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4.貴方の遥かなる歩幅

 ……スクリーンに戻る。

 今までに過ぎ去った果てしない時間の粒が膨張、分裂してその両方の泡の中にランダムなポルノが入り込む。瞬く間に破裂する。ダメージは確実に蓄積していった。着々と接近してきていた。誰であろうと、何かをそっくりそのまま取り戻すことなど絶対に不可能だった。

 ……スクリーンに戻る、スクリーンに戻る。

 太陽が昇りだす頃、ブイーンは必死に戻ろうとしていた。

「なんでっ……なんでっ……」

 スクリーンに映るポルノを目まぐるしく交替させる。形式は映像、画像、漫画、音声、小説、何でも構わない。とにかく持っている限り大量のポルノを、どうしても奮い立てない自分自身に試す……お気に入りのポルノ、思い出のポルノ、尊敬するポルノ、軽蔑するポルノ、定番のポルノ、安心するポルノ、笑うポルノ、泣くポルノ、冒険にでるポルノ、後悔したポルノ、愛しているポルノ、信じているポルノ……どれに切り替えても、どんな順番で切り替えても上手くいかない。この手の失敗は、回数を重ねるほどに次の失敗を呼び込むものだ。そのことに気付こうがすでに手遅れ、止め時なんてずっと昔に通り過ぎている。拾いに戻る勇気のある者はそもそもこんな失敗を犯さない。ブイーンはまんまと自分にしてやられた。そんなもう一人の自分すら時と共に泡となって消え去り、取り残された独りのブイーンという事実だけが残る。

「くそっ、くそっ! このっ!」

 叩いても引っ張ってもつねっても優しく撫でても意味を成さない。試すポルノなら無限に、しかし試すほど望みは限りなくゼロに接近していく。ああブイーン、どうしようもない男。ポルノ中毒の玉座は破裂、真っ逆さまに転落。ブイーンを取り巻いていた映像や画像、想像の女の子たちも呆れて去っていく始末。お尻を突き出した女の子、寝そべっていた女の子、カメラ目線に前傾姿勢だった女の子、スカートが浮き上がっていた女の子、肩紐を外していた女の子、彼を慕ってくれていた女の子、彼を嫌っていた女の子、彼と何の関わりもなかった女の子……その数、無限のような女の子たちが去っていくと改めて彼女らの存在は有限だったことに気付かされる。「待ってくれ! オレだよ! ずっと大好きだよ! 置いてかないでくれよ!」それを聞いて立ち止まる者はいない。彼女たちはブイーンの側を通り過ぎ続ける。彼女たちの一歩は遥かに広大であり、ブイーンには決して追いつくことができない。まるで新たなベクトル成分を持っているかのように不可侵だった。どこか遠くに希望を預けた者特有の確固たる足取り。彼女らの行き先について、ブイーンは想像することもできない……スクリーンが消える。

 ブイーンは諦め、部屋の天井を眺めていた。

 彼自身、どのくらいの時間そのままで過ごしていたのか分からない。気を取り戻したのは部屋にノックの音が響いたお昼時だった。

 ズギュンは入ってくるなり少し顔色を変えた。

「今日はずいぶん静かね。気味悪い」

「……」

「聞いてる? ねえ、本当に大丈夫?」

 そう言って倒れているブイーンの元に駆け寄った。顔に手をかざした。

「……息はあるみたいね。もう、驚かさないでよ」

「触るな」

 小さいが怒りの籠った声だった。ブイーンは這いつくばってズギュンから距離を取った。

 ズギュンはその背中を睨みつけ、次に文句。

「何よ。心配してあげてるんじゃない」

「……うるせえよ。出てけ」

 ブイーンは言い放ってスクリーンを点けた。どれもダメだったことを知っているので、指が空中でまごついている。

 ブイーンが見せたおかしな様子、それらが彼女の中で線を結んで優しさ、お節介へと繋がる。ということでズギュンは少しだけ態度を和らげてあげることにした。

「今更だけどさ、あんたやり過ぎたんじゃない?」

「……」

「これまでは隙も無かったから言えなかったけど、もう、ポルノ止めなよ。きっとまだ手遅れってこともないと思うよ」

「止めてどうすんだよ」

 今のブイーンには自暴自棄が過ぎたあとの嫌な冷静さだけが残っている。

「止めたらオレに何かあんのか? 何も無いだろ。じゃあ止めない方がいい」

 と、ズギュンに顔も向けることなく言った。

「きっと疲れてるだけ。心配ないよ。少し休んでさ、体調が整ったら、一緒に仕事を探しに行こう。私も手伝うよ。そして新しい生活を始めるの」

 何も反応をしないブイーン。ズギュンは懸命に続けた。

「もちろん色々と大変なこともあるかもしれないけど。やるべきことを二人で済ませて、それで全部終わったら、もしそっちがよかったら、改めて私と一緒に暮らしましょう。私が作ったご飯を毎日食べて、週に一度は買い物に出かけるの。月に一度は美味しいご飯を食べに行きましょう。楽しいことって、もっと沢山あってもいいのかもしれないけど。でもそんなことだけでも案外満足できるの。私の場合はそれで幸せ……そっちも私でよかったら……」

