↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/49

幕間 記憶の残滓


どれだけの力を持っていても

守れなかった明日を知っている

俺様は、私は、我は、儂は英雄だった

帰れなかった者たちだった

だから君に託そう

我々が手にできなかった

何者でもないただの幸せを





 夜が明けようとしていた。


 中央拠点の救護天幕では、治癒魔導士たちが夜通し負傷者の手当てに追われていた。外では生徒の安否を確かめる声が飛び交い、時折、担架を運ぶ兵士たちの足音が近づいてくる。

 その片隅で、トーマは眠っていた。

 全身に巻かれた包帯。血の気を失った顔。身体のあちこちに残る傷は、《天上の慈雨(ルミナス・グレイス)》と治癒魔導士たちの手当てによって塞がれていたが、失った体力までは戻っていない。

 寝台の脇には、一人の少年が座っている。

 マシューだった。

 彼はトーマの手を握り、何度となくその顔を覗き込んでは、確かめるように名前を呼んでいた。

「……トーマ」

 返事はない。

「……まったく、キミって奴は」

 マシューは小さく息を吐いた。

「……馬鹿なんだから」

 その声は、少し震えていた。

 けれど、眠るトーマがその言葉を聞くことはなかった。

 彼の意識は、今も深いまどろみの中にあった。

 そしてその奥底では五人の人影が彼を見つめていた。 




 そこには、空がなかった。

 ただ、果てしなく続く白い空間と、古びた石畳が広がっている。

 遠くには崩れかけた石柱が幾本も立ち、ところどころに見覚えのない旗が垂れ下がっていた。

 色褪せた白銀の旗。

 風を受けて翻る、赤茶けた戦旗。

 青地に紋章が刺繍された騎士旗。

 そして、古代文字の刻まれた魔導布。

 いずれも、かつてこの世界のどこかに存在していたものだった。

 石畳の中央に、一本の長剣が突き立てられている。

 それを囲むように5つの椅子が置かれている。

 椅子にはそれぞれ、誰かが座っていた。


「がっはっはっは!見たか、おい!あの小僧、やりやがったぞ!いやあ、あれはよかった!俺様の戦士の咆哮(バトルクライ)を使いやがったんだ!しかも、ちゃんと仲間が駆けつけてきたじゃねえか!六百年だぞ、六百年!俺がくたばってから、そんなに経ってるってのによ!」


