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8.第四節/忘却

 灰色、緑色、摩耗する太陽。複数の光線を束ねた一定の光線。突然、その中のある一種の光線が性質を変化、全体に歪みを生み出し、そのまま親の光線に取って替わる。しかし我々の眼には何の影響も映り込まない。その光線の変化は、地上に降り注ぐ光線全体としては些細な出来事に過ぎない。描画される線の粗さは箱から粒へと精微になるにつれ、親の現実に取って替わる。しかし地上に降り注ぐ現実全体の数の多さに、些細な出来事は誰の眼にも観測されない。

 龍の鱗に迷い込んだ男たちは互いに手を取り合い、一斉に決起し、世界に散らばる気に食わない連中を順番に襲撃していった。胸の位置には『一理普遍神話』、そのオリジナル版の切れ端が服の裏に縫い込まれている。この行動はスルーリンの教えを集団の熱意から再解釈した、逃避の一環だった。我々は一理に属し、一般には属さない。そんな哀れ過ぎるオレたちのための普遍神話が示す光を追走し果てる。軌道なら過去に計画し尽くした。コックピットという安全策は搭載しない。一丸の弾丸となった男たちは四方八方へ逃避に明け暮れ、亡くなる者も後を絶たない中、誰も目を覚ましてしまわないよう渦の熱を恒常的に苛烈化させる。スルーリンの教えによって、一度でも動きだした場合中途での堕落は禁じられていた。彼らは走り切って死ぬことを渇望していた。

 その集団の一員である、敵対型生成ネットワーク生まれのポートレートは一連の出来事と自分の関わりについて以下のように述べた。

 マーブル模様の男女がシルクの丘を転がり落ちて性交する。二者間の熱で溶けたものがチョコレート工場のコンベアに様々な模様をもたらす。一流ホテルのロビーはサーカスとゲームセンターを合わせたより凝縮された愉快だった。スイーツが詰まった電球頭のガチャガチャを前に、笑いのツボにカツラと入れ歯を持ち合わせる子供の差別主義者が長蛇の列を成す。隣で小人の男が七並べをし、石鍋にゼリースープを沸騰させている。十三人の浮浪者が短小な列を成し、二卵性双生児よろしく子宮でそっぽを向き、寒空の下、かじかんだ手のひらから皮脂と土塊とワインを零した。スープは放射能熟成のウィスキーよりも深い味わいで、車から降りようとしない外交官の二枚舌を魅了した。翌年のポストは確約してくれと膝をつくと彼らは喜んで承諾してくれた。それから遮光性の窓が新しく生え変わって閉まった。四輪駆動のアメ車の排気ガスは健康に良い影響をもたらすという研究結果が保険機構のお墨付きをもらっているから食べた。突如として、洞窟のウィークポイント、水晶の砂漠地帯を小動物の金切り声がバロック様式よりも支配した。それはネズミの嘲笑を真似た、先天性アルビノコウモリの反響調査法のアイスだった。今度選挙のついでに、ネズミとコウモリの親戚関係を調べに役所へ、戸籍を開示してもらわなければならない。アルビノコウモリの縁起の良さは人間国宝と並んで称えられた。キャッチした音波で幼少期の痴態を認識してもらえば金運、仕事運の上昇だと語る専門家が処女膜と共振現象を起こす。新しく買った手帳を死んだ母も気に入ってくれた。架空のTODOリストが単性生殖を繰り返す。チェックボックスの純白に囚われた小児性愛をスパイする。その隙に百五十人の友人が出世のための準備運動を始める。うち七十人は失敗、停滞、殺害。タイミングを同じくして町の歯科クリニックにホワイトニング治療の予約が殺到する。山奥に暮らす全身脱毛済みの大男が構えるショットガンを合図に馬並みの借金を返済し始める。屋上プールの入水口に隠したダイアモンドはゴム製のトサカを生やしていた。その姿をタール塗れのワニに見つかれば正常位で食い殺される。遺伝子組み換え実験の牛が独自の情報網を駆使し、ホテルのスイートまで聖女を殺しに来る。スケスケの瞼が電光と幽霊に睡眠を阻んでくれるよう電磁誘導をかける。発疹の多いルームメイトはオレンジを持ってベランダに出ると、太陽をこの手に! と二十回叫ぶモーニングルーティンを獲得した。神域への非常通路が舌を使って囁く。六十年代の関西地方に交流電流を売り込んだ国勢調査員の霊魂だと言い張った。ソ連軍残党の息がかかったコインランドリーに立ち寄り、一番隅に置かれた下段のドラム式洗濯機を見つめていると、ヴィンテージポルノから飛び出した裸の娘連合が哀れな者たちに向けて特殊なサービスを微笑んでくれることを知っていた。スリムなヘソに開いたピアスに瞳孔を3つ捧げる。ママ、あれがアラザン? と、天才的にピアノが上手い五歳児が屋根に墜落し、アラビアの許嫁と共にビデオテープを回収する。乳首に開けたピアスは自らが純銀製であることを血統書付きの右手で語りだした。裏の納屋からガーデニング鎌を二本持ち出し、国際電話でシロクマエリアと合同の対ヴァンパイア戦術講習を開く話を取り付けた。洗濯機の中身が政治的色合いの強い画像に切り替わったあたりで回転数が落ち込み、反比例して天井に梅の花が咲き乱れた。ジャケットはA面に印刷しておくべきだった。それを純米酒に溶かし込み、カントリー狂いだった父の墓石に畏敬の念でぶっかけてやるべきだった。それもペンの中身を取り出してバネを交換してから。急な延滞料金の説明はつまり以前受けていなかったという論述に使える。横暴は無効。君のハンカチはダチョウより神が1周忌多い。次やったらお前の家族を焼却施設に落としてやる。書類には二十歳の偽名で署名する。悪性電子レンジで孵化させた紫色のヒヨコをお前の家に帰してやる。雛鳥は粘液遊びで卵内回帰願望を満たす真の仏教徒だ。母性本能を届かないビルに隠しておけ。簡単につけこまれる。王族に土足でレイプされる。スペイン語で引用された通り、人間の人間の部分はマイクロ波によって物理的、数学的、光学的、歴史的、美術的、法学的、倫理的に分解される性質を持っている。ウィンタースポーツは諦めてくれ。

