7 俺は皇子扱いされていない(sideアンドレアス)
グランツェ帝国皇宮。
俺は玉座の脇に控えていた。もっとも、正当な第三皇子としてそこに立つことを許されていたわけではない。
皇帝の玉座は黒大理石の階段を三段上がった先にあり、背後には金糸で帝国の紋章が縫い取られた緞帳が垂れている。左右には武装した近衛騎士が並び、微動だにしない。
俺の居場所はその一段下だった。侍従たちの列に混じり、皇帝へ差し出される紅茶や献上品を真っ先に受け取る場所だ。
紅茶に毒が入っていれば俺が先に飲み、献上品に細工があれば俺が先に怪我をする。それが俺に与えられた役目だった。
第一皇子は皇妃の隣に置かれた椅子にゆったりと腰かけ、金糸の刺繍が施された上着を着ていた。母親譲りの淡い金髪を整え、いかにも自分が帝国の正統な後継者であると信じて疑わない傲慢な顔をしていた。
第二皇子は、その隣で背筋を伸ばして座っていた。第一皇子ほど尊大ではないが、整った顔にはどこか人を値踏みするような意地悪さがあり、俺を見る目には蔑みの色しかなかった。
二人には侍従や専属侍女がつき、菓子を載せた銀皿まで用意されているが、もちろん俺にそんなものはなかった。
黒大理石の床に膝をついた密偵が、淡々と報告をしていた。
「エスティナ王国では、グローリア王女の六歳の誕生日祝いとして林檎園を造る計画が進められております。研究者を国内外から募り、先日、エルドラン・サイムズという放浪者を採用しました」
「林檎園?」
皇帝が、退屈そうに眉を上げた。
豊かな金髪の上には、黄金の帝冠が載っている。宝石をいくつも飾ったそれは、見るからに重たげだった。背は高くなく、玉座に沈み込むような体つきで、贅を尽くした衣装を纏っている。人の弱みを見つけ、利用できるものは何でも利用し、不要になれば平然と切り捨てる。そんな冷たさが、濁った瞳の奥に宿っていた。
俺の黒髪と赤い瞳や顔立ちは、皇帝ではなく母親譲りだった。母は宮廷でも目を引くほど美しいメイドだった。 皇帝は気まぐれに手を出した。母に子供ができたことを知ったときは、喜ぶどころか殴られたと聞いている。 俺が母のことを思い出している一方で、エスティナ王国の王女の話は続けられていた。
「はい。王女は、林檎を一年中食べたいと望んでいるとか。どんな悪天候でも実るような方法を研究する者を探していたようです」
玉座の周囲に、かすかな笑いが広がった。
「愚かな幼子ですわね。そんな魔法のようなことが、できるはずがございませんわ」 皇妃が、扇で口元を隠しながら笑った。白い指には宝石の指輪がいくつも輝いている。母の細く荒れた指とは、まるで違っていた。
「平和ぼけした国なのでしょう」
第一皇子が馬鹿にしたような口調で言う。
「林檎のために浮浪者を雇うとは、変わった国ですね」
第二皇子が首を傾げ、皇帝もまた、低く笑った。
「エスティナの王女は、ずいぶん愚か者なのだな。いや、エスティナ王が甘やかしすぎなのか……どちらも馬鹿者だ。跡継ぎ王女というのに、なんとも残念な子よ」
皇帝一家が笑う中、俺も心の中では苦笑していた。
大きな林檎を一年中食べたい。そんなことを口にできる王女は、俺とは別世界の人間だ。笑われることも、邪険にされることもなく、国王である父親がその願いを叶えようとしてくれる。林檎園を造り、人を集め、大金を使い、国中に知らせてくれる。それは、俺にとってはおよそ現実離れした夢物語だった。
母は宮の奥で病に伏せている。俺は皇帝から、何度もこう言われていた。
「お前が余に逆らえば、容赦なくお前の母親を殺す。元々、何の愛情もない女だ。お前のことも、余の子とは思っておらん」
その言葉を聞くたび、痩せ細ったなんの後ろ盾もない母を思い出す。俺が皇帝の命令に逆らえば、母は間違いなくその日のうちに殺されるのだろう。そう考えるだけで、指先が冷たくなった。だから俺は従うしかない。
盾として立ち、毒味役として茶を受け取り、皇帝の言葉に頷くしかないのだ。
皇帝はふと、俺へ視線を向けた。
「アンドレアス」
「はい、陛下」
「覚えておけ。国を滅ぼすのは、敵の剣だけではない。子に甘すぎる王、無駄な浪費。そういうものが国を内側から腐らせる」
「承知いたしました」
俺は短く答え、深く頭を垂れた。
(自分の愚かさは見えていないのか……)
第一皇子や第二皇子は、十分すぎるほど甘やかされているように見える。欲しがれば、宝石を散りばめた短剣も、異国から取り寄せた珍しい玩具も、すぐに与えられる。第一皇子が気まぐれに飼いたいと言った珍獣のために、宮の一角に檻が作られたこともあった。銀皿には、食べきれないほどの菓子や果物が並ぶ。彼らが半分も口をつけずに残しても、誰も咎めない。
俺の母の薬代は渋られるのに、彼らの退屈を紛らわせるための金は惜しまれない。 だが、それを口にすることは許されない。疑問を抱くことも、表に出してはならない。皇帝は密偵に向き直った。
「エスティナ王国の監視は続けろ。幼子の戯れなどはどうでもよい。もっと大事件が起きたら知らせるのだ」
「はっ」
密偵が頭を垂れる。
それきり、林檎園の話は終わった。
皇帝にとっては、幼い王女のくだらない戯れ。
第一皇子や第二皇子にとっては、退屈しのぎの笑い話。
だが、俺の耳にはなぜかその名だけが残った。
グローリア王女。
大きな林檎を夢見る、愚かな王女。
(他国から笑われていることを、その王女は知っているのかな? きっと甘やかされて育った我が儘王女なんだろうな……)
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※次はグローリア視点に戻ります。エルドランの実、ついに完成です!




