第10話 勇者が旅立っただけなのに、次のバグがデカすぎる
ミルカ宿場町は、思ったより賑やかだった。
街道沿いに宿屋が並び、馬車の停留所には荷物を抱えた旅人たちが集まり、市場からは焼き菓子の甘い匂いが漂ってくる。
ハル村とは違う。
人が多い。
声が多い。
荷車の音も、馬の鳴き声も、商人の呼び込みもある。
ちゃんと世界が動いている感じがした。
ただし。
【ミルカ宿場町】
【状態:一部軽微エラー】
【馬車運行:遅延】
【原因:馬が全頭“待機中”になっています】
【待機解除条件:不明】
【甘味屋:営業中】
「甘味屋は正常」
私は表示を見て頷いた。
「よし。最重要インフラは生きてる」
隣のアルトが真面目な顔で言う。
「馬車の方が重要では?」
「両方重要って言ったでしょ」
「そうだった」
アルトは素直に頷いた。
勇者くん、順応が早い。
私たちと一緒に宿場町まで来た行商人バルクは、荷車を押しながら笑った。
「いやあ、お二人とも面白いですな。王都へ行かれるのでしたら、まず停留所へ行くとよいでしょう」
「馬車、動いてないっぽいけど」
「ええ、今朝からなぜか一台も出ておりません。馬は元気なのですが、御者たちが困っておりまして」
「馬が元気なのに動かない」
「はい」
「嫌な予感しかしない」
私は甘味屋の方を見た。
焼き菓子の匂いがする。
とてもいい匂いだ。
しかし、馬車が動かないと王都へ行けない。
王都の婚約破棄イベントまでは、残り四時間を切っている。
【王都ルミナリア】
【婚約破棄イベント:実行まで残り3時間48分】
【聖女記憶領域:破損率64%】
【王都イベントキュー:容量超過】
「……」
私は甘味屋を見た。
次に停留所を見た。
また甘味屋を見た。
アルトが言う。
「リリィ」
「何?」
「先に馬車を直すべきでは?」
「わかってる」
「甘味屋を見ていた」
「視界に入っただけ」
「かなり長く見ていた」
「勇者スキルで観察力上がってるの、ちょっと腹立つね」
私はため息をついて、停留所へ向かった。
◇
馬車停留所では、御者たちが頭を抱えていた。
馬車は何台もある。
馬もいる。
荷物も積まれている。
旅人たちも待っている。
なのに、馬だけが動かない。
いや、動かないというより、全頭が同じ姿勢で立ち尽くしていた。
前脚をそろえ、首をまっすぐにし、視線を一点に固定。
まるで置物みたいだ。
「うわ」
私は思わず声を漏らした。
「馬が待機画面になってる」
御者の一人が私を見る。
「お嬢ちゃん、危ないから近づかない方がいいぞ。今朝から馬たちが妙でな」
「お嬢ちゃんじゃない。保守担当」
「保守……?」
「気にしないで」
私は馬に手をかざし、管理画面を開く。
【対象:馬車用馬】
【状態:待機中】
【移動命令:未受信】
【出発準備:完了】
【出発許可フラグ:未設定】
【待機解除条件:王都方面からの許可通知】
「出発許可フラグが立ってない」
アルトが覗き込む。
「王都方面からの許可通知とは?」
「たぶん、王都の交通管理みたいな処理。王都側が混雑してるから、馬車の出発許可が返ってきてない」
「それで馬が止まるのか?」
「止まる設計が変」
私はさらにログを見る。
【王都イベントキュー容量超過により、交通許可処理が遅延】
【遅延時の代替処理:なし】
【馬車側処理:無限待機】
「代替処理なし。無限待機」
私は額を押さえた。
「この世界、待機好きすぎるでしょ」
御者が首を傾げる。
「直せそうなのか?」
「直す」
「本当か!?」
「本当。だけど、馬を叩いたり引っ張ったりしないで。今、馬は悪くない」
御者たちが顔を見合わせる。
「馬は悪くない……?」
「悪いのは許可処理」
「許可処理……?」
「説明すると長いから、そういう妖精がサボってると思って」
「妖精が」
「そう」
アルトが小声で言う。
「それでいいのか?」
「だいたい合ってる」
「合っているのか」
私は馬車管理画面を操作する。
【修正候補】
1. 王都許可通知を待つ
2. 宿場町側で臨時出発許可を発行
