7.八日の剰余
ペーシン40 - 悪魔15……終わったゲームが放置され、テニスコートには誰もいなかった。
ここでの今の流行りは、川辺に並んで座り、お隣の相手にトリビアを自慢することだった。
初めはワンピース姿の女の子から、サスペンダー付きの男の子に仕掛けた。
「ねえねえ知ってる? なんで一年は365日でしょうか」
男の子は知らなかったので正直に首を振った。
女の子はすでに勝ち誇ったように言う。
「ふふーん、じゃあ教えてあげる。あのね、365日を1週間の7日で割り算すると、52日とあまり1日。このあまり1日が大切で、1日余っちゃうと気持ち悪いでしょ。だからみんなも暦も次の年に仕方なく次に進むの。でもどうせまた1日余っちゃうのにね。だから再来年も再々来年も再々々来年もずぅっと、サササササって続くの。変だよね」
「へえ」とクールに男の子。ちょっとしたイジワルを思いつき、実行する。
「じゃあうるう年って何?」
「うるう年?」
「たまに一日多くなるでしょ。あれは何のためにあるの? もしかして、あまり2じゃないと次に動きたがらない誰かがいるとか?」
「えっと……」
女の子はどう答えたものか悩んだ。悩んだ末に、そもそものトリビア発信元に彼の質問を受け持ってもらうことに。
「アクマちゃん!」
彼女は以前悪魔から、『頼むからせめてこう呼んでくれ!』と泣きの注文を受けていた。もう一回、「アクマちゃん」と注文通りの名前を呼びかける。「なんで、うるう年っていうのがあるの?」
「うるう年ぃ? 何の話ぃ?」
レジャーシートに寝転がっていた悪魔は伸びた声で言い、長い爪でサングラスをずらした。
「前に教えてくれたでしょ。365日の話。どうしてあまり1をあまり2にするの?」
「うーん……知らね!」
「そんなぁ!」少女は川岸に打ちひしがれた。
彼女の身を不憫に思った悪魔は早急にかたき討ちへと出かけた。
「ったく誰だあ。オイラ愛しのガールをイジメるのはあ」
そう言って、悪魔はワザとらしい視線を男の子に注いだ。
男の子は、相手の口車に乗せられるよりも先に切り出した。
「なんだよ。別になんも言ってないよ」
「みんっなそう言うんだぜぇ」と、悪魔。「悪魔さん、知ってんぜぇ。よく見るし、よくやるし、イジメっ子の気持ちよーく分かるんだぜぇ」粘性の高い言い方をしてにじり寄り、そのデカくて黄色い目を当てて未熟者の所業をじっと観察した。
男の子はそんな地獄級の圧迫にも屈しなかった。
「知らないよっ。だいたい、今はあんたに質問が渡ってんだろ。早く答えたら」
「いや、だから、知るかて」
「あっそ、悪魔のオツムはその程度、っと」男の子は、四・四・五のリズムに合わせてサスペンダーを打ち鳴らす。
「ムッカムカ! おいガール! 何か答えて! コイツを黙らせて!」
「え! だから私分かんないって」
「クッソー……あ、あれだ! 初めはイカレタ天文学者が騒ぎだしたんだ! 科学崇拝まっしぐらの民衆がそれをアッサリ容認! うるう年が来るたび、世界中の生活は1日ずつ狂わされてるんだ!」
男の子はこの手の狂言のあしらい方、言い返し方を心得ていた。
「そうかいそうかい。あんたの話と変顔はいつもセットで面白いよ」
「ほんとだなんだぞ! いつかあまり1が無くなって暦は回転力を失うんだぞ!」
「そうよ! キキテキなのよ!」
悪魔と女の子は揃ってクマの威嚇ポーズでムカツクボーイの恐怖心を煽ろうとしたが、届かない。どんな話も涼しい顔して受け流されてしまう。そんなときだった。
**ドドドドガガガガァァァァアアン!!**
緩やかな流れの川が突然、轟音を立てて隆起し、辺りに一時的な小雨とミストを発生させた。各々が各々の反応を見せるなか、一層霧の濃い川の奥手に、一人のデカい老人の姿が見えた。腰は曲がっていない反面、綺麗に染まった白髪や白髭が伸び放題、その鋭い目つきは簡単な挨拶さえ人に、悪魔に憚らせた。みんな恐怖で動けない。
