第三章
マシューはようやく目を閉じた。俺はその傍らで、焚き火を見つめる。ぱちぱちと薪の爆ぜる音が、静かな森に響いていた。しばらくすると隣から小さな寝息が聞こえ始めた。
どうやら、眠ったらしい。あれだけ一人で眠るのが苦手だと言っていた割には、随分と寝つきがいいものだ。俺は思わず苦笑した。
マシューは毛布にくるまり、静かな呼吸を繰り返している。
時折、風が吹くたびにフードの端が揺れ、茶色の髪が頬へかかった。昼間はあれほど騒がしかったというのに、眠ってしまえば実に大人しい。その寝顔には、どこか幼さが残っていた。
妙な奴だ。口が達者で、やたらと俺をからかってくる。かと思えば、突然真面目な顔をして、真面目なことを語り始める。魔法のことになると嬉しそうに喋り、料理を褒めれば子供のように喜ぶ。
そして、一人で眠るのが苦手だと、少し恥ずかしそうに打ち明けてくる。
なんだかそんな態度がむず痒く感じたが、こうして隣にいることが、妙に自然に感じられる。
炎は静かに燃えている。時折、小さな火の粉が舞い上がり、夜空へと消えていった。遠くに見える焚き火も、まだいくつか残っている。その一つひとつが、この森のどこかに誰かがいるという証なのだ。
マシューの言葉を思い出す。
――僕にできるのは、明かりを絶やさないことくらいだから。
俺は薪を一本手に取った。少し考えてから、燃え盛る炎の中へゆっくりと差し入れる。ぱちり。小さな音が響いた。
炎が新しい薪へ移り、再び明るさを増していく。
「安心して寝てろよ」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。隣では、マシューが静かな寝息を立てている。俺はその寝顔を一度だけ確認すると、再び森の奥へ視線を向けた。
「俺は一体、お前とどこで知り合ったんだろうな」
だんだんと思い出していく記憶の中に、マシューとの出会いの記憶はなかった。ただ気が付けばそばにいた、この軍事訓練に参加していた。
「まぁそのうち思い出すか」
夜は更けていく、俺はその時、俺を見つめるマシューの目線には気が付かないままだった。
◇
それから、およそ二時間が経過した。森は、すっかり夜の帳に包まれていた。頭上には無数の星が瞬き、木々の隙間から淡い月明かりが差し込んでいる。焚き火は変わらず燃え続けていた。マシューの寝息も、変わらず穏やかだった。
平和な夜だ。少なくとも、今のところは。俺は時折、周囲の木々へ目を向けながら、薪をくべ続けていた。遠くの焚き火も、まだ見えている。
しかし、先ほどより数が減っているような気がした。
いや。単に木々の陰に隠れているだけかもしれない。そう考え、視線を戻しかけたときだった。
「…………」
何かが、聞こえた。微かな音。枝が折れるような、乾いた響き。俺は顔を上げた。森は静かだった。
風もない。鳥の声も、いつの間にか聞こえなくなっている。
おかしい。つい先ほどまで、あれほど賑やかだったというのに。俺はゆっくりと立ち上がった。暗闇の向こうへ目を凝らす。何も見えない。
木々が立ち並び、その隙間には深い影が横たわっているだけだった。
気のせいか?
そう思った、その瞬間。
「――――っ!」
遠くで、何かが叫んだ。いや、違う。これは――。
「いやあああああああああっ!!」
悲鳴だった。女とも男ともつかない、甲高い絶叫。静まり返っていた森を切り裂くように、その声が響き渡った。俺は反射的に立ち上がった。
「……っ!?」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。悲鳴は一度だけではなかった。
「た、助けてくれええええっ!!」
今度は男の声だった。続いて、何かが激しくぶつかり合う音。枝の折れる音。
そして――。唐突に、声が途切れた。
「…………」
静寂。あまりにも不自然な静寂が、森を覆った。俺は息を呑んだ。
何だ?何が起きた?
その時、背後で毛布が擦れる音がした。
「……トーマ?」
振り返る。マシューが、ゆっくりと身体を起こしていた。眠気の残る目を擦りながら、こちらを見上げる。
「……どうしたの? 今、何か……」
そこまで言って、マシューの言葉が止まった。俺の表情を見たからだろうか。それとも、森の異変を感じ取ったのだろうか。マシューは静かにフードを被り直した。
「トーマ……」
その声からは、先ほどまでの眠たげな響きが消えていた。
「何かあった?」
俺は答えようとした。
だが、その瞬間。森の奥で、ひとつの焚き火が消えた。まるで、誰かが指で摘まんだかのように。あまりにも唐突に。
橙色の光が、闇の中へ沈んでいった。
「…………」
俺たちは、ただその光景を見つめていた。
そして、その隣にあった、もうひとつの焚き火も。音もなく、消えた。
第三章 焚き火の傍らで 了




