第八章
「……それで、俺たちどっかで会ったことある?」
居間の椅子へ腰を下ろしたトーマは、向かいに座る少女へ水を差し出しながら問う。
「いえ!直接お話しするのは初めてです!」
「……だよな」
あの宴のとき、帝国と王国の生徒たちが訪ねてきたことは覚えている。
だが、当時は意識がはっきりせず、遠くにいた五人の顔まではよく見えなかった。
「私、あの森林行軍に参加していたんです」
ミレイユは水を一口飲んでから続けた。
「ローデン王国の生徒達と共に、帝国の皆さんと協力しながら戦っていました」
「ああ、そうだったのか」
「はい。それで、あの夜のことを聞いて、どうしても一度お会いしたかったんです!」
少女は、ぐっと身を乗り出した。
「トーマさん!」
「お、おう」
「私、感動しました!」
「…………は?」
思いがけない言葉だった。トーマが目を瞬かせると、ミレイユは真剣な顔で続けた。
「一人であれだけの魔物を相手に戦ったなんて、本当にすごいことだと思います!」
「……いや、そんな」
「しかも、誰かに命令されたわけでもないんですよね?」
「……まあ、そうだけど」
「だったら、なおさらです!」
ミレイユは拳を握った。
「私だったら、きっと逃げてしまったと思います。あんな数の魔物を目の前にして、立ち向かうなんて……!」
トーマは、困ったように頭を掻いた。
どうにも、こういう褒められ方には慣れていない。
「別に格好いいもんじゃねえよ」
「そんなことありません!」
「……あのな。俺だって、怖かったんだぜ?」
ミレイユが目を瞬いた。
「……怖かった、ですか?」
「そりゃそうだろ。死ぬかと思ったし、実際に何度も死にかけたしな。途中からは、何が何だかわかんなくなってたよ」
そういって苦笑する。
「……でも、怖くても決して逃げなかったんですよね?」
「まあな」
「だったら、やっぱりすごいです!」
まったく、話が通じていない。トーマは吹き出した。
「お前、面白い奴だな」
「えっ?そ、そうでしょうか?あまり友人からは面白いなどとは言われないものでして。」
ミレイユは、きょとんとした。
「馬鹿にしているわけじゃないぞ、その真っすぐな感じが好印象だっていう話で」
そう言うと、少女は照れくさそうに笑った。
「馬鹿正直とは……よく言われます」
「だろうなぁ、馬鹿は余計だと思うけど」
トーマは水を一口飲んだ。しばらくして、ミレイユが少しだけ姿勢を正した。
「あの、トーマさん」
「ん?」
「私、王国の騎士家に生まれたんですけど……実は、貴族の中でもあまり高い身分ではないんです」
「……そうなのか?」
「はい。下級の騎士家でして、領地だって小さなものですし、家も全然裕福じゃありません」
ミレイユは苦笑した。
「大きなお屋敷なんてありませんし、家では自分で薪も割ります。畑仕事だって手伝いますよ」
トーマは黙ってミレイユの話を聞いていた。
「だから、私なんて平民みたいなものです!」
実にあっけらかんとした言い方だった。トーマは笑った。
「……いや、平民みたいって。貴族なんだろ?」
「そうなんですけどね!」
ミレイユも笑った。
「でも、学園の貴族課程には、私なんかとは比べものにならないくらい立派な家の方々がたくさんいますから。最初は、すごく緊張しました」
少女は少しだけ肩を竦めた。
「食事の作法とか、言葉遣いとか、もう大変で。剣術や槍術の訓練なら誰にも負けないつもりだったんですけど、礼儀作法の授業では何度も叱られました」
「そりゃ大変だ」
「本当ですよ!剣を振っていた方がよっぽど楽です!」
そう言って、ミレイユは大きく笑った。トーマもつられて笑ったが、すぐに脇腹を押さえる羽目になった。
「……たたたっ」
「――あっ!」
ミレイユが慌てて立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……ああ、大丈夫。ちょっと響いただけだ」
「す、すみません!私が笑わせてしまったから……!」
「いやいや、別にお前のせいじゃねえよ」
トーマは苦笑しながら手を振った。すると、ミレイユは眉を寄せた。
