第五章
「ガレス!」
結界の内側から、少女の声が響いた。セレスティア・ルーメンハルトだった。
「あの方々は死鎌に囲まれています!お助けしなければ!」
「彼奴の剣技は某を凌ぎます!無理に割り込めば、逆に危険でありましょう!」
「そんな…」
ガレスは答えながらも、目の前の光景から視線を離せなかった。
異様だった。あまりに異様。三体の死鎌。そのすべてが、一人の青年を狙っている。
にもかかわらず。青年は、馬上から一度も落ちることなく戦い続けていた。
いや、戦っているという表現では足りない。あれは制圧しているのだ。
攻撃の方向を。そして、戦場そのものを。青年は剣を振るうたびに、死鎌の位置を僅かずつずらしている。その結果、三体は互いの攻撃を妨げ合い、思うように鎌を振るうことができなくなっていた。
偶然ではない。明らかに、意図して行っている。
そしてその挺身の結果、先ほどよりもスムーズに生徒や騎士たちの結界内への収容は進んでいた。
「なんという……絶技か……」
ガレスは絶句した。騎士としての経験が、警鐘を鳴らしている。あの青年は、ただ強いのではない。戦場を俯瞰している。
敵の位置。味方の位置。攻撃の間合い。地形。
そして、馬の動き。それらすべてを把握したうえで、最善な一手を選び続けているのだ。
……いや、選んでいるのか?
ガレスには、むしろそう見えなかった。考えて動いているのではない。すべてが、身体に染みついている。まるで。
幾千、幾万もの戦いを経験してきた者のように。
「あの若さで……如何な経験を積めばああも老練な剣を振るえるのだ…」
◇
「トーマ!もういいよ!もう十分だよ!」
その声は、震えていた。
「お願い!もう逃げようよ!」
俺は返事をしなかった。
正確にはその余裕がなかった。
三体の攻撃を捌きながら、俺はひとつのことだけを考えていた。
……どうやって、マシューを結界の中へ入れるか。結界の入口は、すぐそこにある。距離にして、十数歩。
だが、その間には三体の死鎌が立ちはだかっている。
しかも、俺たちが結界へ近づこうとするたびに、連中は進路を塞ぐように動く。
……なるほど。どうしたって俺たちを殺したいらしい。
ならば。俺がやるべきことは、ひとつだ。
俺は一旦、逆に結界から遠ざかり、少しの余裕を作った。
死鎌は距離を保って俺たちを見据えている。
「たくっ…なんでこんなに執着されているんだか…マシュー」
俺は前に座る相棒へ声をかけた。
「うぅ……なに?」
返ってきた声は、ひどく疲れていた
無理もない。先ほどから三体の死鎌相手の大立ち回りに付き合わされていたのだ。
俺たちを乗せた馬もここまで懸命に走っていた、しかしその姿を見るに限界は近かった。
いかに優れた馬であろうとも、二人を乗せてこの森を駆け続け、戦いの渦中に置かれればいずれ限界が来る。
何より、このまま中央拠点へ逃げ込んだところで……いや、そもそもあの三体のをどうにかせず、結界内に入れる姿を想像できない。
周囲では魔物との戦闘がなおも激しいが続いている。
木々の向こうで炎が上がる。兵士の怒号が響き、助けを求める生徒たちの悲鳴が夜闇を裂く。
中央拠点の防衛線は、もはや崩壊寸前だった。
――やることは一つだ
たびたび頭の中に響く声が、その一言はより一層強く聞こえた
「うるせぇなぁ…んなもんわかってんだよ…」
小声でそうささやき、俺はひとつの決断を下した。
「手綱を握れ、マシュー」
「え?」
「俺の代わりに、手綱を握るんだ」
マシューが怪訝そうに振り返る。
「早く」
俺は手綱を持つ手を緩め、マシューの手へ無理やり手綱を握らせた。
小さな手だった。
その指先は冷たく、僅かに震えている。
「待って、ちょっと待ってよ」
マシューが顔を上げた。
「キミ、何をするつもりなの?」
答えずに、前方へ目を向ける。
木々の向こうには、聖女セレスティアの《穢れなき聖域》が放つ金色の光が見えていた。中央拠点は、決して遠くない。
あそこまで辿り着けば、マシューは助かる。
「こいつは賢い。お前は手綱をしっかり握って、振り落とされないことだけ考えろ。こいつが結界まで連れて行ってくれる」
「嫌だ……」
その声を聞いて、俺は思わずマシューを見た。
いつもなら軽口のひとつも返してくる相棒が、今は真剣な顔で俺を見つめていた。
「嫌だよ、トーマ」
「マシュー」
「何を考えてるか知らないけど、絶対に嫌だからね」
握りしめた手綱が、きしりと音を立てた。
「僕だけ逃がすつもりなんでしょ?」
「察しのいい奴め、頼むよ。」
「頼まれたって嫌だよ!」
マシューが叫ぶ。
「キミも一緒に来ればいいじゃないか!もう少しなんだよ!?もう少し走れば、結界に――」
言い終えるより早く、背中に悪寒が走った。
「――ッ!」
振り返る。
死鎌の一体が、大鎌を振り下ろしていた。
気づかぬうちにずいぶんと距離を詰められていたらしい。
俺は咄嗟に剣を掲げ、その刃へ打ちつける。甲高い金属音。
腕を伝わる凄まじい衝撃に、思わず歯を食いしばった。
「くっ!好都合だ!」
どうにか軌道を逸らすことには成功したが、大鎌の刃先は馬のすぐ脇を掠めた
馬が激しく嘶く。マシューが悲鳴を上げた。もう、迷っている時間はなかった。
俺は馬の首筋へ手を伸ばした。そして、その耳元へ静かに囁く。
「……頼んだぞ。こいつを、必ず届けてやってくれ」
馬の耳が、ぴくりと動いた。僅かに首を傾け、こちらを見ようとする。
その瞳には、不思議なほど落ち着いた光が宿っていた。
俺は小さく笑った。
「…いい子だ」
そして、鐙から足を抜いた。
「トーマ!?」
マシューの声を背に、疾走する馬上から身を投げる。
地面に着くと同時に深く膝を曲げ、その勢いを利用して前方へ転がった。
肩が地面を打ち、背中に鈍い痛みが走る。
それでも剣だけは手放さなかった。すぐに立ち上がり、背後を振り返る。
「トーマっ!!」
マシューが叫んでいた。
馬は一度だけ速度を緩めた。
「行け行け行けッ!!」
腹の底から声を張り上げる。
「振り返るな!走れ!!」
馬が嘶いた。
そして、金色の結界へ向かって駆けていく。
「トーマ!トーマぁっ!!」
何度も、名前を呼ぶ声が聞こえた。だが、俺は振り返らなかった。
振り返れば、足が止まってしまいそうだったからだ。
それに。
今の俺には、ほかにやるべきことがあった。
ゆっくりと正面へ向き直る。
三体の死鎌が、宙に浮かんだままこちらを見下ろしていた。
その鎌が、鈍く光る。俺は剣を構えた。
「まぁそうだよな」
口元に、自然と笑みが浮かんだ。
「弱ってるやつから片づけたいよな」