一足先に金縛りから逃れたガールが、そっと悪魔に清らかな耳打ちをした。
「ねえ、アクマちゃん。私、あのおじいさんの髪とかお髭とか、ちゃんと整えてあげたい。アクマちゃん、私どうすればいい?」
ささやかな慈悲の萌芽に心打たれ、悪魔は怖がるふりを中止、即座に願いを叶える指パッチン。エプロン、ハサミ、櫛、バリカン、鏡、ドライヤー、回転椅子にシャンプー台と、髪を整えるための道具が一通り出現する。悪魔は涙を端に溜めながら、小さな肩に手を置いた。
「床屋さんか、美容師さんになればいいよ……」映画俳優並みの**グスンッ**
「ありがと!」映画みたいなハグは無し。
女の子はさっそくエプロンを巻いて手元道具たちをポケットに収めた。回転椅子と鏡、シャンプー台を転がし、老人のもとに駆け寄っていった。
それをただ見送っているだけの男の子に悪魔が、
「お前は周りから見て的確な指示を出してやれ」
「はあ? なんで……」
「いいから行く!」悪魔は自ら案内看板に変身してまで彼にその仕事を強いた。『この先・良い子のガール理容室 バイトスタッフ急募!』
仏頂面のアシスタントが現場に加わった。
主導のガールはプロの道具に囲まれ、浮かれ気分。
「さあ、お客さん! こちらのお椅子にどうぞ!」
老人は状況が掴めなかったが、その笑みに誘導されるまま回転椅子に腰をかけた。鏡のある方へと椅子が回る。照明付きの鏡に映るのは子供っぽいドリームジョブの世界であり、それがどれだけ馬鹿みたいな絵空事であろうと周囲の協力や根負けによって夢は現実と位置をコロッと入れ替えてしまう。子供たちのやりたい放題が始まった。
「今日はどんな感じにしますか?」と、質問の常套句を披露しつつ、実は隠し持ったハサミで毛先からこっそり切り始めている。
質問に老人が答えあぐねていると、優秀なアシスタントが介入した。
「長すぎるからとりあえず短くすればいいよ」
「りょうかーい! 切りまーす!」
女の子は威勢よくバリカンを掲げた。
悪魔はどこからともなくビーチベッドを出し、寝ながら離れたところから子供たちの活躍ぶりを眺めていた。
「子供を働かせると気分がいいねえ。児童労働は監督するに限る! なあ、ペーシン?」
悪魔が同意を求めたその横には、同じメーカーのビーチベッドに寝転がるペーシンの姿があった。ペーシンは肯定も否定もせず、発色が三層に分かれたトロピカルジュースをストローで空色の二層目だけ吸い上げる。
悪魔は返事の有無など気にしない。この世はずっと悪魔のターンという思想だ。
「見てみろ。楽しそうだろ。あれがちょっと失敗したり怒られたりするとすぐ泣きだすんだ。ああ、なんて間抜け……ドジアホマヌケのメダルを金銀銅で毎日贈呈してやりたくなるぜ。一丁前に嫌がるのかなあ? なあ、ペーシン?」
ペーシンは漫画雑誌に没頭していた。
「……ちょっとは悪魔にも返事くれたっていいんだぜ?」と、悪魔。
子供たちはいつの間にか仕事を終えていた。首を尊大な角度に上げたガールが老人の手を引いて、その後ろには仕事を楽しまなかったこともない男の子がピッタリと付いてやって来た。謁見者のポジションに連れられた老人の姿は見違えて綺麗になっていた。
ペーシンは漫画雑誌を置いて立ち上がり、拍手を送った。
悪魔はビーチベッドに座ったまま、体を起こした。
「不潔でデカいじーさんから短髪のデカいじーさんにグレードアップ! やるねえ! 喧嘩っ早そう! 殴らないでー! 怖すぎよー!」
実にキマった髪型を見ると囃し立てたくなる。そんな悪魔の御前に、女の子が一歩踏み出した。
「ねえ、アクマちゃん。お願いがあるの」
「ガルルルガールゥー! オレっちとついに血の契約を交わすつもりになったって?」
「ち、違うよ! あのね、このおじいちゃんが行きたいところがあるんだって」
悪魔は冷たい煙を大きく吐き、老人を睨んだ。
