第六章 死線の先へ
すべての刃よ、我に向け
すべての牙よ、この身を裂け
今際の際に惜しみはしない
この身は既に死に捧げた
ただ、知らなかった。
守るために差し出したこの身を守る祈りもあるのだと
そんなものを
俺は知らない
三体の死鎌が、動きを止めた。漆黒の外套が揺れ、顔のない頭部が一斉にトーマへ向けられる。
それだけではなかった。周囲の木々に潜んでいた魔物、逃げ遅れた生徒を追い詰めていた魔物、倒れた兵士へ牙を突き立てようとしていた魔物。
それらが、次々と動きを止めたのだ、そして、一斉に振り返った。
その視線の先には、剣を握る少年がいた。戦場の殺意が、ひとつの場所へ集まっていく。
まるで、森そのものが少年を敵と認めたかのようだった。
「…………」
トーマはその光景を見つめていた、無数の魔物が自分を見ている。
先ほどまで逃げ惑う人々を襲っていた魔物が、今は一体残らずこちらを目指している。その中心に立つ少年の口元へ、僅かな笑みが浮かんだ。
「死んだわこれ」
剣を握り直す、右足を半歩引き腰を落とした。
三体の死鎌が、大鎌を構える。
ふとマシューの顔と一緒に食べたシチューを思い出した。
「あいつは無事かなぁ……へへ、今際の際に浮かぶのが男の顔とは、まったく女の子に縁のない男だったらしい。こんな時に一つ自分のことがわかるなんてな」
周囲の魔物が、一斉に地面を蹴った。
そのすべてが、トーマただ一人へ殺到する。少年は、大きく息を吸った。
そして。
「来いッ!!」
吼えた。
「俺が相手をしてやるッ!!」
この戦場において、各国は各々分かれて魔物の殲滅にあたっていた。
中央拠点正面にはアウレリア神聖国。
そのすぐ横をグランヴェルド連邦共和国。
少し離れてヴァルクレイン帝国、ローデン王国。
それぞれの貴族生徒と随伴兵や騎士が結界を背に位置し、魔物の対処にあたっていた。
そして誰もが、トーマのその声を聴いた。
中央拠点正面の前線で、その異変に最初に気づいたのはガレス・ヴァインだった。
「……む?」
老騎士は剣を振り上げたまま、僅かに眉を寄せた。
眼前にいた魔物が、不意に背を向けたのだ。
ガレスには訳が分からなかったが、好機とばかりに剣を振り下ろした。
それまで執拗に盾へ爪を立てていた魔物が、自分に背中を向けて倒れた。
「……何だ?魔物が、退いていく……?」
ガレスの隣に立つ騎士がつぶやく。
「いや、違う」
ガレスは首を振った。
退いているのではない、向かっているのだ。すべてが、同じ方向へ。
魔物たちは何かに呼び寄せられるように走っていく。
そのときだった。
――オオオオオオオッ!!
「今度はなんだ!」
森の奥から、一声の咆哮が響いた。人間の声のように聞こえた。
しかし、それは尋常なものではない。
ただ声が大きいわけでは無く、その響きには言葉にできない圧力があった。
己の魂を揺さぶるような、剥き出しの戦意。
騎士として幾多の戦場を潜り抜けてきたガレスでさえ、思わず背筋を伸ばすほどの咆哮だった。
自ら伸ばしたわけではない、強制的に伸ばされたのだ。
「まさか?」
脳裏に、古い軍記の一節が蘇る。
それは辺境の戦士たち。
古き族長の血統に連なる者が稀に目覚める魔法。
戦場の敵意を一身に集めるという、奇怪な無属性魔法。
「《戦士の咆哮》……なのか?」
「……ガレス様? これはいったい?」
隣の若い騎士が、訝しげに声をかけた。
ガレスは顔を上げる。そして、即座に剣を掲げた。
「全隊、聞けッ!!」
轟くような声が響いた。
「魔物どもの動きを見よ! 奴らは我らを見ておらん!敵の意識が、ある一点へ集中している! これは好機だ!」
ガレスは崩れた戦列を見渡した。
「盾兵は中央へ集合! 槍兵はその後方へ!」
号令に応じ、兵士たちが動き始める。
「弓兵は高所を確保せよ!魔導士は射線を整えろ!負傷者は今のうちに後方へ運び出せ!」
その声に、周囲の指揮官たちも我に返った。各所で号令が飛び始める。
それまで乱戦でまるで統制の取れていなかった兵士たちが、少しずつ同じ方向へ動き始めた。
ガレスは、森の奥へ視線を向けた。
誰だ。
誰が、あの魔法を使った。
だがこれほどの魔物を引き受けて、いったいどれほど持ち堪えられるというのか。
「急げ、その者が倒れる前に、戦列を立て直さねば」」
老騎士は、低く呟いた。
「ガレス様!」
老騎士に少女が駆け寄る。
「おお!フィオナ様、いかがされた?セレスティア様と共にと申し上げたはず」
「御託はいいのです!使います≪天上の慈雨≫を」
「セレスティア様がですかな?一度結界を解かれるので?」
≪天上の慈雨≫、味方には雨のように降り注ぎ治癒を、魔物には針のように降り注ぎ傷を与える魔法。上級魔法に位置するそれは、同じく上級魔法に位置する≪穢れなき聖域≫と同時に使用することが困難であった。
「違います、私がやるんです。……セレスティア様に補助を受けながら」
老騎士は目を剥いた。
「ほぉ!フィオナ様が!なれば私が随伴しましょう。ここは現場の騎士で事足りましょう」
老騎士が隣の騎士に目配せし、騎士もうなずく。
「ささ、参りましょう。急がなければ」
「死鎌には光魔法が効いているわ、でもでも初級や中級じゃ意味がないのです。効いていないわけじゃないんだけど倒せなかったのです!でも上級魔法なら多分出来るんだけど私ひとりじゃ上級魔法はまだ無理で、どうしてもセレスティア様の補助が必要で、でもでもなんだか魔物の様子がおかしくて!」
フィオナは早口でまくし立てた。
老騎士はそれをいったん遮る。
「フィオナ様、フィオナ様。老体にそんな早口では聞き取れませぬ。今はセレスティア様の元へ急ぎましょう」
「そうですね!急ぎましょう!」
老騎士と少女は聖女の元へ走る。
トーマの知らぬところで、戦いの終結を告げる芽が静かに芽吹き始めた。




