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第9話 王都に行く前からエラー通知がうるさい

 ハル村を出て、最初に出会った敵は魔物ではなかった。

 盗賊でもない。

 野生動物でもない。

 王都からの追っ手でもない。

 看板だった。

【← 左】

【→ 右】

【↑ 正面】

 普通なら、そう書いてあるはずの道案内看板。

 しかし、目の前の看板にはこう書かれていた。

【← 右】

【→ 右】

【↑ 右】

「……」

 私は無言で看板を見上げた。

 隣では、勇者アルトが真剣な顔で看板を読んでいる。

「全部、右だな」

「見ればわかる」

「左の矢印も右だ」

「それも見ればわかる」

「正面の矢印も右だ」

「実況しなくていい」

 アルトは少し考え込んだ。

「つまり、どちらへ進んでも右ということか?」

「哲学にしないで」

 私は管理画面を開いた。

【対象:街道案内看板】

【状態:表示異常】

【方向ラベル:全項目“右”に固定】

【原因:初期表示値の参照ミス】

【旅行者混乱率:高】

【遭難発生件数:37件】

「看板で三十七人遭難させるな」

 私は看板を軽く叩いた。

「右思想が強すぎるんだよ、この看板」

 アルトが首を傾げる。

「右思想?」

「全部右って言いたいだけの看板」

「なるほど」

「なるほどじゃない」

 修正画面を開く。

【表示ラベルを修正しますか?】

【はい/いいえ】

「はい」

【修正中……】

【左方向:ミルカ宿場町】

【右方向:北の森】

【正面方向:王都街道】

【表示更新完了】

 看板の文字が、きらりと光って書き換わる。

【← ミルカ宿場町】

【→ 北の森】

【↑ 王都街道】

「はい、完了」

 私は腕を組んだ。

「看板ごときで保守担当を呼ぶな」

 アルトは感心したように言う。

「すごいな。文字が正しくなっただけで、道がわかる」

「普通は最初からそうなの」

「普通は偉大だな」

「わかってきたじゃん」

 私は看板の左方向を指差した。

「まずはミルカ宿場町。そこで馬車を探す」

「わかった」

「徒歩半日らしいけど、途中の道も怪しいから気をつけて」

「道も壊れているのか?」

「この世界だよ?」

「……壊れていそうだ」

「理解が早い勇者、嫌いじゃない」

 そう言って、私たちは街道を歩き始めた。

     ◇

 ハル村からミルカ宿場町へ続く街道は、思ったよりものどかだった。

 両脇には草原。

 遠くには森。

 空は青く、風は穏やか。

 アルトは少し緊張した様子で歩いている。

 十年ぶりの村の外だ。

 無理もない。

 私は管理画面を半透明にしたまま、周囲のログを確認していた。

【街道状態:おおむね正常】

【魔物出現率:低】

【天候処理:晴れ】

【道案内看板:修正済み】

【周辺軽微エラー:7件】

「軽微エラー七件」

 私はため息をついた。

「王都行く前にもう七件。通知多すぎ」

 アルトが尋ねる。

「軽微なら、放置してもいいのでは?」

「ものによる」

「ものによる?」

「“草の色が一部変”くらいなら放置。“橋の耐久値がゼロ”なら軽微って表示されてても即対応」

「なるほど」

「システムの重要度判定は信用しすぎない。特にこの世界のは」

「神様の作ったものだからか?」

「そう。ざぁこ神製だから」

 通信画面が勝手に開いた。

『今、わしの悪口を言ったかのう?』

「悪口じゃない。事実確認」

『より傷つくのじゃが』

「じゃあ聞くけど、今この周辺に軽微エラー七件あるの知ってる?」

『七件程度なら、まあ……』

「その中に橋の耐久値ゼロとか混じってない?」

『……確認してみよう』

「今まで確認してなかったの?」

『……』

「ざぁこ神」

『ぐはっ』

 通信が切れた。

 アルトは少し苦笑する。

「神様も大変だな」

「大変なのは私」

「確かに」

 その時、街道の脇で何かが光った。

 ぷるん。

 私は足を止めた。

 草むらの上に、青いスライムがいた。

 ただし、地面にはいない。

 空中にいた。

 高さは私の目線くらい。

 ぷるぷると震えながら、その場で停止している。

「……」

 私は無言で管理画面を開いた。

【対象:スライム】

【状態:空中固定】

【座標:Y軸固定】

【行動処理:停止】

【落下処理:未適用】

【困惑値:高】

「スライムが困惑してる」

