第六章
――共和国の誇り――
中央拠点の東寄り、アウレリア神聖教導国の防衛線に隣接する一角。
そこでは、グランヴェルド連邦共和国の生徒たちが、押し寄せる魔物の群れを相手に奮戦していた。
共和国の有力氏族の生徒たちは、他国の貴族生徒のような随伴兵を連れてきていない、それは共和国に古くから根づくある考え方によるものだった。
己の身を守れぬ者に、他者の命を預かる資格はない。
これは必ずしも武勇だけを重んじるという意味ではない。知恵を用いる者もいれば、魔法を扱う者もいる。商才によって一族を支える者もいる。
ただ、戦場に立つのであれば、身分や家柄を盾にしてはならない、それだけは、共和国の多くの氏族に共通する教えだった。
「うおっと!」
武勇に優れた物を多く輩出する武門の氏族、ヴォルフグラン家の分家の出である、カイル・ヴォルフグランは飛びかかってきた魔物を紙一重で躱した。
鋭い爪が制服の袖を掠めたが、構わず踏み込む。両手に持つ短剣が、魔物の胸と喉に突き刺さる。
「これで何匹目っすかねえ!」
「知らんわ! いちいち数えてへん!」
背後から飛んできた矢が、別の魔物の眼窩へ突き立った。
弓を構えていたのは、狐人の少女、シャルロッテ・フォックスウェルだった。
栗色の髪から覗く狐耳が、忙しなく左右へ動いている。
共和国でも名の知られた商家の娘であり、カイルとは幼い頃からの付き合いだった。
もっとも、その口調には少々問題がある。本人は西方の商人たちが使う訛りを気に入っているらしいのだが、あまり正しい意味で使えていない。
「カイル!うちの右、頼むで!」
「シャル、お前の右って俺っちの左っすよね!?」
「そんなんどっちでもええやろ!向かってくる奴らは全部しばくんじゃ!」
「よくねえっすよ!」
言い合いながらも、二人の動きに迷いはなかった。
カイルが前へ出れば、シャルロッテがその援護をする。シャルロッテが矢を番える間は、カイルが魔物を引きつける。
幼い頃から何度となく繰り返してきた連携だった。
しかし状況は芳しくない、どれだけ倒しても魔物が現れる。
結界の外周では共和国の生徒たちが数人ずつ小隊を組み、互いの背中を守りながら応戦していたが、すでに負傷者も出始めていた。
「……ったく、こいつらどっから湧いてくるんすかね。これじゃあ、朝飯食う前に死んじまうっすよ」
「縁起でもないこと言いなや」
「いやあ、俺っちだって死にたくはないっすけど」
そう言って、カイルは森の奥へ視線を向けた鼻先が僅かに動く。
血の匂いとひどく不快な何か。
魔物の群れの奥から、さらに大きな気配が近づいてきている。
「……シャル、なんか来そうっす」
「なんや!はっきり言え!」
「ちょっとまずいかもしれねえっす」
「今さら何言うてんの!」
「いや、そうじゃなくて……」
そのときだった。
――オオオオオオオオオオッ!!