「……随分と嬉しそうね」


「だってそうだろうが!俺様たちの時代じゃ、誰かが咆哮を使えば必ず仲間が駆けつけたんだ。それが今でも残ってるってんだから、嬉しくもなるだろ?」


「ええ。そうでしょうね」


「それにあの犬っころ、なかなかいい面構えだったじゃねえか。あいつは気に入ったぜ」


「カイルという子だったかしら?」


「名前なんざ知らねえが、いい戦士だ。あの狐の嬢ちゃんもな」


「そうね。あの子たちが来てくれなければ、危なかったもの」


「……危なかった、で済む話かのう?」


「儂には、あれが随分と無謀な戦いに見えたがのう」


「何だよ、爺さん。水を差すんじゃねえよ」


「水も差したくなるわい。いったい何体を相手にしておったと思う? しかも、通常の武器では討ち取れぬ原典魔種まで三体おったのじゃぞ?」


「だからこそ、俺様の咆哮を使ったんだろうが」


「使った結果、死にかけたではないか」


「まぁもうすこし上手くやれたかもしれねーなぁ」


「上手くやれた、では済まぬだろう。お前の咆哮は、本来仲間との連携を前提とした技なのだろう」


「そうだったかもなぁ」


「ならば、仲間の存在を確かめる前に使ったのは失策だ」


「……お前さん、相変わらず厳しいねえ」


「事実を述べたまでだ」


「ったく。千年経っても堅物は堅物のままかよ」


「六百年経っても粗野な者に言われたくはない」


「おい?今のは喧嘩売ってんのか?」


「買うつもりなら構わん」


「あらあら。二人とも、相変わらずね」


「笑い事じゃねえぞ!」


「ふふっ。ごめんなさい」


「ほっほ。よいではないか。千年前と六百年前の武人が口喧嘩とは、実に歴史的な光景じゃ」


「爺さんまで!」


「……でもさ」


「……あの人、どうして逃げなかったの?」


「もう、立っているのも大変そうだったのに」


「そうね。どうしてだと思う?」


「……わかんない。だって、あんなに痛そうだったんだよ?」


「ええ」


「怖かったと思うんだ」


「……そうでしょうね」


「だったら、逃げちゃえばよかったのに」


「……逃げられなかったのだろう」


「どうして?」


「背後に守るべき者がいたからだ」


「……守るべき人?」


「ああ」


「自分が退けば、誰かが死ぬ。そう考えたのだろう」


「……でも」


「それで自分が死んじゃったら、どうするの?」


「……それでも、守りたいものがあったのだ。自らの命を失うことよりも、守れなかった時の後悔を恐れたのだろう」


「……そうなの?」


「ああ」


「……僕には、よくわかんないや」


「だって、死んじゃったら、もう会えないでしょ?」


「……誰にだ?」


「守りたかった人に。一緒にご飯も食べられないし、お話もできないし、遊ぶこともできなくなっちゃう」


「…………」


「それなのに、守れたからよかったって思えるのかな」


「……わからん」


「……え?」


「我にも、わからんのだ」


「我は、守るために戦った。その選択が間違っていたとは思わない。だが、守った者たち、守りたかった人々と共に生きる時間をほとんど持てなかった。千年が過ぎた今でも、その答えは出ておらん」


「……千年も?」


「ああ」


「……長いね」


「そうだな、随分と長い時間だ」


「……ま、あれだ」


「考えすぎなんだよ、お前さんたちは」


「あら、あなたは考えなさすぎじゃない?」


「うるせえな。俺様はな、戦士が戦う理由なんざ、もっと単純でいいと思ってんだよ」


「……ほう?」


「では、聞かせてもらおうかのう」


「腹が減ったら飯を食う。眠くなったら寝る。仲間が困ってたら助ける。敵が来たらぶっ飛ばす。それだけだろうが」


「実におぬしらしい答えじゃな」


「褒めてんのか?」


「さて、どうじゃろうな」


「俺様たちの頃なんざ、毎年どこかの氏族が争ってたんだ。食い物が足りねえだの、土地を奪われただの、そんな話ばっかりだった。けどな、魔物が攻めてきたとき、そんなもんは関係なくなった。敵対してた氏族の連中だって、同じように血を流してたんだからよ」


「……それで、咆哮を使ったのね」


「ああ」


「最初は、誰も来ねえと思ってた。俺が一人で食い止めてりゃ、少しは逃げられる奴もいるだろうってな」


「……怖くなかったの?」


「怖えに決まってんだろ」


「俺だって死にたくはねえよ。まだ飲み足りなかったしな」


「……お酒?」


「おう。美味え酒が山ほど残ってたんだ」


「……おっちゃんらしいね」


「はっはっは! そうだろう?」


「でもよ、面白えもんでな」


「咆哮を放ったあと、背中から声が聞こえたんだ」


「……声?」


「ああ。槍を持った奴、斧を持った奴、弓を持った奴。今まで散々いがみ合ってきた連中が、みんな俺のところへ来やがった」


「俺様はもう、笑うしかなかったね」


「……嬉しかった?」


「ああ、嬉しかったさ」


「だからな、小僧。戦士ってのは、一人で死ぬために戦うんじゃねえ」


「……うん」


「一緒に生きて帰って、飯を食うために戦うんだよ」


「……そっか」


「おう」


「じゃあ、あの人も帰れるといいね」


「……ああ、そうだな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。