第六章
やがて負傷者の収容は、順調に進み始めた。ミレイユは担架を運び、エリシアは応急処置を手伝う。クラウディアは周辺警戒を指揮し、リディアは救護隊の通り道を確保していた。その全体を、レオンハルトが統括している。
「……残りは?」
「確認できている負傷者は、あと四人です。ただし、森の奥にはまだ取り残された者がいるかもしれません。レオンハルト、捜索範囲を広げてはいかがですか?」
リディアが答えた。
「……そうですね。では、捜索範囲を――」
レオンハルトが言いかけたところで、大分遠くから戦闘の音が聞こえてきた。金属の打ち合う音、魔物の咆哮、兵士たちの怒号。
「……まだ戦っているのね」
クラウディアが眉を寄せた。音がするのは、先ほど魔物たちが向かった神聖国の防衛区域だった。あの人間のものとは思えない咆哮が響いた方角でもある。
「……あちらは相当な数の魔物が集まっているはずですわ」
「ええ。こちらの魔物は消滅したのではなく、移動しただけですから」
レオンハルトは森の奥を見つめた。
「……誰かが戦っているのでしょうね」
「あの叫び声を放った者が、ですか?」
「おそらく」
リディアの問いに答えると、クラウディアが重い口を開いた。
「ですが、魔物たちはすべて、そちらへ向かっています。この数を一度に相手にするなど、到底……」
言葉が途切れる。誰も、その続きを口にしなかった。
「……あの!」
ミレイユが声を上げた。四人の視線を浴びて一瞬だけ身を縮めたものの、すぐに顔を上げる。
「行けませんか? あの声がした方へ」
「……救援に、ということですか?」
「はい。何が起きているのか、私にはわかりません。でも、もし誰かがあそこで戦っているなら……助けに行けませんか?」
小さく拳を握る彼女を見て、リディアが静かに口を開いた。
「……ミレイユ、私もそうしたいと思っています」
「リディア様!」
「ですが、ここにはまだ救護を必要としている人々がいます。彼らを残して、私たちだけがここを離れるわけにはいきません」
ミレイユの表情が曇った。
「……それは、そうですが」
「それに、状況がわからないまま兵を動かすのは危険ですわ」
クラウディアも頷き、槍を地面へ立てた。
「魔物が一か所に集まっているなら、下手に接近した我々まで包囲されるかもしれません。ましてや、ここには負傷者が大勢いるのですから」
「では……見捨てるのですか?私たちは騎士です……」
思わず口をついた言葉に、クラウディアの眉が動く。
「言葉を選びなさい、ミレイユ」
「……申し訳ありません」
「気持ちはわかります。私だって助けられるものなら助けたい。けれど、指揮を執る者が感情だけで動けば、守れるはずの命まで失いかねません」
ミレイユは俯いた。反論したかったが、言い返す言葉が見つからない。
そこでレオンハルトが口を開いた。
「……こちらの戦力を整理しましょう。帝国の重装兵は、すでに相当数が負傷しています。王国の騎士たちも同様でしょう」
「はい。無傷の者は決して多くありません」
リディアの答えを聞き、彼は続けた。
「そして、我々が守っているのは中央拠点の西側です。ここを放棄すれば、結界の側面が無防備になる。魔物が退いた理由も、いつ戻ってくるかもわからない以上、防衛線の維持を優先すべきです」
「……つまり援軍は送らない、ということですのね?」
エリシアが兄を見上げて言う。
レオンハルトは僅かに目を伏せ、それから頷いた。
「……ええ。我々は、ここを動きません」
明確な返答だった。
救護すべき負傷者がいる。守るべき防衛線がある。何より、指揮官には預かった兵士たちの命に対する責任がある。そのすべてを考えれば、決して臆病な判断ではなかった。
「……承知しました」
リディアが答えた。その声には、僅かな迷いが残っている。遠くでは今も戦いが続いていた。誰かが戦っている。そのことだけは間違いない。
けれど、自分たちには自分たちの役割がある。
「ミレイユ」
「……はい」
「負傷者の収容を続けましょう。今ここにいる方々を、確実に助けるのです」
「……わかりました」
ミレイユは小さく頷き、再び担架へ手を伸ばした。
◇
しばらくして、帝国と王国の混成部隊は負傷者の収容をほぼ終えつつあった。ようやく一息ついた兵士たちが、互いに水を分け合っている。
「あれは?」
エリシアが空を見上げた。
神聖国の防衛区域、その上空に巨大な光の魔法陣が浮かび上がっていた。幾重にも重なる術式が、夜空へ白金色の輝きを放っている。
「……上級光魔法? 随分と大規模な術式ですわ」
レオンハルトも顔を上げた。直後、無数の光が夜空から降り注ぎ始めた。まるで星々が地上へ流れ落ちていくようだった。
「……《天上の慈雨》神聖国の広域光魔法ですね」
リディアがそう口にする。
「……なるほど」
光が降り注ぐたび、森の向こうから魔物の悲鳴が聞こえた。そして、やがて歓声が上がった。小さな声が次第に大きくなり、幾つもの声が重なって、夜の森を越えて届いてくる。神聖国の騎士たちと、共和国の生徒たちの声だった。
「……何があったのかしら」
クラウディアが呟いた。答えられる者はいない。ただ、あちらで戦況を変えるほどの何かが起きたことだけはわかった。
「お兄様、私たちは……」
エリシアが兄を見上げた。
「私たちは…」
そこまで言って、口を閉じる。レオンハルトは続きを待ったが、彼女はそれ以上何も言わず、遠くの光を見つめていた。
「……我々には、我々の役割がありました」
「……はい」
「ここに残ったからこそ、救われた命もあるでしょう」
それは事実だった。誰にも否定できない。
レオンハルトは、そこで一度言葉を切った。
「……ですが、戦場の主導権は、すでに我々の手を離れたようですね」
リディアは答えなかった。クラウディアも黙っている。ミレイユは森の向こうを見つめたまま、小さく拳を握っていた。
◇
後に、このノラ森林行軍で起きた魔物の大規模襲撃は、アルカディア統合士官学園の歴史に残る事件として記録されることになる。
各国の生徒と随伴兵が協力した戦い。しかし、その戦功が等しく評価されたわけではなかった。
特に大きく名を残したのは、アウレリア神聖教導国とグランヴェルド連邦共和国である。神聖国はセレスティアの結界によって中央拠点を守り抜き、さらに上級光魔法で原典魔種の討伐に大きく貢献した。共和国は魔物の大群が集まる地点へいち早く駆けつけ、反撃の糸口を作った。
一方、ヴァルクレイン大帝国とローデン王国は、負傷者の救護と防衛線の維持に専念した。その判断によって多くの命が救われたことも、疑いようのない事実だった。
それでも、戦局を転換させる決定的な局面に、両国の主力は参加していない。戦後にまとめられた戦闘報告では、神聖国と共和国の働きが大きく取り上げられ、帝国と王国の随伴指揮官たちにとっては小さくない屈辱となった。
もっとも、このときレオンハルトたちは、まだ知らなかった。
神聖国と共和国の兵士たちが救い出した勇士。あの咆哮を放ち、無数の魔物を一身に引き受けた者が、名もなき平民の少年だったことを。