森を震わせる咆哮が響いた。
「――ッ!?」
カイルの耳が跳ね上がる。
シャルロッテも弓を構えたまま、ぴたりと動きを止めた。
腹の底へ響くような重低音。
耳から入ったはずの声が、まるで心臓を直接掴まれたかのように全身へ伝わってくる。
目の前の魔物が突然動きを止めた。
「……おいおい?」
カイルは思わず間の抜けた声を漏らした。
今まさに飛びかかろうとしていた魔物が、突然その動作を中断したのだ。
魔物はゆっくりと首を巡らせる。
そして、こちらには目もくれず、森の奥へと走り去っていった。
一匹だけではない。周囲で暴れていた魔物たちが、次々と同じ方向へ向かい始めた。
「……≪戦士の咆哮≫やん絶対、なぁカイルお前も聞いたやろ?」
その隣でシャルロッテがぽつりと呟いた。
カイルはシャルロッテに振り返り、言葉なくコクコクとうなづいた。
少女は、森の奥を見つめていた。
「……間違いあらへん」
普段の軽薄な調子は、すっかり消えていた。
「《戦士の咆哮》やてうちの共和国魂が言うとる。え?使える奴がこの場におったん?」
「でも、聞いたことないっすよ?うちの本家には使える奴が2、3人いるとは聞いたことがあるっすけど…」
シャルロッテは頷いた。
けれど、その表情には喜びばかりが浮かんでいたわけではなかった。
驚愕と驚嘆、そしてその魔法を行使した意味を考えるととても喜んでばかりもいられなかった。
「野良にもおるでってお父ちゃんも言ってたけど……おるんやな。ほんまに」
共和国に暮らす者で、その魔法の名を知らぬ者は少ない。
戦士の咆哮。
共和国に伝わる、極めて稀な無属性魔法。この魔法に関して共和国には古くから伝わる掟があった。
戦士の咆哮を聞いたならば、まだ戦える者は駆け付けなければならない。
敵が勇士へ殺到する敵のその背を討て。
勇士が敵を引きつけているその隙に刃を振るえ。
そして、必ず連れ帰れ。という掟だ。
もっとも、現実はそう簡単ではない。
記録に残る咆哮の使い手のうち、実に半数以上が、それを使った戦いから帰還していなかった。
だからこそ。生きて帰った勇士のためには、盛大な宴が開かれる。
酒を振る舞い、肉を焼き、歌を歌う。
見知らぬ者であっても杯を交わし、その武勇を称える。
それは単なる祝勝会ではない。死を覚悟した戦士が、再び生者の輪へ帰ってきたことを祝う儀式だった。
共和国の子どもたちは、その宴を何よりも楽しみに育つ。
いつか自分も、戦士の咆哮を放った勇士と同じ食卓を囲みたい。その場に居合わせたい。
勇士は国の誇りであるが、危険を顧みず助けに走った自らもまた勇士たらんとする戦士なのであると自負するために。
そして、その勇士へこう言うのだ。
よくぞ帰った、と。
「こうしちゃいられない!行くっすよシャル!一番乗りは俺らっす!」
シャルロッテが、弓を握り直した。
「……ったりまえや!走るで!どこの氏族やろなぁ」
咆哮が聞こえた方向へ耳を向ける。
「……あれ?」
「どないしたん?」
「いやぁ……あれ?」
カイルは眉を寄せた。 おかしい。
声が聞こえたのは、共和国の防衛線からではなかった。
もっと北寄り。
神聖国が受け持つ中央拠点正面の、そのさらに向こう。
「……神聖国側っすね」
「……なんやて?」
「共和国の連中が、あっちに行ってたんすか?」
「知らん。迷い込んだんちゃう?でも神聖国の向こうやろ?何か意図せん限りそこまで行くことはないやろ?」
「そうっすよねぇ……」
共和国の生徒で、あの魔法を使える者がいるという話は聞いたことがなかった。
そもそも、そんな人物がいれば学園内で噂になっているはずだ。
ならば誰があの咆哮を放ったのか。
「……ま、いいか」
カイルは笑った。
「誰だって関係ねえっすよね」
「せやんな、うちのキュートな狐耳が行け言うとるわ、勇士が吼えたんや。ほんなら、うちらのやることは決まっとる」
シャルロッテも口元を緩め笑う、二人は頷き合った。
そして、同時に駆け出した。
「おい!そこのバカ二人!どこへ行く!」
共和国の生徒の一人が、走り出した二人へ声を張り上げた。
「だっれが馬鹿じゃぁ!!しばくぞぁぁ!」
