第7話 薬草一個で人生変わる勇者、心配なんだけど
勇者アルトのチュートリアルは、十年越しに完了した。
薬草を三個集めよう。
ただそれだけのクエストだった。
けれど、この世界には薬草が二本しか生成されていなかった。
つまり、最初から達成不可能。
勇者くんは、悪くなかった。
悪いのは世界。
もっと言えば、世界を作ったポンコツ神。
ここまではいい。
いや、よくはないけど、原因はわかった。
問題は、その後だった。
【勇者スキル解放処理を開始します】
【十年分の未適用成長データを反映します】
【警告:処理量が多すぎます】
【勇者スキル一括解放中】
【暴発注意】
「だからさぁ」
私は夜の訓練場で、赤く点滅する管理画面を睨んだ。
「十年分を一括適用するなって。差分更新って知ってる? 知らないよね、この世界だもんね」
目の前では、勇者アルトが金色の光に包まれていた。
髪がふわりと浮き、革鎧の隙間から光が漏れ、足元には謎の魔法陣が広がっている。
いかにも勇者覚醒という感じだ。
絵面だけなら、かなりかっこいい。
ただし、本人はめちゃくちゃ困っていた。
「リリィ」
「何?」
「体が熱い」
「勇者スキル解放中だから」
「地面が揺れている」
「魔力が漏れてる」
「木人形が飛んだ」
「それは見た」
「僕は爆発するのか?」
「しないで」
「しないように努力する」
「努力で止まるなら保守担当いらないんだよね」
訓練場の端では、さっき吹き飛ばされた木人形が無残に倒れていた。
胴体に大穴。
腕は片方なくなっている。
初心者用の訓練設備、勇者覚醒一発目で死亡。
かわいそうに。
【剣技:初級剣術を適用】
【剣技:中級剣術を適用】
【剣技:上級剣術を適用】
【剣技:聖剣適性を適用】
【身体能力補正:十年分を反映】
【魔力回路:再起動】
【勇者固有スキル:解放準備中】
「待って待って待って」
私は慌てて画面を操作する。
「初級から上級まで一気に積むな。初心者にいきなり最終装備持たせるタイプの雑調整じゃん」
アルトは真面目な顔でこちらを見る。
「リリィ、僕は何をすればいい?」
「まず剣を抜かない」
「わかった」
「魔力を感じても放出しない」
「わかった」
「かっこいい技名が頭に浮かんでも叫ばない」
「……わかった」
「今ちょっと叫びたかったでしょ」
「少しだけ」
「勇者くん、素直すぎて心配」
私は管理画面に手をかざす。
【一括解放処理を制御しますか?】
【はい/いいえ】
「はい」
【制御方式を選択してください】
1. 全スキル即時解放
2. 段階的解放
3. 一時凍結
4. 全削除
「四番が怖すぎる」
全削除って何。
勇者スキル全部消すな。
人生二回目の詰みになるでしょ。
「二番。段階的解放」
【段階的解放を選択】
【解放優先順位を設定してください】
画面にスキル一覧が表示される。
【剣術補正】
【身体強化】
【魔力感知】
【聖属性適性】
【危機察知】
【勇者の威圧】
【魔王特攻】
【民衆鼓舞】
【聖剣召喚】
【最終決戦補正】
「最終決戦補正、今いらない」
私は即座に後回しへ移動した。
「魔王特攻も今いらない。聖剣召喚もいらない。勇者の威圧も、村人びびらせそうだから後」
アルトが不安そうに聞いてくる。
「僕に必要ないのか?」
「今のあんたに必要なのは、世界を救う力じゃなくて、普通に歩いて普通に剣を振って普通に自分の体に慣れること」
「普通に……」
「そう。十年止まってたんだから、いきなり勇者しなくていい」
アルトは黙った。
金色の光の中で、少しだけ目を伏せる。
「僕は、勇者なのに」
「勇者でも準備運動くらいしなよ」
「準備運動」
「そう。あとリハビリ」
「リハビリ……」