 アルトがスライムを見上げる。

「なぜ浮いているんだ?」

「落下処理が動いてない」

「らっかしょり」

「本来なら重力で落ちる。でも、座標が固定されてるから空中待機してる」

 スライムが、ぷるん、と鳴いた。

 なんとなく助けを求めているように見える。

 アルトは真剣な顔になった。

「助けられるか?」

「スライム相手にも真面目だね」

「困っているように見える」

「まあ、困惑値高いしね」

 私はスライムに手をかざした。

【座標固定を解除しますか?】

【はい/いいえ】

「はい」

【解除中……】

【Y軸固定:解除】

【落下処理:再開】

 ぷるん。

 スライムは落ちた。

 べちゃ。

 地面に着地した。

 そして、何事もなかったかのように草むらへ跳ねていった。

 アルトがほっと息を吐く。

「よかった」

「勇者くん、スライム一匹で安心しすぎ」

「でも、助かった」

「それはそう」

 私はスライムが去った草むらを見た。

【スライム:正常】

【困惑値:低下】

【感謝:微量】

「感謝、微量」

「スライムも感謝するのか?」

「微量にね」

「いいことだ」

「勇者くんの善性、だいぶまぶしいな」

 私は歩き出した。

「次」

「まだあるのか?」

「ある」

 管理画面の端で、また赤い通知が点滅した。

【周辺軽微エラー:6件】

「一件減っただけ」

「先は長いな」

「ほんとそれ」

     ◇

 しばらく歩くと、街道脇に宝箱が置かれていた。

 不自然なくらい、ぽつんと。

 茶色い木箱。

 金属の縁取り。

 いかにも冒険者が開けたくなる見た目。

 アルトが足を止める。

「宝箱だ」

「触らない」

「なぜ?」

「街道脇に都合よく宝箱がある時点で怪しいでしょ」

「確かに」

 私は管理画面で宝箱を調べる。

【対象:宝箱】

【状態:開封可能】

【中身:なし】

【表示:未開封】

【取得処理:空】

【再出現処理:有効】

「うわ」

「どうした?」

「空の宝箱が、未開封扱いで置かれ続けてる」

「中身がないのか?」

「ない」

「では、なぜ置いてあるんだ?」

「知らない。世界に聞いて」

 私は宝箱を開けた。

 ぎい、と音が鳴る。

 中は空。

【何も入っていない】

 その表示が出た直後、宝箱の蓋が勝手に閉じた。

 ぱたん。

 そして再び、未開封状態に戻る。

「……」

 アルトが真面目な顔で言う。

「もう一度開けると、何か入っているかもしれない」

「やめなさい。ギャンブル脳になる」

「ぎゃんぶる?」

「空箱に期待し続ける心の病」

 私は宝箱に手をかざした。

【宝箱状態を修正しますか?】

1. 中身を追加する

2. 空箱として表示する

3. 宝箱を削除する

4. ミミック化する

「四番いらない」

 アルトが画面を覗き込む。

「ミミックとは?」

「宝箱に見せかけた魔物」

「危険なのでは?」

「だからいらないって言ってるの」

 私は二番を選んだ。

【空箱として表示します】

【再出現処理を停止】

【表示名:空の宝箱】

 宝箱の上に、小さな文字が浮かぶ。

【空の宝箱】

「これでよし」

 アルトは不思議そうに見る。

「削除しないのか?」

「空でも箱として使えるでしょ」

「なるほど」

「あと、空箱だって最初からわかる方が親切」

「確かに」

 アルトは宝箱を持ち上げた。

「持っていくか?」

「何に使うの?」

「荷物入れに」

「徒歩旅で宝箱持つ勇者、目立ちすぎ」

「そうか」

 アルトは素直に宝箱を戻した。

 この勇者、言えば聞く。

 だが、放っておくと宝箱を担いで旅を始めそうで怖い。

「勇者くん」

「何だ?」

「怪しいものを見つけたら、まず私に聞く」

「わかった」

「勝手に開けない」

「わかった」

「勝手に拾わない」

「わかった」

「勝手に装備しない」

「わかった」

「いい子」

 アルトが少し驚いた顔をした。

「いい子……」

「何?」

「いや、そう言われたのは久しぶりで」

「じゃあ取り消す」

「なぜ!?」

「照れるから」

 私は歩き出した。

     ◇

 その後も、道中のバグは小さく続いた。

 まず、街道がなぜか三十歩ごとに少しだけ左へずれていた。

【街道描画ズレ:累積中】

「このまま歩くと、三時間後に川へ落ちるね」

「危険では?」

「危険」

 私は描画ズレを修正した。