 たとえ法廷に引きずり出されようとも彼の主張は一貫していた。意味不明の言葉の羅列。裁判官はまず自分の耳を疑い、最後には挙げられた事態の数々を信じることができず、やむを得ず無罪判決を下した。私の人生は何処にでも手を伸ばす、そう記録カメラに呟くと、スーパーカーに乗って去っていった。歴史に影ごと消したはずの、跡形もない、貧しく陽気な歌を残して去っていった。時間が時代へと名の古びるとき、その経過という波間に揉み消された歌があることを教えてくれた。


 夜が心を開かせた

 闇が人を黙らせた

 光が行く先を定めた

 時間が人を狂わせた


 売り娘が膝を擦りむいた

 坊主が嵐に飛び込んだ

 仕事が夜に沈み込み

 孤独は忘れたふりをした


 夢の中へは帰れない

 ニヒルじゃ避けても眠れない

 生まれた年へも帰れない

 死んでも神とじゃ遊べない


 ……どこからともない演奏と歌声は、彼の記憶から直接漏れ出しているかのように鮮明だった。

 後に彼のベッドから発見されたノートの抜粋を以下に記す。

 [生、死、時間]、[忘却]、[恍惚、熱狂、官能]、[逃避]……『一理普遍神話』において重要視される第四節/忘却は、同じく重要視される第八節/逃避と比べて冷静な文章で書かれている。それはあくまで結論に辿り着く前に、自然の摂理やそれに対する意見を述べる節であるからだ。それでも忘却の節が重要視されているのは、スルーリンの結論である逃避には無理があることに気づき、彼の強行的思想から深く洞察された自然の摂理へと引き下がった人々の足跡が残るおかげである。しかしそういった高名な思想並びに作品が導く結末に感化され、胸の内に余波を生む高鳴りに魅せられた者は少なくなかった。自己のバランスを挫いた彼ら中毒者は、己の限界に挑むかのように不純物を排除して回った。今回の行動を起こすに至った彼らに対し、最初の光を灯したスルーリンはとっくに存在していない。彼らが藻掻いた末にやっと模倣した光は少しズレた道を示しているが、そのズレを指摘できる張本人はこの世に存在していない。彼らはその模造の光を盛大に掲げ、光が示す道を身勝手に突き進んだ。近い未来、さらに規模を増した全く別の集団がその足跡の上を同じような足取りで突き進むことは容易に予測がつく。滑稽にして逆らい難い波が世界全体を飲み込んでしまう前に太陽の正確なアナログ解析を求める。

 

 太陽のすぐ下に浮かぶ魔法の絨毯から、パーティーやロンリーな夜に向けたハイな煙が立ち昇っている。微粒子のスクリーン上には、あらゆる可能性へと希釈されてしまう以前のポルノが、直視できないほど強靭な行為と軟弱な行為を永久に繰り広げている。しかしそれだと気づく者はいない。みんな夢から帰って来ることができないタイミングだった。唯一正気を保っていた老人は、彼の人生においても珍しい、激しい怒りを覚えていた。その矛先は悪魔へと向けられていた。

