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2.血がフュールなら

 阿鼻叫喚。血の池が滾り、立ち昇る血の蒸気が天井にぶつかって再び血が滴る地獄の底。知ってる奴は教えてほしい。この世の地獄はどこにある? 誰がどう見ても地獄だと分かる地獄はどこにある? 惨めなオレを慰めてくれる地獄はどこにある? 灼熱地獄? 極太針山地獄? 棍棒暴力地獄? 全部が全部絶頂天国トリガー地獄! いつか快楽地獄を待ってるぜ!

「ぐぐごごごおおええぎぎがががあ!!」

 喉を排水溝のように震わせ、ドガァンは目を覚ました。荒れ散らかる布団、シーツ、溝の深いうねり。流れ出た寝汗でベッドが浅瀬の川のようだ。何もかもびっちょり。飛び起きるのすら億劫。

 その億劫さが心地よさへと変貌を遂げるまでに、大した時間は要らなかった。

「zzz……。」

 ドガァンは比較的穏やかな寝息を立て、再び寝始めた。

 二度寝に入ってから60時間が経過、ドガァンは再び目を覚ました。

「ぐぐごごごっ……!」

 時計の針を見て10時、窓の外に目をやって夜の10時だった。

「……よーくよく寝ちまった」

 両腕を天井に引っ張って筋を千切り伸ばす。ブチブチ爽快な音を響かせたら、今度は床に転がる最安価ウィスキーの瓶に手を伸ばした。注ぎ口に直接口を付け、傾ける。喉が熱する。三日三晩肝臓フル稼働でも消化しきれなかった残留アルコールを迎え酒し、ドガァンの正気はゾウをも酔わす息を吹き返した。

 ドガァンはそのままの恰好で町に繰り出した。

 見上げると高層の屋根が連結して楕円の空白を描いた。覗く空から巨大な満月が覗き込んでいた。

「……コロスコロス!! コロスコロスコロス!!」

 突然荒々しい声色が反響し、階下からドガァンの耳にまで到達した。

 安全柵に身を乗り出して覗き込むと、マシンガンを担いだ爬虫類面の男たちが追って来ていた。迎え撃つべく、螺旋階段の塔を駆け下りる。

 階段の中腹、ドガァンと爬虫類2匹が鉢合わせた。先手は武装の有無によってトカゲのペアが奪取。乱射。轟音。閃光。仄暗い壁が一斉に昼間の白亜色を翻し、まだ光の達さない影の部分をドガァンが疾走した。接近、マシンガンの首がこっちを振り向くよりも素早い鉄拳を食らわす。一人男が倒れ、もう片方の銃口が反撃に間に合う。 **ヅダダダダダダッ!** ドガァンは片手で地面を突き飛ばして宙に舞い、銃弾の雨がスカの軌跡を撃ち抜く。位置を上に取られた形での着地。その一瞬、動きは停止、頭上から嵐が追いつこうとしている。ドガァンは重力の勢いに乗って身を屈めた。弾丸を肩に掠める。もう一ギア屈め、皮膚が破けそうなほど反り返った後ろ足を原形へと、前方に解放。高速で飛びつき、押し倒す。殴る殴る殴る! 1秒ともたず顔は血まみれ。鼻と目が潰れた。好戦的に突き出ていた口の先端は奥に引っ込み、裏側に位置するうなじ辺りに拳サイズの膨らみをつくっていた。

 ドガァンは螺旋の塔を下まで降りきった。月夜、運河のせせらぎ。ドガァンの血を冷ます風が出ていた。

 マシンガンの閃光を受けた目が中々夜道に慣れてくれない。その視界へ、一軒のカフェの漏れた光が滲みだす。ずいぶん遅い時間までやっている。それが意味するところとはつまり……。

「酒ありか?」

 ドガァンの足取りは迷わず狂わずフラっとカフェへ。さっき動きまくって再安価ウィスキーが全身を巡りだした証拠だ。押し開けたドアのベルのちょっとしたダンス。店内には客もウェイトレスも誰の姿もなかった。

「やってないのかー?」

 一度は断りを入れた。返事がないのでお構いなしにカウンターを越境。物色を開始する。ポットに入ったコーヒーや紅茶、他にも誰かが解きかけのナンプレ用紙が一枚。

 ドガァンはコーヒーポットを円型ヒーターの中心に突き刺した。ペン立てからファミリー遊園地製のボールペンを手にした。竹のバスケットからバターロールを啄んだ。準備を整えると、全意識を目の前のナンプレに集中させる。