3. 馬車を徒歩扱いに変更
4. 馬を全頭野生化する
「四番、怖いって」
アルトが画面を見て真顔になる。
「馬を野生化してはいけない」
「当たり前」
私は二番を選ぶ。
【宿場町側で臨時出発許可を発行しますか?】
【条件:王都街道の安全確認】
【安全確認中……】
【街道状態:通行可能】
【一部イベント影響あり】
【臨時許可:発行可能】
「よし。臨時許可発行」
【実行中……】
【馬車出発許可フラグを設定】
【馬車用馬:待機解除】
【移動命令:受信可能】
【運行再開】
ぴくり。
馬の耳が動いた。
続いて、全頭が一斉に鼻を鳴らす。
「ぶるるっ!」
御者たちから歓声が上がった。
「動いた!」
「馬が戻ったぞ!」
「お嬢ちゃん、何をしたんだ!?」
「だから保守担当」
御者は何もわかっていない顔で、何度も頷いた。
「すごい保守担当だな!」
「そこは合ってる」
バルクが拍手した。
「いやあ、見事ですな。これで王都行きの馬車も出せますぞ」
「すぐ出るやつある?」
御者の一人が手を上げた。
「王都行きなら、うちの馬車が出せる。ちょうど客も少ない」
「採用」
私は即答した。
「何分で出発?」
「準備はできている。十分もあれば」
「五分で」
「えっ」
「急ぎ」
「わ、わかった」
御者が慌てて準備を始める。
アルトが私を見る。
「急ぐのか」
「王都のイベントまで三時間半くらい。馬車なら間に合うかもしれない」
「なら、すぐに――」
「その前に甘味屋」
アルトが足を止めた。
「甘味屋」
「五分ある」
「五分で買えるのか?」
「買う」
「……わかった」
勇者くん、少しだけ諦めた顔をした。
◇
甘味屋では、焼きたての蜂蜜菓子を買った。
丸い生地に蜂蜜を染み込ませ、表面に砕いた木の実をまぶしたものだ。
香りがいい。
手触りもいい。
絶対おいしい。
「王都前の補給物資、確保」
私は紙袋を大事に抱えた。
アルトが言う。
「戦いの準備というより、遠足の準備に見える」
「糖分は戦力」
「そうなのか?」
「そう」
「なら、僕も一つ買うべきか」
「買いなよ。勇者スキルより効くかも」
アルトは真面目に蜂蜜菓子を買った。
店主が不思議そうに私たちを見ている。
「王都へ行くのかい?」
「うん」
「今日はやめた方がいいかもしれないよ。王都はまた例の騒ぎだ」
「例の騒ぎ?」
店主は肩をすくめる。
「王子殿下の婚約破棄だよ。何度目かは知らないが、貴族街ではもう見世物みたいになっているらしい」
「見世物」
私は眉を寄せた。
「婚約破棄って、人前でやるものなの?」
「王都ではね。広場や夜会で突然始まるんだとさ。泣く令嬢、怒る王子、清らかな聖女。毎回似たような流れらしい」
アルトの顔が険しくなる。
「毎回?」
「そう聞いてるよ。変な話だろう? だが王都の人間は慣れっこみたいだ」
私は蜂蜜菓子の袋を握る手に力を入れた。
【婚約破棄イベント】
【実行回数:147】
【次回実行:148回目】
【対象者精神負荷:危険域】
「……なるほどね」
何度も繰り返される婚約破棄。
慣れた観客。
泣く令嬢。
清らかな聖女。
テンプレみたいな光景。
でも、それが百四十八回。
笑えない。
「アルト」
「何だ?」
「馬車行くよ」
「ああ」
「蜂蜜菓子は大事に持って」
「ああ」
「潰したら許さない」
「気をつける」
私たちは停留所へ急いだ。
◇
王都行きの馬車は、思ったより快適だった。
揺れはそこそこ。
座席は少し硬い。
窓からは街道と草原が見える。
私は蜂蜜菓子を一つ食べた。
甘い。
とても甘い。
疲れた脳に染みる。
「採用」
アルトも一口食べ、目を少し見開いた。
「うまい」
「でしょ」
「甘いものは、こんなに気持ちを落ち着けるのだな」
「勇者くん、糖分の偉大さを学ぶ」
「大事だな」
「かなり」
馬車が街道を進む。
ミルカ宿場町が遠ざかり、王都へ近づいていく。
しかし、近づくほどに管理画面の赤い通知は増えていった。
【王都ルミナリア】
【王都イベントキュー:容量超過】
