくしの林檎園が笑い話になっているとも知らず、王女宮の奥では着々と準備が進められていた。
わたくしの住まう宮の敷地内に、かなりの規模の林檎園と研究棟が造られた。外は高い塀と近衛騎士たちに守られ、許可のない者は近づくこともできない。
お父様は、わたくしの大切な林檎園を守るためだと言って、宮を警備する近衛騎士とは別に、専属の騎士までつけてくださった。
もちろん、本当に守りたいのは林檎ではなく、未来でグランツェ帝国に莫大な富をもたらすはずだったエルドラン・サイムズだ。
エルドランの研究は、決して一から始まったものではない。
彼は何年も前から、作物の成長と土壌の力を結びつける理論を追い続けていた。
持ち込まれた研究帳には、薬品の配合、土の性質、水分量、日照、果実の甘みや香りに関する記録が、細かな文字でびっしりと書き込まれていた。
けれど、彼にはそれを確かめるだけの場所も、資金も、人手もなかった。
誰にも信じられず、笑われ、追い払われ、奇人と呼ばれながら、それでも彼は研究を捨てなかった。あと少し。あと一歩。その最後の一歩を踏み出すための環境だけが、彼には足りなかったと言う。
王女宮の奥に与えられた林檎園と研究棟は、エルドランにとって初めて手にした、まともな実験環境だったらしい。
「これほどの場所を、私に……与えてくださるのですか? なんという感激!」
初めて研究棟へ案内された日、エルドランは震える声でそう呟いた。
「ええ。必要な試薬も、土も、人手も、できる限り揃えますわ。だから、エルドラン。あなたは研究にだけ集中してくださいませ」
「王女殿下……なんとありがたいお言葉を……」
「あなたは必ず、わたくしの望む林檎を作ってくださいます。わたくしは、そう信じていますわ」
未来を知っているわたくしにとって、それは励ましではなく事実だった。
けれど、エルドランにとっては違う。誰にも信じてもらえなかった彼にとって、わたくしの言葉は、暗い研究室に差し込む一筋の光だったのだ。
もちろん、研究は順調一辺倒ではなかった。
生成した薬品の濃度、配合、与える時期によって、木に負担がかかり枯れてしまったり、果実は大きくなっても美味しくなかったり。
どんな畑でも、どんな天候でも、作物そのものが本来の美味しさを保ちながらも力強く育たなければ、成功とは言えない。
ある日、試験区画を視察していたわたくしは、収穫された林檎を手にしたエルドランに呼び止められた。
「王女殿下。前回より実は二倍ほど大きくなりました。ですが、味と実り方にまだばらつきがございます」
エルドランは少し自信をなくしかけているようで、ため息をついた。
「大丈夫。あなたなら、きっとできますわ。自分を信じてくださいませ! 失敗は成功のもと、ですわ!」
力強く励ますと、エルドランは胸に手を当て、深く頭を下げた。
「王女殿下がそう信じてくださるなら、私は何度でも試しましょう。必ずや、ご期待に応えてみせます」
そして、わたくしが八歳を迎えた年。
林檎園の木々に、二倍の大きな実がたわわになった。陽を浴びると赤い果皮が艶やかに輝き、近づくだけで甘い香りが漂ってくる。
エルドランは震える手で、その林檎をひとつ枝からもいだ。
ナイフを入れると、白い果肉から蜜がにじんだ。
「王女殿下……できました。あなた様が信じてくださったお陰でございます」
彼の声は涙でかすれていた。
わたくしの林檎園には、いくつもの試験区画が設けられていた。
水を極端に制限し、干ばつを想定した区画。
反対に、長雨で土が水を含みすぎた状態を再現した区画。
そして通常通りに育てた区画。
そのすべてで、エルドランの成長促進剤を使った林檎の木は実をつけた。
味も香りも損なわず、天候が崩れても収穫量は変わらない。しかもその成長は通常よりかなり早い。
これこそが、前世でグランツェ帝国に莫大な富をもたらした、奇蹟の成長促進剤だ。
わたくしは、その林檎を見つめた。
天候に左右されないということは、薬剤を与える時期をずらせば、林檎園全体で収穫の時期を調整できる。
一年中、甘くて美味しい林檎を収穫できるのだ。
それは、まさに夢のような発明だった。
「エルドラン、すごいですわ! あなたなら、必ずできると信じていましたわ」
「王女殿下……はい、あなた様が信じてくださったから、できたことです! 全ては王女殿下のお陰なのです」
わたくしとエルドランは、思わず手を取り合って喜んだ。
お父様とお母様は、信じられないものを見るように、しばらく林檎とエルドランを見比べていた。
幼い娘の可愛らしいわがままから始まった林檎園。
最初は、子供の気まぐれを叶えるための、小さな試みにすぎなかったはずだ。
けれど今、目の前にある真っ赤な林檎は、その考えが間違いだったのだと雄弁に告げていた。
天候に左右されず、季節さえも選ばず、収穫の時期をずらすことができる。
それは、ただ美味しい林檎が実ったというだけの話ではない。
飢饉を遠ざけ、民の食卓を守り、国そのものを豊かにする力だった。
「これは……林檎だけで終わらせてよいものではないな。無限の可能性を秘める農業革命、世界の勢力図が変わるほど……」
お父様はそう呟くと、すぐにエルドランに向き直った。
「エルドラン・サイムズよ」
「はっ」
「その功績、王国の歴史に刻むに値する。よって余は、そなたに爵位と正式な官職、相応の年俸を与えるものとする。今より、サイムズ伯爵と名乗り、農業大臣に任ずる!」
「お、お待ちください!」
エルドランは真っ青な顔で叫ぶ一方で、わたくしはアンドレアスを、やっと助けにいけると、ワクワクしていた。