「うーん……ここに9があったら……だめじゃねえか。じゃあ7だったら……だめじゃねえか。3は……だめじゃねえか。1も……だめじゃねえか。あれえ、9でよかったのか……」

 油性インクで間抜けだとナンプレはすぐに進めなくなる。それが判明したと同時に、ポットの器械的カチッ音が静寂を切り裂いた。出来ないナンプレなんか丸めて捨ててしまえ。コーヒータイムの始まりだ。レモンパイを食べやすく切り分ける必要なんてない。ホールごと齧り付いた。まだ少し温かい。柔らかな酸味が口の中で押し広げられる。

「全部食べちまうぞー?」

 底部に円形ヒータを引っ付けたままポットからコーヒーを飲む。すっかり飲み干してから店の奥に向かって、「飲んぢまうぞー?」二度目、三度目の確認共に、誰からも応えが返ってこない。ドガァンはショーウィンドウに陳列されたケーキを一段丸々、軽々ペロリ。今度は温め直すこともせずポットの紅茶を飲み干した。舌上から、頬裏からスイーツの甘味を洗い流す。二段目に並んでいるケーキも端に大口を構え、反対からアコーディオン奏法でペロリ。

「フンッ、酒もないのに夜営業とはな」

 クリームを余した口で悪態をつき、ドガァンはカフェを去った。

 満月が見ている。湧き出る眠気を噛み殺すと視界が色々滲んだ。歩道を逸れ、急な石段を降り、運河に突き出した桟橋へ。柱にロープで括り付けられたゴンドラが、水面の上で、大口を上に向けてドガァンのことを待ち構えていた。ドガァンは桟橋を蹴ってゴンドラに跳び移る。着地の衝撃でゴンドラは大きく揺れたが、まるで意地でもあるかのように転覆も沈没もしなかった。普通なら水の浮力という常識物理学の言葉で片付けるような出来事に、ドガァンはこのゴンドラの意思を見出して一方的な愛着を覚えた。柱からロープを解き、桟橋を押し返した。下流から海に向けてゴンドラが出発した。

 ドガァンは決戦の時を見据え、やっと眠りに就くことができた。ドガァンが見抜いたゴンドラの意思は本物だった。放っておいても勝手に進み、海上に立つ波や吹く風と相談して正しい航路を切り拓く。ゴンドラのそれは意思に付随する知性。決戦の時は着々と近づいているように、ドガァンには思えた。悪魔、神、超新星爆発、相手の名前は何でも構わない。全ての始まりに会いに行き、出会えたら即戦いを仕掛ける。それがドガァンの好奇心が赴く唯一の事柄だった。ドガァンにとってのイメージは一本の木だった。ドガァン自身は葉や枝や実であり、全ての始まりは木の根っこか、とっくに芽を出していなくなった種子か、あるいは栄養を送り続ける地面か、天からの恵みか。いずれにしてもドガァンからの攻撃は届きそうもない。ドガァンにはその感覚が、自分の体が標的に対して不自由であるという感覚が全然イメージできず興味深かった。また仮に攻撃が届いたとして反撃は来るのか。どんな反撃なのか。攻撃が通用したとして倒した際に、その延長線上に存在する自分にはどんな影響があるのか。途切れて落下した自分が新たな始まりとなるのか。始まりとなって、ずっと未来の葉に自分と似た存在を生み出して、そいつと再び決戦の時を迎えるのか。その二度目の決戦に赴いた際、自分の体は相手に対して不自由ではないのか。もしも倒されてしまったら始まりとしての自分はどうなるのか。自分が倒した一つ前の始まりと再び会うことになるのか。お互いに始まりとして再会するのか、始まりとその子供として再会するのか。全ての始まりの祖父ちゃん祖母ちゃんとも会えるのか。ドガァンは一度考え始めると、その止め方を知らなかった。思考の循環をどこまでも追いかけることができたので、止める必要性を感じた試がなかった。

 ドガァンが夢を見ている間もゴンドラが独りで泳ぎ回り、百二十時間の航海の果てにとある町に流れ着いた。ここは七百二十時間前にいた町の造りと驚くほど似ていたが、ドガァンはその運動能力とシミュレーション能力からなる肉体アナログ回路に、これまでに経験したあらゆる市街戦の記憶を流し込むことで、ここが全く別の町であるという認識を得た。ゴンドラを降り、彷徨い始めた。

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