【婚約破棄イベント:実行まで残り2時間12分】
【聖女記憶領域:破損率65%】
【貴族派閥AI:敵対値上昇中】
【民衆感情補正:不安定】
【王子行動フラグ:強制実行待機】
【悪役令嬢判定:固定中】
【聖女ルート補正:待機中】
「増えるな」
私は画面を睨んだ。
アルトが横から見る。
「王子行動フラグ、強制実行待機……?」
「見ないでって言っても、どうせ見えるんだよね」
「すまない」
「謝りすぎ」
アルトは画面を見つめたまま、表情を曇らせる。
「強制実行ということは、王子本人の意思ではないのか?」
「可能性はある」
「悪役令嬢判定、固定中というのは?」
「誰かが、何をしても悪役として扱われる状態かも」
「そんなことが……」
「この世界だよ?」
アルトは黙った。
私は窓の外を見る。
遠くに、王都の城壁が見え始めた。
白い石で築かれた巨大な壁。
その奥に高い塔と城。
夕方の光を受けて、まるで絵本の王都みたいに輝いている。
見た目は綺麗だ。
でも、私の目には、その上空に赤いエラーが重なって見える。
きらびやかな街。
華やかな王城。
その上に点滅する、いくつもの警告。
「見た目だけ整ってるシステムって、一番厄介なんだよね」
アルトが聞く。
「どういう意味だ?」
「外から見ると綺麗。でも中身の処理はぐちゃぐちゃ。直す時に、どこから手をつけていいかわからない」
「王都も、そう見えるのか?」
「かなり」
その時、通信画面が開いた。
ノアだ。
『リリィよ』
「何?」
『勇者が旅立った。これで、世界は本来の流れへ戻るかもしれぬ』
「は?」
私は思わず低い声を出した。
「勇者が旅立っただけで安心してるの?」
『いや、その、勇者は世界を救う者であるし……』
「その勇者、薬草三本クエストで十年止まってたんだけど」
『うむ』
「毒沼イベントも止まって、村も壊れて、王都イベントも百四十八回目なんだけど」
『うむ……』
「本来の流れって、どこに残ってるの?」
『……』
「勇者一人動いたくらいで全部戻るなら、保守担当いらないでしょ」
『それは、まあ……』
「ノア」
『はい』
「この世界、勇者が旅立つ前から手遅れ箇所多すぎ」
『……はい』
「あと、勇者くんに全部背負わせる設計もやめて」
アルトが少し驚いたように私を見る。
私は続ける。
「世界を救う役割を一人に押しつけて、その人が止まったら全体が止まる。そんな設計、冗長性ゼロ。ざぁこ構成」
『じょうちょうせい……』
「予備がないってこと」
『なるほど』
「なるほどじゃない。反省して」
『反省しておる』
「足りない」
『深く反省しておる』
「よし」
通信画面の向こうで、ノアが小さくなった。
アルトは静かに言った。
「リリィ」
「何?」
「僕に全部背負わせるなと言ってくれたのか」
「別にあんたのためじゃない」
「そうか」
「システム設計として嫌いなだけ」
「それでも、ありがとう」
「一回でいい」
「今のは何回目だ?」
「多すぎてログ見るのもだるい」
アルトは少し笑った。
でもその目は、前より少しだけ軽くなっていた。
◇
馬車が王都へ近づくにつれ、道沿いの人影が増えていった。
商人。
旅人。
貴族の馬車。
兵士。
聖職者らしき人々。
そして、妙な会話も耳に入ってくる。
「今日も殿下の断罪劇があるらしいぞ」
「今度こそクラリス様も終わりかね」
「いや、前も同じことを言っていなかったか?」
「聖女様がお出ましになるなら、ありがたいことだ」
「でも、なんだか毎週同じような……」
毎週。
同じような。
人々は違和感を覚えている。
でも、それをはっきり認識できていない。
管理画面が補足する。
【王都住民】
【記憶補正:軽度】
【イベント違和感:蓄積中】
【発話抑制:低】
【慣れ処理:進行】
「慣れ処理」
私は眉を寄せた。
「人の違和感を慣れで押し潰してる」
アルトが拳を握った。
「ひどいな」
「ひどいね」
「王都に入ったら、すぐ止められるのか?」
「状況次第。下手に触ると、イベントが暴走する可能性もある」
「暴走……」
