3.ケモミミが似合ってそんなに誇らしいか
ある日、男は上下に揺れるおっぱいを視線で追いかけていた。必死に追いかける内に留め具が摩耗し、眼孔から飛び出した眼球が薄汚れたスマホの画面と熱烈な接吻を交わすその瞬間、男の頭の中でバーチャルリアリティの真なる意味が火花を散らした。男はしばらくの間押し黙ったかと思うと、妙に落ち着いた手つきで自分の腹から眼球を摘まみ上げ、孔の中に戻した。その瞳は単なるポルノ中毒者の汚濁の目とは一線を画す、海洋油濁のように鈍い煌めきを宿していた。
部屋は散らかっている。暗い。異臭が籠り続けた。
イヤフォンの隙間から快楽気な声が漏れ聞こえる。
掲げられたスクリーンに露わな女体が眩しい。
ブルーライトの霧の中、だらしなく口を開けた顔が浮かび上がる。
先鋭ポルノ中毒者、ブイーンの独り言は激しい。
「へっ、へっ、へっ……くっはっはっふぅっ、ぐぐぅっ! へぇ、へぇ、きもぢぃ……」
「コ、コイツラ、馬鹿かよ! 馬鹿っっ、馬鹿っっ、バクァがあああっっ……くっふぅ! どいつもっふぅ、こいつもっんんんっ、ケモミミっ……クマ耳でもっほぉっ、イヌでもキツネも、ヒツジでも何でもっ!……馬鹿だからっ、ぜんぶっ、ぜぇんぶっ、おんなじネコちゃん、ニャンニャンポーズぅふぅっ! くはっふぅ、ふぅ……」
「コイツラ、教育とか受けてねーんかなっ……英語の授業とか、変な外国の絵ぇ見てへぇっ……先生、リピートぉっアフタミー……ベアーっあっあっ、フォックスっ! とかあっただろお……があはっ……コイツラ教育っ、受け……教イっく、イっく、イぐ、イぐっ!」
「……何が誇らしいんだ、ちきしょー……」
近くに放ってあったスマホが震えだす。画面が光った。
ブイーンは腹這いになってスマホに手を伸ばした。見ると、表示名は『ズギュン』。
応答のボタンを押し、マイクに怒鳴り散らかす。
「てめえ! こんな時に掛けてくんじゃねえ! ちったあ考えて行動しやがれ! 次掛けて来やがったらなあ! お前からの着信のバイブレーション使って絶頂を迎えてやるからな! それが嫌だったら二度と掛けて来んなや! がああぐががああ!」
切る。ぶん投げる。
視線をスクリーンに戻す。ポルノがエロい。
……。
「くっ、へへぇん、へへ、ふへんっ、ははへぇへぇ……おかしな服ぅっふうっ! おかしな、おかしなお洋服ぅっ! だ、だぁれだあっ! こんなデザイン考えやがったっ……お馬鹿っさんっ! ……あれれぇおっかしいなぁんはははぁっ、って思いながら作ってんのかなぁぅふぅ……どのくらいのぉおっ、行程っ段階ぃひぃっひぃっ、でへぇえ……おかしな、服ってぇへえっ、へえっ、気付き始めるんだろぉなぁあっあっあっ……うぅぅ、うっうっうぅぅ……最初から気付いてえぇぇぇ……」
「ねえ、さっきの電話はどういうこと?」
「へあ? はぁえ?」
急に自分とポルノ以外の声がして、その方向にチラッと視線を向けた。
ズギュンが買い物袋を提げて立っていた。彼女は現状ブイーンの家の居候であり、以前遠くの極貧家庭から買い叩いたブイーンの商品でもある。しかしブイーンが早々に買い手探しをリタイアしたことで、このビジネスは長らく停滞していた。
声の正体が分かって、ブイーンはすぐポルノに戻る。
「あっへぇぇっ、お帰りぃっ」開き直れば陽気な返事。
「何が考えて行動しやがれ、よ! あんたに考えがどうとか言われたくないわよ!」
「ごめぇへっえんてぇ、今日の昼なに?」
「知らない。あんたの分なんか無いわよ」
「なんでぇぇ……オレ昼抜きぃっ……ぐぐくぅっ、やだぁやだぁ、昼っ食べるっ、やだっやだっ、嫌っ、嫌っ、昼たべぅっくぅうふぅっ……!」
「……どんだけバカなの?」
「……昼ぅ、昼ぅ、昼ぅ……」
ズギュンは呆れ果て、部屋を出て行った。
ブイーンはしばらく天井を見つめていた。
視線をスクリーンに戻す。