 次に、草むらから戦闘開始の音楽だけが鳴った。

 じゃじゃーん。

 私は身構えた。

 アルトも身構えた。

 しかし、何も出てこない。

 ただ、戦闘っぽい音楽だけが流れ続けている。

【戦闘開始BGM:再生中】

【敵出現処理:失敗】

【戦闘状態:未開始】

【BGM停止条件:敵撃破】

「敵が出ないのに、敵撃破しないと曲が止まらない」

 アルトは周囲を見回す。

「見えない敵がいるのか?」

「いない。曲だけ」

「では、どう倒せば」

「倒さなくていい。音楽を止める」

 私はBGM停止条件を書き換えた。

【BGM停止条件:敵撃破 → 敵未出現時は自動停止】

 音楽が止まる。

 静寂が戻る。

「うるさかった」

 アルトが感心する。

「音も直せるのか」

「直せるというか、直さないと進めない」

「本当に、世界を歩くたびに仕事が増えるんだな」

「そう。最悪」

 次に、道端の花がずっと同じ方向を向いていた。

 風が吹いても、太陽が動いても、全部きっちり東向き。

【花向き固定】

【美観異常:軽微】

「これは放置でもいいかな」

 アルトが花を見た。

「ずっと同じ方向しか向けないのは、少し可哀想だ」

「……」

 私はため息をついて修正した。

【花向き固定を解除】

 花が風に揺れた。

 アルトが嬉しそうに微笑む。

「よかった」

「勇者くん、花にも優しい」

「普通では?」

「普通がまぶしい」

 次に、道案内の石碑が「この先安全」と表示しながら、その直後の橋が壊れていた。

「この世界の安全表示、信用ならなすぎ」

 橋の耐久値を確認する。

【橋耐久値:1/100】

【通行推奨:いいえ】

【表示:安全】

「安全じゃない」

 私は表示を変えた。

【この先、橋が壊れかけています】

 さらに補強処理を入れる。

【橋耐久値:67/100】

【通行:注意】

「完全修復は材料がいるけど、これなら渡れる」

 アルトが先に渡ろうとする。

 私は襟をつかんだ。

「待って」

「なぜ?」

「勇者くんの体重じゃなくて、勇者補正込みの踏み込みが怖い」

「普通に歩く」

「普通がまだ信用できない」

 結局、私が先に渡り、アルトは八分の一の力で慎重に渡った。

 橋は無事だった。

 アルトも無事だった。

 橋の向こうで、私は深く息を吐く。

「王都に着く前に疲れるんだけど」

 アルトは申し訳なさそうに言う。

「僕のせいか?」

「世界のせい」

「そうか」

「あと、ちょっとだけ勇者補正のせい」

「すまない」

「謝りすぎ」

     ◇

 昼頃、私たちは街道脇の木陰で休憩することにした。

 マリナが持たせてくれたパン。

 干し肉。

 カボチャパイ。

 木苺の焼き菓子。

 私は迷わず木苺の焼き菓子を手に取った。

「最初から甘いものなのか?」

 アルトが聞いてくる。

「疲れた脳には糖分」

「なるほど」

「あと、これは私の精神安定剤」

「大事だな」

「かなり」

 アルトは干し肉を食べながら、静かに街道を見た。

「村の外は、もっと怖いものだと思っていた」

「実際、そこそこ怖いけどね。空中スライムとか空箱とか壊れた橋とか」

「でも、それだけじゃない」

「何が?」

「花が揺れている。風がある。道が続いている」

 アルトは少しだけ笑った。

「十年、僕は訓練場で同じ場所を探していた。だから、ただ道が続いているだけで、不思議な気分になる」

「……そ」

 私は焼き菓子をかじる。

 サクッとした食感。

 木苺の甘酸っぱさ。

 うん。

 採用。

「アルト」

「何だ?」

「昨日より、歩き方マシになったね」

「本当か?」

「うん。橋も壊さなかったし」

「それは褒められているのか?」

「かなり」

「そうか。嬉しい」

「素直」

 アルトは少し照れたように笑った。

 勇者というより、大型犬っぽい。

 真面目で、素直で、すぐ謝る。

 放っておくと自分を責める。

 でも、ちゃんと前へ進もうとしている。

 面倒なタイプだ。

 面倒だけど。

「まあ、悪くない」

「何が?」

「何でもない」

 私は焼き菓子をもう一つ取った。

 その時、管理画面がぴこんと鳴った。

「休憩中に鳴るな」

【遠隔エラー更新】

【発生源:王都ルミナリア】

【婚約破棄イベント:実行まで残り6時間】

【聖女記憶領域:破損率62%】

【王都イベントキュー:容量超過】

【貴族派閥AI:敵対値上昇中】