「そう。村の畑みたいに、巨大カボチャで小屋が潰れる程度ならまだ可愛いけど」
「可愛かったのか?」
「あれは食べられたからセーフ」
「判断基準が食べ物なのだな」
「大事」
その時、管理画面が強く点滅した。
【婚約破棄イベント:実行まで残り1時間】
【会場:王都中央広場】
【対象者移動中】
【王子行動フラグ:固定】
【クラリス悪役令嬢判定:固定】
【聖女セラフィナ:イベント巻き込み準備中】
「セラフィナ」
私はその名前を見た。
聖女セラフィナ。
記憶領域が破損している人。
イベントに巻き込まれようとしている人。
まだ会ったこともない。
でも、ログだけで嫌な感じがする。
「急ぐよ」
私は御者へ声をかけた。
「王都中央広場まで行ける?」
御者が振り返る。
「城門までは行けますが、中央広場までは混雑次第ですな。今日は例の騒ぎで人が集まっているでしょうし」
「例の騒ぎね」
「殿下の婚約破棄ですよ。王都名物みたいなものです」
「名物にするな」
御者は不思議そうに首を傾げた。
「ですが、皆さん見に行かれますよ」
「人の人生が壊れるところを?」
「え?」
御者が戸惑う。
私はそれ以上言わなかった。
言っても、今は伝わらない。
この王都では、婚約破棄も断罪も、見世物として処理されている。
何度も繰り返されて。
違和感を慣れに変えられて。
誰かが傷ついても、イベントだから仕方ないと流される。
「……性格悪いシステム」
私は小さく呟いた。
◇
王都ルミナリアの城門は、巨大だった。
白い石壁。
重厚な鉄門。
槍を持った兵士たち。
行き交う馬車と人々。
ハル村とは比べものにならない規模だ。
王都。
この国の中心。
華やかで、整っていて、強そうで。
そして、私の目には赤い通知まみれ。
【王都ルミナリア】
【入域処理:混雑】
【城門検問処理:遅延】
【婚約破棄イベント:実行まで残り42分】
【王都イベントキュー:限界値接近】
【重大警告:強制イベント連鎖の可能性】
「入る前からうるさい」
私は馬車を降り、城門の列を見た。
長い。
めちゃくちゃ長い。
旅人、商人、貴族の馬車、荷車。
人々が城門前で待たされている。
兵士は同じ言葉を繰り返していた。
「身分証を提示せよ」
「身分証を提示せよ」
「身分証を提示せよ」
私は額に手を当てた。
「嫌な既視感」
アルトも顔をしかめる。
「ハル村の会話バグに似ているな」
「似てる。かなり似てる」
管理画面を見る。
【城門検問処理】
【状態:確認済みフラグ未設定】
【身分証確認:実行】
【通行許可:未反映】
【処理ループ:発生中】
【待機人数:214人】
「二百十四人待ち」
私は深く息を吐いた。
「王都、入った瞬間から通知がうるさいどころか、入る前から壊れてる」
アルトが真剣に言う。
「どうする?」
「直す」
「婚約破棄イベントまで、時間がない」
「わかってる」
私は列を見た。
ここで検問処理を直さないと入れない。
でも、直すのに手間取れば中央広場のイベントに間に合わない。
王都のバグは、村より大きい。
人も多い。
影響範囲も広い。
つまり、面倒。
「ほんと、勇者が旅立っただけなのに」
私は赤い警告だらけの王都を見上げた。
「次のバグがデカすぎるでしょ」
その瞬間、王都の奥から鐘の音が鳴った。
ごおん。
ごおん。
広場の方角から、人々のざわめきが膨らんでいく。
「始まるぞ!」
「殿下の断罪だ!」
「今日は中央広場だ!」
「クラリス様が連れてこられたらしい!」
「聖女様もおられるぞ!」
人々が列を離れ、広場の方へ向かおうとする。
でも、城門処理が壊れているせいで、外から来た者は入れない。
中にいる人々だけが、見世物へ流れていく。
【婚約破棄イベント:実行準備完了】
【開始まで:15分】
【イベント参加者を会場へ誘導中】
【外部干渉者:未入域】
【干渉難度:上昇】
「外部干渉者って、私たち?」
「おそらく」
アルトが拳を握る。
「急がなければ」
「わかってる」
私は城門の検問処理に手をかざした。