カイルは振り返る。
「勇士の救援っす!」
「救援だと?」
「《戦士の咆哮》っすよ! 聞こえたでしょ!」
その言葉に、周囲の生徒たちが顔を上げた。
狼人の青年、熊人の大柄な男子生徒、長い耳を持つ兎人の少女。
それぞれが、僅かに表情を変える。
「……あれが?」
「本当に、戦士の咆哮なのか?」
「カイル!事実か!」
「あったり前っしょ!魔物のケツを追いかけたらそこに答えがあるっす!早くいかねぇと宴に間に合わないっすよ!」
「……なら、行かねえと」
誰かが呟いた。
それを合図にしたように、共和国の生徒たちが動き始めた。
「おい、動ける奴は集まれ!」
「弓を持ってる奴は後ろだ!」
「負傷者を置いていくなよ!」
騒がしくなった。だが、そこに混乱はなかった。
共和国の生徒たちは、誰かに命令されるまでもなく役割を分担していた。
各氏族の教えには共通のものもあるが、基本的には文化も使う武器も異なる。
それでも共和国に住む人々は、こういうときだけは不思議と足並みが揃った。
「……へへ、やっぱ、こういうとこは好きなんすよねえ」
「何がや?」
「俺っちの国っすよ」
シャルロッテは一瞬だけ目を丸くした。それから、ふっと笑う。
「なんや。珍しくええこと言うやん」
「珍しくは余計っす!」
そのとき、大柄な熊人の生徒が二人へ駆け寄ってきた。
「おい、ヴォルフグラン! お前が先頭を行け!」
「俺っちっすか?」
「鼻が利くだろう!勇士の位置を探せ!見つけたらどけろ、俺らが勇士の盾になる!」
「了解っす!でも一番乗りは譲らないっすよ!」
「ならそのまままっすぐ突っ込め!それと!生きて帰ったら宴だぞ!」
熊人の生徒はにやりと笑う。
その一言に、周囲から歓声が上がった。
「おおっ!」
「酒だ! 肉だ!」
「おい、まだ死んでると決まったわけじゃねえぞ!」
「だから生きて帰すんだろうが!」
カイルも笑った。
「そりゃあ、いいっすね!」
シャルロッテが弓を肩に掛ける。
「ほな、決まりや!金勘定はうちに任せろや!」
彼女は森の奥へ目を向けた。
「宴の主役を迎えに行こか」
共和国の生徒たちが、走り出した。
森の奥では、凄まじい戦闘が続いていた。
カイルは先頭を走りながら、何度も鼻を動かした。
魔物の臭気が濃い、血の匂いも強くなっている。
しかも、足元には無数の魔物の足跡が残されていた。
「ぐちゃぐちゃだな、カイル!足元に気をつけろよ!」
「わかってるっす!」
すべてが、同じ方向へ向かっている。おびただしい死体が列を作っていた。
「……すげえ数っすね」
「どんくらいおるん?」
「わかんねえっす。少なくとも、俺っちが今まで一度に嗅いだ数じゃねえっすよ」
「笑えへんでそれは、ヴォルフグランのその言葉は重いで」
共和国において、ヴォルフグランはいわゆる強さの象徴のようなものであった。ヴォルフグランというだけである一定の敬意が払われる。それは幼き頃から魔物や人との戦闘に駆り出される故であった。
木々を抜ける。すると、少し先で奇妙な光景が広がっていた。
無数の魔物が、一か所へ殺到している。獣型の魔物、巨大な昆虫に似た魔物。
そのすべてが、同じ場所を目指していた。
そして。
群れの中心で、何かが動いていた。
「……あれか!」
カイルは目を凝らした。
最初に見えたのは、銀色の光だった。
剣の軌跡。続いて、鈍い音。
戦斧が魔物の頭部へ叩き込まれ、その身体が大きく吹き飛んだ。
魔物同士が衝突し、倒れたところへ別の魔物が殺到する。
その隙間を、一人の少年が駆け抜けた。
剣を振るい、斧を振るい、蹴り飛ばす。
そして、また剣を振るう。
「……何や、あれ」
シャルロッテが呆然と呟いた。
異様な光景だった。一人の少年が、何十もの魔物を相手に戦い続けている。
その動きには一切の余裕がない。
決して優勢ではなかった、むしろ、いつ倒れてもおかしくない。
制服は血に染まり、足元も覚束ない。
それでも、少年はその場にとどまり、武器を振るった。
「突っ込めぇぇぇぇ!!!!」
「行くぞぉ!!」
先頭のカイルと二人の熊人の生徒は、その少年の周りの魔物に向かって突撃をした。