「……」

 私は焼き菓子を口に入れたまま固まった。

 アルトがこちらを見る。

「王都の通知か?」

「読まなくていい」

「聖女の記憶領域……破損率六十二パーセントとある」

「読んでるじゃん」

「すまない。見えた」

「勇者スキルで視力良くなってる?」

「かもしれない」

「余計な成長」

 私は王都方向を見た。

 まだ距離がある。

 まずはミルカ宿場町。

 そこから馬車を探して王都へ。

 急げば、婚約破棄イベントの実行前か直後には王都へ着けるかもしれない。

 ただし、道中のバグがこれ以上なければ。

「無理そう」

 アルトが真剣な顔になる。

「急ぐべきか?」

「急ぎたいけど、勇者くんが走ったらたぶん地面がえぐれる」

「八分の一の力で走る」

「それ、逆に難しそう」

「練習する」

「ここで練習しない」

 私は管理画面で経路を確認する。

【現在地:ハル村北街道】

【目的地:ミルカ宿場町】

【残り距離:徒歩2時間】

【経路状態:一部異常】

【推奨対応:注意して進行】

「宿場町まであと二時間。そこで馬車」

「馬車がなければ?」

「作る」

「作れるのか?」

「作れない」

「では、なぜ言った?」

「勢い」

 アルトは少し笑った。

 その笑い方が、昨日より自然になっている。

「とにかく進むよ」

「ああ」

「道中の変なものには触らない」

「ああ」

「看板は信じすぎない」

「ああ」

「宝箱は開けない」

「ああ」

「スライムが浮いてても、まず私に報告」

「ああ」

「よし」

 私は立ち上がった。

「保守担当、出張対応再開」

     ◇

 宿場町へ向かう後半の道は、前半よりもさらに変だった。

 まず、道の真ん中に扉だけが立っていた。

 壁もない。

 家もない。

 ただ、扉だけ。

 アルトが言う。

「扉だ」

「見ればわかる」

「開けるか?」

「開けない」

「なぜ?」

「こういう扉は、だいたい面倒な場所に繋がってる」

 管理画面で確認する。

【対象:孤立扉】

【状態:接続先不明】

【本来用途:民家の玄関】

【現在位置:街道中央】

【転送先:未設定】

【開閉時挙動:ランダム】

「ランダム」

 私は即座に削除ではなく、元の位置へ戻す処理を選んだ。

【孤立扉を本来位置へ復帰しますか?】

「はい」

 扉がふっと消えた。

 アルトが少し残念そうに言う。

「開けたらどうなっていたのだろう」

「勇者くん」

「何だ?」

「好奇心でランダム扉を開けるのは、死亡フラグ」

「覚えておく」

 次に、街道の脇にいた商人が同じ場所をぐるぐる歩いていた。

「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ! いらっしゃいませ!」

 彼は荷車の周りを回り続けている。

 管理画面を見る。

【行商人】

【状態:移動ルートループ】

【目的地:ミルカ宿場町】

【現在処理:荷車周回】

【周回回数:1287】

「目、回らないの?」

 行商人は笑顔のまま言う。

「いらっしゃいませ!」

「話はできる?」

「いらっしゃいませ!」

「だめそう」

 私はルートを修正した。

【移動ルートを再計算】

【目的地:ミルカ宿場町】

【周回処理を停止】

 行商人はぴたりと止まり、目を瞬かせた。

「あれ……私は今まで何を……」

「荷車の周りを千二百八十七周してた」

「ひっ」

「目が回る前でよかったね」

「もう回っています……」

 行商人はふらつきながら頭を下げた。

「ありがとうございます、お嬢さん」

「お嬢さんじゃない。保守担当」

「保守……?」

「気にしないで」

 行商人はミルカ宿場町へ向かうというので、少しだけ一緒に進むことになった。

 彼の名はバルク。

 丸い体型で、人のよさそうな商人だった。

「いやあ、助かりました。どうも同じ場所を回っている気はしていたのですが、なぜか止まれなくて」

「それで千二百周以上回るの、体力あるね」

「商人は足腰が命ですから」

「方向性が違う」

 バルクは私とアルトを見比べる。

「お二人はどちらへ?」

「王都」

 アルトが答える。

「おお、王都ですか。今は少々騒がしいようですな」

 私は足を止めた。

「騒がしい?」

「ええ。王子殿下がまた婚約破棄をなさるとか」

「また」

「ええ、またです」

 バルクは普通に言った。

 私は眉を寄せる。