……。
「ねえちょっと、お昼できたんだけど」
「んんんっねぇっへえっへえっ……へあ?」
「お昼」
「へぇっ……へぇっ……はぁぃ……」
イヤフォンを外してズボンを履き、ズギュンの待つ食卓へ。梅しそパスタが2皿用意されていた。
スルスルと麺を吸い込むズギュン。
「ねえブイーン。美味しいね」
「……あのさ」
「うん? 何?」
「オレって、梅とかしそとか苦手でさあ……」
「へえ、知らなかった。一応電話したんだけど何だか忙しかったみたいね」
「ま、まあな」
「私としては気を回したつもりでしたけど、考えなしの行動でごめんなさいね」
「あれはさ……」
「どう? パスタは美味しい?」
「はい……とっても……」
「わあ嬉しい。とっても」
2人分の皿を洗い終え、ブイーンは部屋の扉を閉めた。
「ズギュンの奴め、オレをいいように使いやがって! オレはぁ、オレはぁ……」
落ちているスクリーンを拾い上げた。エロ漫画が点る。
「オレ様は、特大ハーレムの大王様なんだぞぉぉ!」
ブイーン流ハーレム王の掟
一.数字を数えない
一.サイズを測らない
一.シンメトリーに並べない
つまりサラリーマン的視野狭窄に陥ることなく最大限ハーレムを楽しむための決まりごとだった。ブイーン流ハーレム王の掟に従わない場合、仮にハーレムを手に入れるという男の夢が叶ったとしても、それは魔法が解けるかのように一瞬で在庫管理や書類作成といった退屈極まりない日々の仕事内容と同化してしまう。ハーレム王たる者、自身のハーレムと快楽にのみに集中し、余計な掴みどころが消えた真っ新な壁に食らいつかなくてはならない。束の間の休息に留まってしまうようではハーレム王を名乗れない。この掟は、ブイーンが現在も熱心に探し求めるハーレム王の器、その哲学探究の原点だった。
「行けぇっえへぇっ! ブチかますっふぅっ! にゃははぁああっ……獲れっ、獲れっ、国を獲れぇえっ! 全てはオレ様のぉっほお! 略奪ぅっと、理解っひぃのぉ、範疇にぃひぃっ! なんぴとぉ、ピトぉっ、ピトピトって、はは、馬鹿みてえっへっへええっ……馬鹿になれっえっえっえぇっ!」
世の人々が頑なに信じようとしないセックス史観をブイーンは崇めていた。つまり自分がセックスにあり着くためだけに大量殺戮兵器を飛ばしたり、非人道的ビジネスを進める輩が脈々と歴史を作るのであり、他の者たちはそんなおふざけに振り回された挙句、用が済んだ者から次々舞台裏に放り出されているというのだ。ある一定以上の規模を誇るセックスを記録し、書き連ねたものが歴史の本当の姿。やはり歴史は勝者の歴史だ。樹立された数々の偉業の裏で、数百億回はくだらない敗者たちの無駄撃ちが夜な夜な枕を濡らしている。ブイーンはそんな歴史の裏に広がる巨大なベッドで暴れまわるための莫大なハーレムを夢想していた。そして歴史の舞台裏から、勝った敗けたの残酷な二元論から何処か別の次元へと哀れな者たちを葬ってやりたかった。有史最後の敗者として、勝者の側に浮上できる終末向きの方舟を建造したかった。自身が心から信奉するセックス史観における特殊な例外的存在へと這い上がりたかった。知識の集積系の人間として、知識の集積系の最たる領域を突き破りたかった。歴史領域を犯してやりたかった。手段と目的を兼ねる、莫大なハーレムを夢想していた……。
「……そんな終末の日は……」
言葉では形容しがたい快楽の波が押し寄せることだろう。
許容量を飲み込んで肥大化する傾向にあるハーレム王の器は、まさに終末を乗りこなすに相応しい方舟だと言えた。彼の哲学と史観は、堂々巡りの歳月のように永遠に続くラインを結んでいた。
視線をスクリーンに戻す。ブイーンのポルノライブラリはデジタル的整然と、彼も底が把握できない永遠ライン。ブイーンはスクリーンに戻る、スクリーンに戻る……。