「十年分の人生が急に動き出したんだから、体も心も追いつかないでしょ」
アルトは驚いたように私を見た。
なんでそんな顔をするの。
私はただ、当たり前のことを言っただけだ。
十年止まっていたものは、すぐには動かない。
無理に動かせば、壊れる。
システムも。
村も。
人間も。
「だからまずは、最低限だけ」
私はスキル一覧を並び替える。
【第一段階解放】
・身体安定化
・魔力感知
・基礎剣術補正
・危機察知弱
・疲労回復補助
「これでよし」
【第一段階解放を実行しますか?】
「実行」
【実行中……】
【身体能力補正を安定化】
【魔力回路を低出力で再起動】
【基礎剣術補正を反映】
【危機察知を低感度で有効化】
【疲労回復補助を有効化】
アルトを包んでいた金色の光が、少しずつ穏やかになっていく。
地面の揺れが止まる。
空気の震えも消える。
魔法陣の輝きが落ち着き、淡い光だけがアルトの体に残った。
「……落ち着いた」
アルトが自分の手を見つめる。
「体が軽い」
「十年分の勇者データを、ちょっとだけ入れたからね」
「すごいな」
「本当にすごいのは、これを十年間放置した神様の面の皮だけど」
通信画面を開く。
「ノア」
『な、なんじゃ?』
「勇者スキル、一括解放で暴発しかけた」
『おお、勇者覚醒じゃな』
「覚醒じゃなくて事故寸前」
『む』
「十年分の成長データを一括反映するな。人間をアップデートファイル扱いしないで」
『すまぬ……』
「謝罪ログだけ増えていくね、ざぁこ神」
『ぐはっ』
ノアが画面の向こうで倒れた。
私は通信を閉じる。
アルトは苦笑していた。
「君は、本当に神様にも遠慮しないんだな」
「遠慮したらログが減るの?」
「減らないと思う」
「じゃあしない」
「合理的だ」
「でしょ」
アルトは少しだけ笑った。
さっきまで泣いていた青年が、ちゃんと笑った。
その表情を見て、私は少しだけ胸の奥がむずむずした。
やりづらい。
こういうのは、本当にやりづらい。
◇
アルトのスキル解放が安定したあと、私は簡単な動作確認をすることにした。
前世でも、修正後の確認は大事だった。
直しました。
動きません。
別のところが壊れました。
そういう地獄を防ぐために、テストは必要である。
勇者にも、たぶん必要。
「じゃあ、まず歩いて」
「ああ」
アルトは一歩踏み出した。
その瞬間、体が前へ飛んだ。
「うわっ!」
彼は三メートルほど先まで一気に進み、慌てて踏ん張った。
地面に靴の跡が深く残る。
「……」
私は管理画面を見た。
【身体能力補正:適用済み】
【対象者の感覚補正:未調整】
「体だけ強化されて、本人の感覚が追いついてない」
アルトは振り返る。
「すまない。普通に歩いたつもりだった」
「普通の定義がアップデートされたね」
「どうすればいい?」
「まず半分の力で歩く」
「半分」
「いや、四分の一」
「四分の一」
「やっぱ八分の一」
「八分の一」
「素直に復唱する勇者、ちょっと面白い」
アルトは真面目に頷き、今度は慎重に歩いた。
一歩。
二歩。
三歩。
少しぎこちないが、今度は飛ばなかった。
「よし。次、木剣を持って」
アルトは訓練場に置いてあった木剣を拾う。
持った瞬間、木剣がばきりと折れた。
「……」
「……」
アルトが折れた木剣を見つめる。
「力を入れていない」
「入ってるんだよ。勇者基準で」
「すまない」
「木剣に謝って」
アルトは折れた木剣に向かって、真面目に頭を下げた。
「すまない」
「本当に謝るんだ」
「君が言ったから」
「勇者くん、真面目が過ぎる」
私はため息をつき、管理画面で近くの木剣を確認する。
【訓練用木剣】
【耐久値:12】
【勇者補正後の使用:非推奨】
