第三章
森は刻一刻と夜へ向かっていた。夕焼けの橙色は次第に薄れ、頭上には淡い紫色の空が広がり始めている。遠くの木立の向こうでは、他の生徒たちが起こした焚き火が、ひとつ、またひとつと灯り始めていた。マシューはそれらを確認すると、満足そうに頷いた。
「よしっ。じゃあ、僕たちも火を起こそうか」
そう言って、その場にしゃがみ込む。小枝を組み、その下に乾いた葉と細かな木屑を詰め込んでいく。その手つきは中々に手慣れたものだった。
「……火打ち石は?」
俺が尋ねると、マシューはきょとんとした顔でこちらを見上げた。
「火打ち石?」
「ああ。火を起こすんだろ?」
「……ふふっ」
「な、なんだよ」
「いやぁ。キミ、今日は本当に面白いね」
マシューは口元を袖で隠しながら、くすくすと笑っている。
「ねえ、トーマ。僕が何を学んでいるか覚えてる?」
「……魔導士だから魔法、だろ?」
「正解!」
マシューは嬉しそうに人差し指を立てた。
「だったら、わざわざ火打ち石なんて使わなくてもいいじゃん」
そう言って、組み上げた小枝へ片手を向ける。
「よーく見ててね」
マシューの表情が、ほんの少しだけ変わった。先ほどまでの子供っぽい笑みが消え、代わりに静かな集中が宿る。細い指先が、宙に小さな円を描いた。その動きに合わせるように、周囲の空気が僅かに揺らぐ。
「――《灯火》」
短い詠唱。
次の瞬間、マシューの指先に小さな赤い光が灯った。それは蝋燭の火にも似ていた。風に揺らぐこともなく、ただ静かに、指先から数センチほど離れた空間で燃えている。
「おお」
思わず声が漏れた。マシューは得意げにこちらを見る。
「ふふん。どう?」
「すごいな」
「えっ?」
今度はマシューが驚いたように目を丸くした。
「……すごい?」
「ああ。何もないところから火が出た」
「……ぷっ、あははっ! なにそれ! 子供みたいな感想!」
「仕方ないだろ。そう見えたんだから」
「もうっ。魔法なんだから当たり前でしょ!」
そう言いながらも、随分と嬉しそうだった。マシューは小さな炎を薪の下へ移動させる。乾燥した木屑が赤く光り始め、やがて小さな炎を上げた。
炎は細い枝を舐めるように広がり、やがて小さな焚き火となった。綺麗な色の火がマシューの顔を下から照らす。
「はい、完成!」
マシューは両手を軽く払った。
「いやぁ、やっぱり魔法って便利だね!」
「本当に便利だな」
「でしょ?」
そう言って、胸を張る。
「もっと褒めてもいいんだよ?」
「さすがマシュー先生」
「ふふん。よろしい!」
満足げに頷いた。
……どうやら、この呼び方が気に入ったらしい。俺は焚き火を眺めながら、先ほどの光景を思い返した。指先に灯った火。不思議なものだ。
確かに魔法というものの存在は知っている。知識としては、頭の中にある。
だが、実際に目の当たりにすると、どうにも現実感が湧かなかった。
「……なあ、マシュー」
「んー?」
「今の魔法、どうやって使ったんだ?」
マシューは、ぱちりと瞬きをした。それから、ゆっくりと口元を緩める。
「……おやおや?」
「なんだよ」
「もしかして、トーマ君は魔法に興味がおありで?」
妙に丁寧な口調だった。
「まあ、少しな」
「ふふふっ!しょうがないなぁ。そんなに知りたいなら、このマシュー先生が特別に教えてあげよう!」
そう言うと、どこから取り出したのか、細い枝を一本拾い上げる。そして、地面へ小さな円を描いた。
「でも、その前にご飯にしよっか」
「ご飯?」
「そう! 腹が減っては魔法も使えぬ、ってね!」
「そんな格言あったか?」
「今作った!それにさ、僕、もうお腹ぺこぺこなんだよねぇ」
そう言いながら、自分の腹をさすっている。その仕草があまりにも切実だったので、俺は思わず笑ってしまった。
「わかったよ」
「やった!じゃあ今日は、特別に僕の特製シチューをご馳走してあげよう!」
そう言って、背嚢の中をごそごそと探り始める。取り出したのは、小さな鍋と布に包まれた食材だった。乾燥させた肉、硬そうな根菜、何やら香りの強い乾燥葉。そして、白っぽい粉の入った小袋。
「随分いろいろ持ってるんだな」
「ふふん。備えあれば憂いなし、だよ」
「その割に、薪はなかったけどな」
「むっ」
マシューの手が止まった。
「それはトーマの担当でしょ!」
「そうだったな」
「もうっ。意地悪!」
頬を膨らませながらも、マシューは楽しそうに鍋を準備していく。荷馬から水袋を取り、鍋へ水を注ぐ。そこへ乾燥肉と刻んだ根菜を入れ、簡易的な竈に囲まれた焚き火の上へそれを置いた。