「婚約破棄って、そんな頻繁にするもの?」

「さあ……王都ではよくある催しのようになっております」

「催しにするな」

 アルトも困惑している。

「王子が婚約破棄を何度も?」

「ええ。詳しくは存じませんが、貴族の方々は慣れた様子で」

 管理画面の通知が点滅する。

【婚約破棄イベント:実行まで残り5時間】

【実行回数:147】

【次回実行:148回目】

「百四十八回目」

 私は低く呟いた。

 アルトが目を見開く。

「百四十八回?」

「うん」

「同じ婚約破棄を?」

「たぶん」

 バルクは首を傾げる。

「何の話です?」

「王都が思ったより終わってる話」

 私は王都の方角を睨んだ。

「定期開催の婚約破棄イベントとか、悪趣味にもほどがあるでしょ」

 アルトの表情が引き締まる。

「急ごう」

「うん」

「走るか?」

「走らない」

「八分の一でも?」

「だめ」

「では、早歩き」

「採用」

 私たちは早歩きで街道を進んだ。

 行商人バルクは荷車を押しながら、なぜかついてきた。

「お二人、足が速いですな!」

「千二百周した人に言われても」

「はっはっは!」

 商人、元気。

     ◇

 夕方前。

 ようやく丘の上に出た。

 眼下には、ミルカ宿場町が見えている。

 街道沿いに広がる小さな町。

 馬車の停留所。

 宿屋。

 市場。

 人の往来。

 ハル村よりずっと賑やかだ。

「宿場町だ」

 アルトが言う。

「馬車があるといいけど」

 私は町の上空を見た。

 管理画面が自動で情報を拾う。

【ミルカ宿場町】

【状態:一部軽微エラー】

【馬車運行:遅延】

【原因:馬が全頭“待機中”になっています】

【宿屋在庫:正常】

【甘味屋:営業中】

「甘味屋、営業中」

 私は目を輝かせた。

 アルトが真面目に言う。

「馬車が遅延しているようだ」

「甘味屋、営業中」

「馬車の方が重要では?」

「両方重要」

「そうか」

 行商人バルクが笑う。

「甘味屋なら、町の入口近くに良い店がありますよ」

「採用」

 私は歩き出そうとした。

 その瞬間、さらに遠くの空が見えた。

 宿場町の向こう。

 かすかに、巨大な城壁が見える。

 王都ルミナリア。

 その上空に、私だけが見える赤い警告ウィンドウがいくつも浮かんでいた。

【王都イベント処理暴走】

【婚約破棄イベント:実行まで残り4時間】

【聖女記憶領域:破損率64%】

【貴族派閥AI:敵対値上昇】

【王都イベントキュー:容量超過】

【警告:強制イベント連鎖の可能性】

「……」

 私は足を止めた。

 アルトがこちらを見る。

「リリィ?」

 私は王都の上空を睨む。

 赤い。

 あまりにも赤い。

 ハル村のバグもひどかった。

 でも、王都の警告は質が違う。

 村のインフラ障害ではない。

 もっと大きな、人の人生そのものを巻き込むようなエラー。

「リリィ、大丈夫か?」

「うん」

「顔が怖い」

「王都が怖いことになってるからね」

 私は管理画面を閉じた。

 閉じても、赤い残像が目に残る。

 婚約破棄イベント。

 聖女記憶領域破損。

 強制イベント連鎖。

 なろうテンプレの顔をした、たぶん最悪のバグ。

「帰っていい?」

 私が言うと、アルトは真顔で答えた。

「だめだと思う」

「だよね」

 私はため息をついた。

 宿場町には甘味屋がある。

 馬車もあるかもしれない。

 休憩したい。

 寝たい。

 カボチャパイもまだ残っている。

 でも、王都の赤い警告は消えない。

「ほんと、通知がうるさい世界」

 私はにやりと笑った。

「いいよ。見に行ってあげる」

 アルトが頷く。

「ああ」

「ただし、まず宿場町」

「馬車を探すんだな」

「甘味屋も」

「……甘味屋も」

「よし」

 私は丘を下り始めた。

 背後には、ハル村から続く直したばかりの街道。

 前方には、宿場町。

 さらにその先には、バグまみれの王都。

「王都イベント処理暴走、婚約破棄イベント、聖女記憶領域破損……」

 私は小さく呟く。

「次は人間関係までバグってるの?」

 そして、王都の赤い警告を見据えた。

「ほんと面倒くさい」

 でも、歩みは止めなかった。

「テンプレイベントごと、まとめてログ見てやるよ」


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