「木剣が耐えられない」
「では、どうすれば」
「もっと丈夫なのが必要だけど……今は素手で動作確認」
「わかった」
「ただし、地面を殴らない」
「なぜ?」
「たぶん穴が開くから」
アルトは自分の拳を見た。
「そんなにか?」
「そんなにかも」
私は訓練場の端にあった丸太人形を見る。
さっき一体は吹き飛んだが、まだ数体残っている。
「じゃあ、あの丸太人形に向かって、軽く構えて」
「軽く」
「そう。攻撃はしない。構えるだけ」
アルトは丸太人形の前に立ち、剣を持っていないのに剣士のように構えた。
その瞬間、体の動きが変わった。
背筋が伸びる。
足の位置が自然に整う。
目つきが鋭くなる。
まるで、何年も修行した剣士のように。
【基礎剣術補正:正常】
【姿勢制御:安定】
【戦闘意識:起動】
「おお」
私は思わず感心した。
「見た目だけは勇者っぽい」
「見た目だけなのか?」
「中身は薬草で十年詰んでた人」
「それは……否定できない」
アルトは苦笑した。
さっきより、少しだけ自分の過去を軽く見られている気がした。
いい傾向だ。
全部すぐに笑い話にはできないだろう。
でも、いつか笑えるようになるなら、それでいい。
「じゃあ、軽く右手を前に」
「こうか?」
アルトが拳を少し前に出す。
その瞬間、拳圧のようなものが飛んだ。
丸太人形の頭部が、ぼん、と音を立てて外れた。
頭部は夜空を弧を描いて飛び、畑の方へ消えていく。
「……」
「……」
遠くで、誰かの声がした。
「なんか飛んできたぞ!?」
私は両手で顔を覆った。
「軽くでこれ?」
アルトは青ざめる。
「す、すまない! 本当に軽く――」
「わかってる。悪いのは出力調整」
【出力制御:未熟】
【推奨:低出力訓練】
「勇者くん」
「はい」
「明日から出力制御訓練」
「わかった」
「絶対に村の中で必殺技とか出さないで」
「必殺技は、まだ知らない」
「知らなくていい。今は知らないで」
「わかった」
私は管理画面を閉じた。
テスト結果。
歩行、要調整。
握力、危険。
構え、正常。
軽い動作、丸太の頭が飛ぶ。
総合評価。
「勇者、危なっかしい」
アルトは申し訳なさそうに肩を落とした。
「すまない」
「だから謝りすぎ」
「しかし、僕はまた迷惑を……」
「迷惑じゃなくて調整中」
「調整中」
「そう。あんたは壊れてるんじゃない。十年分の未適用データが一気に入って、体と心がびっくりしてるだけ」
「そうなのか」
「そうなの」
私はアルトを見上げる。
「だから、いきなり完璧な勇者になろうとしない」
アルトは静かに私を見る。
「僕は、完璧でなければいけないと思っていた」
「何で?」
「勇者だから」
「出た、勇者だから」
私は腕を組んだ。
「じゃあ聞くけど、勇者って何?」
「世界を救う者だ」
「誰が決めたの?」
「神託が……」
「その神託出した神様、薬草二本しか生成してないけど」
アルトは黙った。
「勇者って肩書きは、あんたを十年救ってくれなかった」
「……」
「だったら、肩書きより先に、あんた自身をちゃんと立て直しなよ」
アルトは何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。
夜の訓練場に、静かな風が吹く。
「僕自身……」
「そう」
私は少しだけ目を逸らす。
「勇者としてどうするかは、その後でいいんじゃない?」
言ってから、照れくさくなった。
ああ、また真面目なことを言ってしまった。
よくない。
キャラがブレる。
私は慌てて付け足す。
「まあ、薬草一個で人生変わる勇者くんは、まず普通に歩くところからだけどね」
