第六章
「――こちらです! 誰か、手を貸してください!」
倒木の陰からミレイユの声が響いた。そこには帝国の重装兵が倒れていた。帝国兵は左脚に深い傷を負い、うずくまっている。
「動けますか!」
ミレイユが膝をつくと、帝国兵は苦しそうに頷いた。だが、立ち上がろうとした途端、顔を歪める。
「……ぐっ!」
「無理をしないでください!」
ミレイユは肩を貸したものの、甲冑を纏った成人男性を一人で支えるのは難しい。歯を食いしばっていると、背後から声がした。
「貸しなさい」
クラウディアだった。騎兵槍を地面へ置き、帝国兵の反対側に回り込む。
「立てますか?」
「……ローゼンフェルト様」
「返事を」
「は、はい……」
「ならば、私たちの肩を使いなさい」
クラウディアは兵士の腕を自らの肩に回した。ミレイユが慌てて声を上げる。
「ローゼンフェルト様…鎧が汚れてしまいます…」
「鎧とは、戦場で汚れるものでしょう。それより足元に気をつけなさい。そちらは地面が緩んでいます」
「行きますよ!よいっしょ!」
ミレイユとクラウディアは二人かかりで兵士を立たせる。
彼は申し訳なさそうに俯いた。
「……面目ありません。貴族のご令嬢に、このような……」
「今はそのような話をしている場合ではありません。貴方が生きて帰ることが先です」
「ありがとうございます…王国のお嬢ちゃんもありがとうな」
「はい!大丈夫です、大丈夫ですが…」
クラウディアの横顔を見て、ミレイユは目を丸くした。
帝国の武門貴族、それも名門ローゼンフェルト家の令嬢。もっと厳格で、近寄りがたい人物だと思っていたのだが。
「……どうしました?」
「あ、いえ!」
「ならば急ぎましょう」
「はい!」
ミレイユは笑った。
「クラウディア様って、思っていたより優しい方なんですね!」
「…………」
クラウディアの眉が、僅かに動く。
「……それは、どういう意味かしら」
「あっ、えっと!」
「後ほど詳しく聞かせてもらいます」
「す、すみません!」
そんなやり取りを交わしながら、二人は負傷兵を運んでいった。
その頃、エリシアは倒木の傍らで負傷した王国の生徒を介抱していた。
「……動かないでくださいまし」
少年の腕へ布を巻きつける。傷は深かったが、出血は致命的なものではなさそうだった。それでも放置できる状態ではない。
「……痛みますか?」
「……す、少し」
「そのお顔を見るに少し、ではありませんわね。無理に強がる必要はありませんのよ」
「……はい、ごめんなさい」
少年が頷いたのを確かめ、エリシアは結び目を直して微笑んだ。
「もう大丈夫。すぐに救護班が来ますわ」
「……ありがとう、ございます」
「礼には及びません」
立ち上がると、周囲では帝国と王国の生徒たちが協力して負傷者を運び出していた。
帝国には帝国の誇りがあり、王国には王国の誇りがある。同じ学園で学んでいても、歴史や政治の話になれば、互いに譲らぬことは珍しくなかった。それなのに今は、帝国の兵士が王国の騎士を支え、王国の生徒が帝国の負傷兵へ水を差し出している。誰も、それを不思議とは思っていなかった。
「……おかしなものですわね」
「何がですか?」
背後からレオンハルトが尋ねた。エリシアは振り返り、もう一度周囲を見渡す。
「こうしてみると、帝国も王国も、あまり変わりません」
「……そうですね。負傷した兵士が痛みに苦しむことも、仲間を失った者が悲しむことも、国籍によって変わりません」
「……ええ」
「ですが、平時には忘れられがちなことでもあります。悲しいことですが…」
エリシアが兄を見上げると、レオンハルトは小さく首を振った。
「……いえ。今は救護に集中しましょう」
そこへ若い帝国兵が駆け寄ってきた。
「――レオンハルト様! 後方の搬送路が確保できました! 負傷者を結界へ移送できます!」
「わかりました。ただちに搬送を開始してください。歩ける者は歩かせ、動けない者には担架を」
「はっ!」
兵士が走り去るのを見届けると、レオンハルトは妹へ向き直った。
「エリシア。救護班の補助をお願いします。必要なら魔法で照明を確保してください」
「承知しましたわ」
「私はリディアたちと周辺の安全を確認します」
そう言って森の奥へ視線を向けた。魔物たちは、まだ戻ってこない。先ほどまで周囲を埋め尽くしていた敵が、潮が引くように姿を消していた。
何が起きている? あの咆哮は間違いなく人間の声だった。だが、いったい誰が、何のために。
「お兄様?」
「……ああ、すみません。少し考え事を」
「あの声のことでしょう?」
「ええ」
エリシアも森の奥へ目を向けた。
「不思議な声でしたわね。何かを……」
そこで言葉を切った。自分でもうまく説明できない。ただ、あの叫びを聞いた瞬間、なぜか胸が締めつけられた。怒りでも、恐怖でもない。もっと別の何かだった。
「……誰かが、必死に戦っているのでしょうか」
「……かもしれませんね」
レオンハルトは妹を見つめ、静かに答えた。