「シコるから出てけ」

 沈黙。おかげでズギュンの怒り心頭が際立って聞こえる。沈黙はすぐに終わる。

 ズギュンはいつだって感情をつっかえることなくその場で解放できるタイプだった。

「ばかっ! 弱虫! 泣き虫! 意気地なし!」

「出てけ」対し、固く動じないブイーン。

「絶対出てかないから!」

 ズギュンは正座に座り直した。ブイーンのガラ空きの背後から、正々堂々と挑戦状を叩きつける。

「今ここでやって見せなさい! 昨日まで私がいてもお構いなしにやってたじゃない! さあやって!」

「何言ってんだ」

「じゃあそれ貸して!」

 上顎で舌を弾くと共に身を乗り出し、スクリーンを奪い取った。

「とびきりおっぱい大きい子選んでやるんだから」

 そう意気込んでライブラリをスワイプ……スワイプ……スワイプ……スワイプ……「まったく、どんだけあるのよ……」

 しばらくして、ズギュンの瞳にピンと来るポルノが一作輝いた。フォルダを開き、画面をブイーンに見せつけた。

「この人、胸と足で四足歩行してるみたい! すごいわね! 見つけた私までびっくり」

 ブイーンは無視を決め込んだ。

 ズギュンは苛立ちを露わに。捲し立てる。

「さあ選んであげたわよ! 早く準備しなさい! それで『うわぁ大きすぎて分割しないと訳分かんなぁい! 因数分解の使いどころぉ!』とか、いつものバカ声聞かせてみせなさいよ!」

 ブイーンは掛けられた発破を完全に黙殺。寝っ転がって、呼吸をするだけ。

 そんな体たらくこそ、見ている側を余計に頭に来させるものだ。ズギュンは負けること以上に、まず勝負を受けてもらえないことを嫌った。勝負に漕ぎ着けるためならば手段は段階的に負けていった。

「もう、分かったわよ。そんなに元気無いんなら、ちょっとだけ手伝ってあげよっか……ただし! こちょこちょまでね」

 ズギュンはブイーンの腰回りに向け、手をゆっくりグーパー動かした。

 ズギュンの第一指が触れる寸前、ついにブイーンが不動の体を起こした。

 ズギュンは手を引っ込めて打ち鳴らし、誇らしげな笑顔を取り戻した。

「なあに? ビビっちゃった? まあ、あのままじっとしてられる度胸なんかあんたにはないもんねー!」

 追撃として子供のような罵声を浴びせる。「ヤーイ、ダッサーイ」「バーカバーカ」

 一方ブイーンは、そんな挑発に貸す耳を持っていなかった。両手を伸ばし、一直線にズギュンの肩の上に置いた。

 ズギュンは途端に口が回らなくなる。手足から中心へ向けて脱力・緊張状態が遷移する。頬が紅潮する。目は一点を見つめる。

 ブイーンが口を開く。

「聞いてくれ」

「……な、なに」

「オレはポルノしか信用してこなかった。それはこれからも変わらない」

「それでもお前は、理由は知らないが、オレの側にいてくれた。感謝をしよう」

「感謝はするが信用はしない。しかし一応伝えておこうと思う」

「今夜、ポルノ屋さんのお姉さんが部屋にやって来る。オレは彼女と共に発とうと思う」

「ああ、ポルノ屋さんのお姉さん。もしかしたらズギュン、お前は最高に魅力的な女性かもしれない。だが敵わない相手がいるとしたら、それがポルノ屋さんのお姉さんだ。ポルノ屋さんのお姉さんは子供から老人まで、全ての男たちの願望と絶望を併せ持つ、矛盾そのものが成立しない世界からの使者だ。お前がどれだけ妖艶だろうと、少女のように無垢だろうと、真面目で一途な性格だろうと、数多のテクニックを使いこなせようと、夢を忘れない素敵な人物だろうと、誰かがお前のことを愛していようと、ポルノ屋さんのお姉さんはその誰かからでさえお前の存在を忘れさせる。お前の存在はポルノ屋さんのお姉さんに含まれ、お前との記憶は上から塗りつぶされる。気持ちの問題じゃない。混沌の暴力だ。構造から導かれる唯一の結論だ。誰も逆らうことはできない。諦めることだけが限りある幸福の内だ。そんなポルノ屋さんのお姉さんが今夜、オレの部屋にやって来る。昨日見た最後のポルノの中で約束を交わしたんだ。リングを描くキスを交わした。原点のポルノを持って来ると言っていた。世界のあらゆる可能性を出産するまでのドキュメンタリー。それを一緒に見て、見終わったら二人で光子の集合からなる馬に乗って、細かい振動に変換されて、混じり合ったビームとなって彼女の世界を訪問する。だからお前に付き合っている暇なんかない」

「すぐに理解できるとは思っていない。だから理解できてからでいい」

「出てってくれ」

 言い終えると、ズギュンの肩から手を離し、ズボンを履き、再び背中を向けて横になった。

 ブイーンのこの言葉を機に、ズギュンの熱量は冷却期間へと差し掛かってしまうのだと誰もが、あの確率の女神でさえそう思った……しかし反骨精神こそズギュンの真骨頂であり、これまでもこれからも、相対した人間や置かれた環境に歯向かうことで方向を定め、自身を律し生きていくのだ。こんなところで、こんなペラペラと軽い言葉を吐きまくるポエムでポルノな野郎相手に引き下がっているようでは、己が己を許せない。今ここで張り合わなければ全てがコイツの思う壺なんだ、と思うとズギュンは言葉を放っていた。

「全然分かんないよ! そんな奴、私会うまで分かんないから!」

 ブイーンとズギュンは二人仲良く牽制し合い、夜までポルノ屋さんのお姉さんを待った。

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