【城門検問処理を修正しますか?】
【はい/いいえ】
「はい」
【修正項目】
・確認済みフラグ復旧
・身分証確認結果の反映
・通行許可処理の再開
・待機列の再計算
・イベント影響による検問停止を防止
「実行」
【実行中……】
城門の上に、薄い光が走る。
兵士たちが一瞬だけ目を瞬かせた。
「……あれ?」
一人の兵士が、自分の手元を見る。
「私は今、何度同じ確認を……?」
「百回くらい?」
私が言うと、兵士は青ざめた。
「そんなに!?」
「正確にはあとでログ見て」
検問の列が少しずつ動き始める。
【城門検問処理:正常化】
【待機列:解消中】
【通行許可:再開】
「よし。入るよ」
私はアルトを見る。
「走らない」
「早歩き」
「八分の一」
「わかった」
私たちは城門をくぐった。
王都ルミナリアの中へ入った瞬間、視界いっぱいに赤い通知が広がった。
【王都イベント処理暴走】
【婚約破棄イベント:開始まで10分】
【悪役令嬢断罪シナリオ:起動中】
【王子レオンハルト:行動固定】
【クラリス・フォン・アイゼンベルグ:悪役判定固定】
【聖女セラフィナ:記憶領域破損拡大】
【重大警告:王都イベントループが臨界値に接近】
「……」
私は立ち止まった。
王都の街並みは美しかった。
石畳。
噴水。
白い建物。
花飾り。
人々の華やかな服。
でも、その上に赤い警告が重なりすぎて、景色がまともに見えない。
アルトが低く言う。
「リリィ」
「うん」
「これは、ハル村より大きいな」
「大きいどころじゃない」
私は中央広場の方を見る。
人々が集まっている。
その中心で、金髪の王子らしき青年が誰かを指差しているのが見えた。
白いドレスの令嬢。
青ざめた顔。
周囲の貴族たち。
そして、祈るように胸元を押さえた銀髪の聖女。
聖女セラフィナ。
彼女だけが、周囲の熱狂の中で、どこか怯えたような目をしていた。
まるで。
これを前にも見たことがある、と言いたげに。
【聖女セラフィナ】
【既視感ログ:微弱】
【記憶断片:破損】
【感情:恐怖】
【発話候補:これは前にも――】
【発話抑制:実行】
セラフィナの唇が震える。
でも、声は出ない。
私は奥歯を噛んだ。
「……最悪」
広場の中心で、王子が声を張り上げる。
「クラリス・フォン・アイゼンベルグ!」
民衆がどよめく。
令嬢クラリスは、まっすぐ立っている。
だが、その指先は震えていた。
王子レオンハルトの頭上には、赤い表示。
【行動:婚約破棄宣言】
【感情補正:傲慢化】
【記憶補正:実行準備中】
【発話内容:固定】
「発話内容、固定」
私は吐き捨てるように言った。
アルトが剣に手をかけかける。
私はすぐ止めた。
「抜かない」
「だが――」
「剣で切れるバグじゃない」
「……わかった」
王子が言う。
「私は、貴様との婚約を破棄する!」
広場に歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。
誰かが面白がっている。
誰かが怯えている。
誰かが慣れた顔をしている。
クラリスの顔から血の気が引く。
セラフィナが小さく息を呑む。
【婚約破棄イベント:開始】
【実行回数:148】
【イベント完了まで:進行中】
【外部干渉者:接近】
私は一歩踏み出した。
もう休憩どころではない。
甘味屋とか、蜂蜜菓子とか、馬車とか、そんな話では済まない。
これは、人の人生を舞台装置にしているバグだ。
役割を押しつけて。
同じ悲劇を繰り返して。
違和感を慣れに変えて。
誰かの涙をイベントとして消費している。
「テンプレイベントごと、まとめて直してあげる」
私は管理画面を開いた。
王都の赤いログが、雪崩のように流れ込んでくる。
【王都イベント中枢へ接続しますか?】
【警告:権限衝突の可能性】
【警告:王国管理装置からの干渉あり】
【警告:強制シナリオ防衛処理が起動します】
「うるさい」
私はにやりと笑った。
「保守担当、王都案件に着手します」
そして、広場の中心へ向かって歩き出した。




