第三章
「さて、それじゃあ煮えるまでの間に授業を始めましょうか」
マシューは再び教師のような口調になった。どうやら、魔法の説明をするのがよほど楽しいらしい。
「まず、トーマ。魔法を使うのに必要なものって、なんだと思う?」
「……魔力?」
「正解!じゃあ、その魔力はどこにある?」
「空気中?」
「うんうん。いいねぇ!」
やたらと嬉しそうだ。まるで、出来のいい生徒を褒める教師のようだった。
「この世界にはね、目には見えないけど、どこにでも魔力が存在しているんだ」
マシューは手のひらを上に向けた。
「空気の中にも、水の中にも、土の中にも。もちろん、僕たちの身体の中にもね」
「マナ、だろ?」
「その通り! 魔力の源となるエネルギーを、一般的にはマナって呼ぶんだよ」
そう言いながら、指先を小さく動かす。再び、赤い光が灯った。
「でね。魔導士は、このマナに干渉することで魔法を使うんだ」
「干渉?」
「うん。簡単に言うと、マナに命令するようなものかな」
マシューは指先の炎を見つめる。
「例えば、この《灯火》。空気中のマナを集めて、炎という形に変換しているんだ」
小さな炎が、指先でゆらゆらと揺れた。
「でも、ただ集めるだけじゃ駄目。どんな現象を起こしたいのか、どうやって起こすのか。それをきちんと定めてあげなきゃいけないんだよ」
「……それが術式か?」
マシューの目が、ぱちりと大きく開かれた。
「おっ!」
そして、嬉しそうに笑う。
「なんだ、知ってるじゃん!」
「……いや、今思い出した」
「ふぅん?」
マシューは不思議そうにこちらを見ていたが、やがて授業を再開した。
「そう。術式っていうのはね、マナに対して、どんな現象を起こすかを定めるためのものなんだ」
そう言って、地面へ枝で図形を描き始める。大きな円。その内側に、小さな円。さらに、いくつかの線と記号。
「例えば炎の魔法なら、燃焼という現象を引き起こすための術式が必要になる」
マシューは図形の中央を指差した。
「だけど、これを全部頭の中で組み立てるのって、結構大変なんだよ?」
「……そうなのか」
「そうなの!」
力強く頷く。
「だから、僕たちみたいな魔導士は、何度も何度も同じ術式を練習するの。そうして身体に覚え込ませるんだ」
「なるほど」
「慣れてくると、さっきみたいに簡単な詠唱だけで使えるようになるんだよ」
マシューは再び指を動かした。すると、先ほどの炎がふっと消えた。
「もちろん、難しい魔法だとそうはいかないけどね」
「……難しい魔法?」
「うん。例えば、大規模な攻撃魔法とか、複雑な結界魔法とか」
マシューは少し考えるように顎へ指を当てた。
「そういうものは術式も複雑になるし、必要なマナの量も増える。だから魔法陣を用いたり、長い詠唱を使ったりすることもあるんだ」
「じゃあ、魔法の威力は使うマナの量で決まるのか?」
「んー半分正解かな、確かにマナの量は大切。でも、それだけじゃないんだよ」
そう言うと、マシューは地面へ二つの円を描いた。
「同じ量のマナを使っても、術式の精度が低ければ無駄が多くなる。逆に、優れた術式なら少ないマナでも大きな効果を生み出せるんだ」
「効率の問題か」
「そういうこと!」
マシューは満足そうに頷いた。
「それに、魔法には適性もあるからね。火が得意な人もいれば、水が得意な人もいる。人によって扱いやすい術式が違うんだ」
「マシューは?」
「僕?」
「ああ。何が得意なんだ?」
そう尋ねた途端、マシューはにんまりと笑った。
「ふふふ……聞いちゃう?」
「なんだよ」
「本当に聞いちゃう?」
「いや、別にいいけど」
「あっ! ちょっと待って! 聞いてよ!」
慌てたように袖を引っ張られた。
「せっかく格好よく教えてあげようと思ったのに!」
「じゃあ、教えてくれ」
「もう。しょうがないなぁ」
マシューは小さく咳払いをした。そして、得意げに胸を張る。
「僕はね、術式の構築が得意なんだ」
「術式の構築?」
「そう。既存の術式を覚えて使うだけじゃなくて、その仕組みを理解して、組み替えたり、調整したりすること」
マシューは焚き火を指差した。
「例えば、さっきの《灯火》もそうだよ。普通は小さな火を一瞬だけ発生させる術式なんだけど、僕はそれを少し変えて、指先に留められるようにしてるんだ」
「へえ」
「火を移したい場所まで運べるから、便利でしょ?」
「確かに」
俺が感心すると、マシューは見るからに嬉しそうな顔をした。
「えへへ。もっと褒めてもいいんだよ?」
「すごいな、マシュー」
「……えっ?」
マシューが一瞬固まった。それから、照れくさそうに視線を逸らす。
「そ、そんな素直に言われると、ちょっと困るんだけど」
「お前が褒めろって言ったんだろ」
「そ、そうだけどさ!」
唇をむっと一文字に結ぶ。しかし、その口元はどうにも緩んでいた。
「まあ、悪い気はしないかな」
小さく呟く。どうやら、褒められることにはあまり慣れていないらしい。そんなやり取りをしているうちに、鍋から良い香りが漂い始めた。
「……おっ」
マシューが鼻をひくひくと動かす。
「そろそろかな?」
鍋の蓋を開けると、白い湯気がふわりと立ち上った。その向こうには、柔らかく煮えた肉と根菜が見える。マシューは木匙で中身をかき混ぜると、小袋に入っていた白い粉を少しずつ加え始めた。すると、さらさらとしていたスープに、とろみがついていく。
「それは?」
「秘密の調味料!」
「秘密?」
「そう! マシュー特製シチューの、秘密の決め手なのです!」
そう言って、得意げに笑った。
「まあ、乾燥させた乳と穀粉と、ちょっとした香草を混ぜただけなんだけどね」
「全部言ってるじゃないか」
「あっ」
マシューが固まった。それから、ゆっくりとこちらを見る。
「……今のなし」
「無理だろ」
「なしったら、なし!」
マシューは慌てて小袋を背中へ隠した。
しかし、すでに手遅れだった。俺はそれがなんだかおかしくて笑ってしまった。
「もう。トーマってば、いじわる」
その言い方が妙に拗ねていて、俺はますます笑ってしまった。
「悪い悪い」
「ほんとに悪いと思ってる?」
「ああ」
「じゃあ…おいしかったらちゃんと褒めてね?」
「何を?」
「シチュー!」
即答だった。
「だって僕、料理には結構自信あるんだもん」
「わかった、わかった」
「約束だからね!」
そう言って、マシューは嬉しそうに鍋をかき混ぜた。
やがて、シチューが完成した。二つの木椀に注がれたそれは、思っていた以上に本格的なものだった。白く濁ったスープには、肉と根菜がたっぷり入っている。香草の爽やかな香りが湯気に混じり、なんとも食欲を刺激した。
「はい、トーマ!」
マシューが木椀を差し出してくる。
「熱いから気をつけてね」
「ああ。ありがとう」
「ふふっ。どういたしまして」