「やっぱり、まだ痛むんですね」
「まあ、そりゃあな」
「だったら、あまり無理しないでください……」
先ほどまでの元気な調子とは違う、少し真剣な声だった。
「トーマさんが頑張ったことは、本当に尊敬しています。でも、だからって身体を壊してしまったら意味がありません」
「…………」
「……私、騎士になりたいんです」
ミレイユは、続けた。
「強くなって、誰かを守れるようになりたい。だから、トーマさんみたいな人は本当にすごいと思います」
そこで、一度言葉を切った。
「……でも」
少女は、トーマをまっすぐ見つめた。
「守る人が、先に倒れてしまったら駄目だと思うんです」
トーマは、何も言わなかった。ミレイユは慌てて手を振った。
「あっ!別に説教したいわけじゃありませんよ!その、なんていうか……!」
言葉を探しながら、頬を掻く。
「……ちゃんと、自分のことも大切にしてくださいってことです!」
その表情は、実に真剣だった。トーマはしばらく彼女を見つめていた。それから、小さく笑った。
「……そっか、ありがとなミレイユさん」
「……はい」
ミレイユは、目を見開いた。そして、嬉しそうに頷いた。
「……はいっ!」
「……ところで!一つお願いがあるんですが!」
しばらくして、ミレイユが再び身を乗り出した。
「何だ?」
少女は、背筋をぴんと伸ばした。
「身体が治ったら、私と組手をしていただけませんか!」
トーマは、目を瞬いた。
「……組手?俺と?」
「はい!」
まったく迷いのない返事だった。トーマは、苦笑した。
「……いや、お前、王国の騎士なんだろ?相手には困らないんじゃないのか?」
「正確には騎士候補生です!」
「……まあ、そうだけど」
「それに、私、槍術には結構自信があるんです!」
ミレイユは胸を張った。
「学園の訓練でも、同級生にはあまり負けません!」
「へえ、すごいじゃん」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに答えたあと、少女は急に真剣な表情になった。
「でも、やっぱりもっと強くなりたいんです。今回の森林行軍で、よくわかりました。訓練でできることと、実際の戦場でできることは全然違うんだって」
ミレイユは、自分の手を見つめた。
「……私も怖かったんです」
その声は小さかった。
「魔物が次々と襲ってきて、目の前で人が倒れて……。槍を握っているのに、何度も身体が動かなくなりそうになりました。リディア様がたびたび助けてくれなかったら、死んでたかもしれないって思います。」
トーマは、黙って話を聞いていた。
「だから、もっと鍛えなきゃって思ったんです。いつか、本当に誰かを守れる騎士になるために。だから……」
ミレイユは顔を上げた。
「トーマさんの戦い方を、ぜひ一度見てみたいんです!」
「……俺の戦い方、ねえ」
トーマは、困ったように笑った。
正直なところ、自分でもよく覚えていないのだ。あの夜、剣を振るっていた感覚は残っている。
だが、どうしてあんな動きができたのかと聞かれても、うまく説明できる自信はなかった。
「あんまり参考にならないと思うぜ?」
「そんなことありません!」
「……いや、本当に」
「それでも構いません!」
その勢いに、トーマはとうとう笑ってしまった。
「ははっ!わかった、わかった!」
痛む脇腹を押さえながら、片手を上げる。
「なんだか嬉しくなっちゃったよ、ありがとな。身体が治ったらそのときは相手してやるよ」
「――本当ですか!?」
「ああ、ミレイユさんの胸を借りるよ」
「ありがとうございます!借りるのはこちらですよ!」
ミレイユは、勢いよく頭を下げた。その拍子に、結んでいた髪が大きく揺れる。
「楽しみにしています!」
「お、おう」
トーマは、少しばかり気圧されていた。
何というか。元気な奴だ。それが、彼女に対する率直な感想だった。
だが、不思議と嫌な気分はしなかった。むしろ、こういう裏表のない相手と話しているのは、なかなか楽しい。
そう思ったときだった。
がちゃり。玄関の扉が開いた。




