第七章
広場のあちこちから、歌声が聞こえ始めた。
共和国の生徒たちが肩を組み、卓を叩いて拍子を取っている。誰かが足を踏み鳴らせば、周囲の者たちもそれに合わせた。音程を外す者もいれば、歌詞を間違える者もいたが、そんなことを気にする者はいない。やがて歌声は、広場全体に広がっていった。
「……すごいね」
マシューが呟いた。
「ん?歌っすか?」
「うん。昨日、あんなことがあったのに……亡くなった人も、いるんでしょう?」
「……そうっすね」
「なのに、みんな楽しそうにしてる」
責めるつもりはなかった。
ただ、不思議だった。
昨日まで共に戦っていた仲間を失い、それでもこうして歌い笑い、宴を開けるということが。
「共和国じゃあ、亡くなった仲間のことを、悲しむだけで終わらせるなって教えがあるんす」
カイルは杯を傾けながら話す。
「……悲しむのは、いけないの?」
「いやいや、そうじゃねえっす」
慌てて首を振り、否定する。
「友達が死ねば悲しいし、泣きたくもなる。俺っちだって泣くときは泣くっす」
少し離れた焚き火の傍では、大柄な熊人の生徒が杯を掲げていた。目元が赤い。
昨夜の戦いで、親しかった仲間を亡くしたのだという。
「でも、そいつが何のために戦ったのか、それは忘れちゃいけねえんす」
「戦いの理由?」
「そうっす。家族を守るために死んだ奴もいる、仲間を逃がすために死んだ奴もいる、みんな死にたくなかっただろうに、それでも戦った。生き残った俺たちは、死んだ奴らが、あぁ死んだかいがあったなって思える毎日を過ごす、こう……義務みたいのが生まれるんすよ」
マシューは黙って聞いていた。
「名前を呼んで、好きだった料理を食って、あいつはこんな奴だったって、みんなで話すんす。泣いたっていい。でも、悲しいだけで終わらせちゃいけねえ」
「……どうして?」
「死んだ奴がつないだものを、俺っちたち自身が粗末にする。それこそが死者への冒涜だって、教わったっす」
普段の軽い調子とは違う、静かな声だった。
「だから、生きて帰ったことを喜ぶんす。食って、笑って、また明日も生きる。俺っちたちの国じゃ、それが弔いにもなるんすよ」
マシューは、しばらく考え込んでいた。そのとき、広場の中央から大きな声が響いた。
「――逝った仲間たちに!」
一人の熊人が、杯を高く掲げていた。周囲の生徒たちが、次々と顔を上げる。
「――その勇気に!」
別の誰かが応じた。
「――その誇りに!」
いくつもの声が重なる。
「――そして、俺たちの明日に!」
「「「――乾杯ッ!!」」」
一斉に杯が掲げられた。
笑う者がいた。
涙を流す者もいた。
隣の友人の肩を抱き、帰らなかった仲間の名前を口にする者もいる。
誰も、亡くなった者たちを忘れてはいなかった。
やがて、再び歌が始まった。先ほどよりも、ずっと大きな歌声だった。
「そっか」
マシューは小さく呟き、隣で眠るトーマへ視線を落とした。
この少年も誰かを生かすために、あれほどの無茶をしたのだろう。そっと手を握る。まだ少し熱を帯びた指先から、確かな温もりが伝わってきた。
マシューは、その手をしばらく離さなかった。
宴が始まってしばらく経った頃、広場の入口で一人の共和国の生徒が立ち上がった。
「……おい」
手にしていた杯を卓へ置き、入口の方へ顎をしゃくる。
「あれ、帝国の連中じゃねえか?」
隣の生徒が振り返った。広場へ続く道に、五人の男女が立っていた。
ヴァルクレイン帝国のレオンハルト・フォン・クラウンベルク。
その妹、エリシア・フォン・クラウンベルク。
同じく帝国のクラウディア・フォン・ローゼンフェルト。
さらにローデン王国のリディア・エル・アズールと、ミレイユ・ラ・フォルジュ。
いずれも貴族課程に所属する士官候補生であり、昨夜は帝国と王国の混成部隊として、西側防衛区域の維持と負傷者の救護にあたっていた。
五人がここを訪れた目的は、昨夜の戦いで大きな功績を挙げたという者に、直接感謝を伝えるためだった。レオンハルトは広場を見渡し、近くにいた共和国の生徒へ声をかけた。
「失礼。こちらに魔物の殲滅に多大なる貢献をされた方がいらっしゃると伺ったのですが」
相対した共和国の生徒は答えなかった。代わりに、ゆっくりと杯を卓へ置いた。
「あんた、帝国の人間だな?」
「ええ。レオンハルト・フォン・クラウンベルクと申します」
「クラウンベルク、ああ、あの公子様か」
帝国の名門貴族。その名を知らない者は、共和国でも少なかった。
「で、その公子様が何の用だ?」
「その方に、一度お会いしたいのです。我々もその方の働きによって、多くの命を救われました。できれば直接、お礼を申し上げたいと思っております」
「へえ?今さらかよ」
生徒はレオンハルトを威圧するように席を立つ。
「と、申しますと?」
「別に。ただ、帰ってくれってことだ」
レオンハルトの眉が動いた。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「勇士は休んでる。それだけだ」
「それは承知しております。お身体に障るようであれば、無理にお話しいただくつもりはありません。ただ、お見舞いの言葉だけでも――」
「だから、帰れって言ってんだよ」
生徒の声が大きくなった。近くにいた者たちが、一斉に振り返る。
「何だ?」
「どうした?」
「帝国の連中が勇士に会わせろってさ」
次々と椅子を引く音がした。
一人、また一人と共和国の生徒たちが立ち上がる。互いに何かを相談するでもなく、自然と広場の中央へ続く道を塞ぎ始めた。
その奥には、毛布に横たわる一人の少年がいる。
「……これは、どういうことですの?私たちは、ただ感謝を伝えに参っただけですわ」
エリシアは訝しげに眉を顰める
「感謝だったら、昨日してくれりゃよかったのによ」
教唆国の生徒は皮肉を込めて言い放つ。
「……昨日?ですって?」
クラウディアが一歩前へ出た。
「何をおっしゃりたいのか、はっきりしていただけませんこと?」
「わからねえのか?」
生徒は彼女を睨み返した。
「昨日、あの声が聞こえただろうが」
五人の表情が変わった。
森の奥から響いた、人間のものとは思えない咆哮。そして、それを境に一斉に動き始めた魔物たち。当然、覚えていた。
「……ええ、確かに聞こえました」
レオンハルトが答える。
「言ったな?聞こえたんだな?だったら、もう話すことはねえよ。帰ってくれ。ここはあんたらの来る場所じゃない、これ以上水を差すな」
その態度に、リディアが口を開いた。
「お待ちください。昨夜、我々も多くの負傷者を救護しました。その中には共和国の生徒もいたはずです」
「……それで?」
「互いに命を救い合った者同士です。感謝を伝えることまで拒まれる理由が、私にはわかりません」
生徒は、しばらくリディアを見つめていた。
「そうだよな、あんたらにはあんたらの言い分があるんだろうさ、そりゃわかるさ、わかるだけだがな」
それだけ言って、道を譲ろうとはしなかった。
広場の入口には、いつの間にか十数名の共和国生徒が集まっていた。先ほどまで聞こえていた歌声も、入口に近い卓から順に止んでいく。




