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第七章

 「――皆様!」

 澄んだ声が、広場に響いた。

 人々が振り返るとそこには二人の少女が立っていた。

 セレスティア・ルーメンハルトと、フィオナ・エル・セラフィスだった。

 二人は救護天幕で負傷者の診察を手伝っていたのだが、広場で騒ぎが起きていると聞き、戻ってきたのである。

 「セレスティア様、診察お疲れ様です」

 レオンハルトが軽く頭を下げた。リディアたちもそれに倣う。ガンズとゴンズも、僅かに姿勢を正した。

 「天幕まで声が聞こえてまいりました。ずいぶん賑やかですね、何かありましたか?」

 セレスティアは穏やかに尋ねた。その声に怒りはなく、むしろ普段と変わらない柔らかな笑みさえ浮かべている。

 しかし、誰もすぐには答えられなかった。

 「……あのですね!」

 最初に口を開いたのはフィオナだった。

 「私、少し聞き耳を立てておりまして、あっ、実は耳には自信があるんです!それで途中からしか聞いていないんですけど、帝国と王国の方々が勇士様に会いたいっておっしゃっているんですよね?でも共和国の皆さんは昨夜来なかったことに怒っていて、だけど帝国と王国の方々は負傷者の救護をしていたわけで、だからどちらも間違っているわけではないと思うんですけど、でもでもこのままだと本当に喧嘩になっちゃいそうで!喧嘩になっちゃうとそれはそれはよくないと思います!」

「……フィオナ」

「はい!」

「少し、落ち着きましょうか」

「あっ……す、すみません!」

 フィオナは慌てて口を押えた。

「いいえ。おかげで事情はよくわかりましたよ」

 セレスティアは小さく笑った。それから、ガンズとゴンズへ向き直る。

「お二人とも、昨夜は本当にありがとうございました」

 丁寧に頭を下げる。

 「皆様のおかげで、あの方、トーマさんを救うことができました」

 ガンズの表情が少しだけ和らいだ。

 「……いや、俺たちは当然のことをしただけだ」

 「それでも、です。自ら危険に飛び込んでまで、誰かの命を救おうとするのは簡単なことではありませんから」

 ガンズは黙って頷いた。

 続いて、セレスティアは五人へ目を向けた。

 「レオンハルト様。皆様も、昨夜は負傷者の救護に尽力されたと伺っております」

 「ええ。我々は西側防衛区域の負傷者を収容し、防衛線を維持しておりました」

 「ありがとうございます。皆様があの場所を守ってくださったからこそ、救われた命も多かったことでしょう」

 クラウディアの表情が、僅かに和らいだ。

 「……ですが今はトーマさんを休ませて差し上げてくださいませんか?」

 「トーマ様というのですね。容体が、よろしくないのでしょうか」

 リディアが尋ねた。

 「命に別状はありません。ただ、まだ十分に言葉を交わせる状態ではないのです。つい先ほども無理に起き上がろうとしておられました。今は、ほんの少しの動作でもお身体に負担がかかります」

 入口付近の視線が宴の中心へ向けられた。人垣の隙間から、毛布に横たわる少年の姿が見える。傍らには、小柄な生徒が付き添っていた。

「あの少年が?」

 レオンハルトが小さく呟いた。

 「ええ」

 セレスティアは頷いた。

 「昨夜、《戦士の咆哮》を使い、魔物の群れを一身に引き受けた方です」

 その少年は自分たちとそう年齢の変わらなかった。しかも、身に纏っているのは貴族課程の制服ではなかった。

 「……平民の生徒、なのですか?」

 リディアが尋ねた。

 「はい。そう伺っています」

 「……そんな」

 ミレイユは、もう一度少年を見た。

 昨夜のことを思い出す。

 魔物たちが一斉に背を向け、森の奥へ殺到していく光景も。あの中心にいたのが、目の前の少年だったというのか。

 「お名前は、トーマさんというのですね。トーマ……」

 レオンハルトは、その名を静かに繰り返した。

 聞き覚えのない名前だった。この学園では貴族課程と平民課程の教育が分かれている。

 平民課程の生徒を一人ひとり知っているわけではないし、顔を合わせる機会も多くない。

 それでも、昨夜の戦いを思い返せば、胸に残るものがあった。

「……あの少年が、我々を救ってくださったのですね」

 レオンハルトは呟いた。

 リディアは答えなかった。ただ、遠くで横たわる少年を見つめている。名も知らず、顔も知らなかった。どのような人物なのかさえ、わからない。

 それでも、彼が魔物を引きつけたことで、多くの命が救われたのは事実だった。

 「……セレスティア様」

 レオンハルトが再び口を開いた。

 「少しだけでも、お話をさせていただけませんか」

 しかし、セレスティアは首を振った。

 「申し訳ありません。今は本当に休息が必要なのです。それに、今夜は彼らにとっても大切な宴ですから」

 セレスティアは共和国の生徒たちを見る。

 「……宴、ですか」

 「ええ。共和国では、《戦士の咆哮》を使った勇士が生きて帰ったとき、盛大な宴を開くのだそうです」

 セレスティアは、ガンズとゴンズへ微笑みかけた。

 「そうでしたね?」

 「……ああ、俺たちにとっちゃ大事な宴だ」

 ガンズが頷く。

 「でしたら、今夜はその流儀を尊重していただけませんか?」

 セレスティアは再び五人へ向き直った。

 「もちろん、皆様が感謝を伝えたいというお気持ちもわかります。勇士様のお働きを思えば、当然のことだと思います」

 そこで、一度言葉を切った。

 「ですが、そのお気持ちは、今日でなければ伝えられないものでしょうか。感謝以外の思惑が本当にないと言っていただけるのでしょうか?」

 レオンハルトは黙っていた。

 「皆様がここに来られたことも、勇士様へ感謝しておられることも、私から必ずお伝えします。ですから、今夜はどうか、あの方を休ませて差し上げてください」

 少しの沈黙が流れた。やがて、セレスティアは深く頭を下げた。

 「……どうか、本日はお引き取りください」

 その姿に、五人は息を呑んだ。アウレリア神聖教導国の聖女が、帝国と王国の士官候補生たちへ頭を下げている。

 命じるのでもなく、責めるのでもない。

 ただ願っている。

 レオンハルトはしばらくセレスティアを見つめていた。それから、静かに頷いた。

 「承知いたしました」

 「レオンハルト様……」

 リディアが顔を上げる。

 「これ以上、我々の都合を押し通すべきではないでしょう。これ以上は不毛です」

 レオンハルトはそう答えると、セレスティアへ丁寧に頭を下げた。

 「本日は失礼いたします。トーマさんには、どうかよろしくお伝えください」

 「はい。確かにお預かりいたします」

 セレスティアは微笑んだ。

 レオンハルトが踵を返す。

 リディアもそれに続いた。

 クラウディアはなおも不満そうな表情を浮かべていたが、何も言わなかった。

 エリシアは一度だけ広場の奥へ目を向け、それから歩き出した。

 最後に残ったのはミレイユだった。

 「……あの、トーマさんは本当に大丈夫なのですか?」

 「ええ。今はたくさんの方に囲まれて、ゆっくり休んでおられます」

 「そうですか……」

 ミレイユは、ほっとしたように息を吐いた。

 「それなら、よかったです」

 小さく頭を下げ、仲間たちの後を追った。その背中を見送りながら、セレスティアは息を吐いた。

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