「あまりに低俗だ。あまりに非人道的だ」

「ありがたああい! 説教が始まるぅ!」と、悪魔が空を仰ぎ見る。

「これはあまりに本人の意思を踏みにじっている」

「ええ? 少なくともガールはあんたについて行きたいって言ったよ?」

「何の関係もない」

「ありあり。なぜなら、これはあんたが望んでたことを叶えてやっただけ」

「お前には何も望んでいない。お前に言い逃れの余地はない」

「あのねえじーさん。世界の起源なんてマジで行けると思ってんの? 老婆心ながらその頭を覚ましてやろうと思ったんだよ。それに老い先短いじーさんには人生最大のチャンス到来。今からハマっちゃえば一番いい時に死ねる可能性が高いんだ。どうよオレっちの旅行プラン。最高に敬老な悪魔だ」

「余計なお世話だと言っている」

「ああー! ムカつく! 真っすぐな奴って歳関係なくムカつく! よくよく考えたら歳食ってるほどムカつく! マジでそれだけ。作戦が機能して地獄の果てまで落ちていけばよかったのに」

「白状して欲しいわけではない。子供たちの責任はどう取るつもりだ」

「コイツラどうせここで一生生きてくんだ。悪魔との日常を勉強できた今日はイット・ワズ・ア・グッデイ。あとで悪魔流に褒めてやろうか……それとも何かい。飛び入りゲストが保護者気取り? 自由気ままな一人旅で途端に里親志望とは都合のいい人生だね」

「ここに居させるよりはずっといい」

「そして星よりも素早い即答! 見どころのある無責任だ。いいよ。どっちが欲しい」

「2人共に決まっている」

「両方? 欲張りで大変素晴らしい。条件はもちろん提示させてもらおうか」

 悪魔は伸びている2人を両手に抱え込んだ。

「ここまで育てた労力がそのままアンタに渡るのは生理的に気に食わないんだ」 

 そう言ってまずは女の子を老人に投げ渡した。

「ガールはあげる。なんと自分好みに育て直しできるオプション付き!」

 次に悪魔は男の子を絨毯の外に放り出した。それに感づいた時点で老人は駆けだしていたが、何にも届かなかった。老人にとって初めての感覚だった。男の子はそのままずっと下を流れる川に落ち、再び姿を見せることはなかった。

 悪魔は悪びれずに言う。

「ボーイはあげない。適当な場所に落としておいた。よかったら見つけてあげて」

 感情を発露する瞬間もなかった。悪魔の笑みとそのバックの太陽に蹴飛ばされた。遠くなる視界と結線が切れ、周囲に点滅が走る空間に放り出される。老人は何よりも、腕に抱える女の子の無事を確かめた。彼女の姿はない。しかし手のひらに乗った小さな存在に確信を得た。彼は覚悟を決め、いつもと同じ手順で、全身全霊から自分が進むべき方向を見定めた。

 流れ着いたのは見知らぬ牧草地の丘の上だった。目と鼻の先でヤギの群れが草を食んでいた。逃げる様子がない。老人は初めからここで眠っていたかのようだった。温かい日差しの中、自分の腕の中でまだ何も知らない娘が穏やかな寝息を立てていた。

──

 老人は死の間際、自分を看病してくれている幼い娘のこともよく分からなくなっていた。

 家の玄関を叩く音がした。

「……今行く」老人は無理に起きようとする。

「私が出るから」女の子は父を制し、玄関へ向かった。

「……申し訳ない」

 しばらく穏やかな話し声が老人の寝床まで流れてきた。

 女の子が戻って来る。

「お父さんに話があるって。ごめんね、どうしてもって頼まれちゃって」

 女の子のあとに連れられ、若い男が姿を現した。男は挨拶を済ませると、急に2人に憶えのない自分の過去の話を披露し始めた。しかし2人の反応が別々の理由で芳しくないと見ると、話題を急旋回し、突然娘を売ってほしいと頭を下げた。

 まず強烈に反対したのは女の子自身だ。

 続いて老人が、彼女の怒りを見て常識的な言葉を返した。

 しかし男は負けじと老人の手に少ないお金を握らせ、駆け込むようにしばらく居させてほしい、家の手伝いをさせて欲しいと頼み込んだ。彼の尋常ではない勢いに一度負けてみると、寝たきりで動けない老人の世話も、他の家のことも彼は進んで働いてくれた。家事を巡って女の子と言い合いになることもあったほどだ。3人は短いながら幸せな時間を過ごした。

 男が家に来てから1週間も経たずに老人は息を引き取った。幼い女の子はよく泣いた。男は残された者の悲しみがあの果てしない大地に落ち着けるまで彼女の側に居続けた。2人は近所の人たちと協力し、父親の葬式を執り行った。よく晴れた日の、よく動物の鳴き声が加わる葬式だった。老人の遺体は、森の近くに設けられた集団墓地に一回り大きな穴を掘ってやっと埋めることができた。慣習に倣い、すべきことを済ませ、親しい者の死を乗り越えた今2人はどこかで新しい生活を始めている。

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