「なんだこっちか……おいおい、こんな子供にお願い代わってもらうって何処の世界の了見だコラ! コラコラコラコラァ!」
悪魔は背中を倒して駄々をこね始めた。手足や羽やしっぽをビーチベッドに打ち付ける。暴れるのを止めて立ち上がったかと思うと、ペーシンのベッドに置いてあった漫画雑誌をぶん取り、老人目掛けてフルスイングで投げつけた。
老人は飛んできた雑誌を難なく受け止めた。ペーシンの元まで返却しに近づき、それから悪魔に体を向け、言った。
「そんなつもりはない。行きたい場所があるとこの子たちに話した。それだけだ」
「教えてくれたっていいじゃない。みんなのおじーちゃんじゃない。そうじゃない?」
「違う。悪かったな」
髪も髭もサッパリした老人はこの賑やかな川辺から去ろうと、4人に背を向ける。それを引き留めたのは手を繋いで離さなかった、白髪だらけのエプロン着の女の子だった。
「帰っちゃうの?」
「帰るんじゃない。向かうんだ」
「世界の起源?」
「そうだ」
「私も一緒に行きたい」
「ダメだ。邪魔になる」
「ならないっ」
2人の会話に悪魔の川柳が滑り込んだ。
「武闘派の奥手に隠したロマンチック……場も風流になったとこで、こんなんどうでしょ」
悪魔は再び指を鳴らし、広くて上等な赤い絨毯を出現させた。「空、飛べるんですぜ」
「やったあ! これに乗って探したらきっとすぐだよ」
と言って、女の子はさっそく絨毯の上に老人を引っ張っていこうとした。だが体格のいい老人はテコでもロリでもビクともしない。「じゃあショタか? ショタなのか?」「ねえ、押さないでよ」
老人は単に頑なだったのだ。
「大丈夫だ。助けはいらない」
誘いを断られ続け、女の子はさすがにちょっとしょんぼりした。
悪魔は膠着状態に見かね、代役としてこの石頭と取り合ってやろうじゃないかと2人の間に飛び入った。まだ繋いだまま離れない手が、悪魔の尻にひょいと押し出される。
「じーさんねえ、もうちょっとクレバーになれないかねえ。嘘でも一緒に絨毯乗ってやってさあ、そしたら子供たちも満足して帰らせてくれるかもしれないじゃん?」
「嘘でもそれに乗ったらいいのか」
「悪魔はそう思うぜ。どうだい、ガール?」
と、悪魔の企みがウィンク。その瞬きの意味するところを受け取った女の子は、
「うん。私、おじいちゃんがいないから、おじいちゃんと遊びたいだけ。ほんとよ」
「そうか。分かった。行こう」
一度決定すれば我先にと絨毯に座り込んだ老人。女の子は喜んで老人の側に行くとその股座にすっぽりと収まり、彼女に続き悪魔が絨毯に乗り合う。
老人が訝しんだ。
「なぜお前が絨毯に乗る」
「いやあ。操縦士と船長の兼業しなきゃ」ピカピカの角に真っすぐな敬礼を当てる。
さらに続いて、男の子とペーシンが乗り込んだ。
「こいつらは何だ?」老人から船長に質問。
船長の悪魔的回答は、「ご存知ない? 人型エネルギーパック。時間が経つと干からびて悍ましい姿になるから、あまり老人と子供は見ないように」だった。
「出発準備よーいっ」
威勢よい悪魔の掛け声と共に、絨毯は風もなく浮き上がった。乗客は各々、上々の反応を見せる。握るハンドルがない船長は常に手持無沙汰、だからその分だけ口数が多くなった。送信先の無いマイクを口元に当てた。
「えー、この度はご利用誠にありがとうございます。安全のためお近くのホツレにしっかりとお掴まりください。振り落とされたら助けます。助けた後は悪魔の所業ですのでご了承ください。それでは世界の起源まで、楽しい空の旅を」とアナウンスを締め、マイクを川に使い捨てた。
悪魔船長操る絨毯は緩やかに角度をつけ、空へと上昇を始めた。老人はここでやっと自分が騙されていることに気が付いたのだが、すでに文句を言い出せる状況ではなかった。彼らはいつの間にか太陽の間近まで接近していた。視界を分厚い光線の帯に覆い隠された。点滅する暗闇の中で、悪魔が意気揚々と指を鳴らす音が聞こえた。