アルトは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「そうだな」
「笑った?」
「少し」
「よし。メンタル復旧、進捗一パーセント」
「一パーセントなのか」
「十年分だからね。道のり長いよ」
「頑張る」
「頑張りすぎない」
「……わかった」
アルトは少し考えてから、頷いた。
今度の「わかった」は、ただの復唱ではない気がした。
◇
翌朝。
ハル村の広場には、村人たちが集まっていた。
夜のうちに、勇者アルトのチュートリアルが完了したという話が広まったらしい。
村人たちはざわざわと興奮していた。
「勇者様が……」
「十年も村外れにいたとは……」
「私たちも言葉が出なくて、気づいていても声をかけられなかった」
「ずっと探しておられたのか……薬草を……」
アルトは広場の中央で、どこか居心地悪そうに立っていた。
私はその横で、木苺のパンをかじっている。
「緊張してる?」
「少し」
「勇者なのに?」
「勇者だから、かもしれない」
「めんどくさい肩書き」
村長が前に出た。
「アルト様」
アルトは背筋を伸ばす。
「はい」
「私たちは、あなたが十年間苦しんでいたことを知りませんでした。いいえ、知っていても、言葉にできませんでした」
「村長……」
「あなたが村を救えなかったと、ご自身を責める必要はありません。私たちもまた、自分たちのことで精一杯だった」
アルトは唇を噛む。
「それでも、僕は本来なら、この村を――」
村長は首を横に振った。
「本来なら、という言葉で、これ以上あなたを縛る必要はないでしょう」
私は思わず村長を見た。
おお。
いいこと言う。
村長、実はめちゃくちゃ話せるタイプだった。
十年間「ようこそ旅人さん」に閉じ込められていたの、だいぶ損失では?
村長は続けた。
「私たちは、リリィさんに救われました。そして、あなたもまた救われた。ならば、これから何をするかを考えましょう」
アルトは黙って聞いていた。
村人たちは責めなかった。
誰も、十年間何をしていたんだとは言わなかった。
誰も、勇者なのに情けないとは言わなかった。
それどころか、宿屋の女将マリナが歩み出て、小さな包みを差し出した。
「旅に出られるのでしたら、これを」
「これは?」
「パンと干し肉です。あと、木苺の焼き菓子を少し」
私は即座に反応した。
「木苺の焼き菓子?」
「リリィさんの分もありますよ」
「採用」
アルトは包みを受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
農夫が笑う。
「勇者様、畑が本格的に戻ったら、もっといい野菜を持っていってくれ」
「はい」
子どもたちが走ってくる。
その中には、私に小さなニンジンをくれた男の子もいた。
「勇者さま、これ!」
男の子が差し出したのは、薬草だった。
アルトは一瞬固まる。
男の子はにこにこして言う。
「今度は三つあるよ!」
周囲が少しだけ凍った。
私は額に手を当てた。
「子ども、無邪気に急所を刺す」
アルトは薬草を見つめる。
そして、ふっと笑った。
「ありがとう」
「いる?」
「いや、大丈夫だ。僕のチュートリアルは、もう終わったから」
「ちゅーとりある?」
「最初の練習みたいなものだ」
「じゃあ、勇者さま、もう強い?」
アルトは少し困った顔で私を見た。
私はパンをかじりながら言う。
「強いけど、出力調整ざぁこ」
「ざぁこ?」
「変な言葉覚えなくていい」
男の子はきゃっきゃと笑った。
アルトも笑った。
それを見て、村人たちの空気が少し柔らかくなる。
十年止まっていた勇者が、やっと村人たちの前で笑った。
「よかったじゃん」
私が小さく言うと、アルトは静かに頷いた。
「ああ」
◇
村の北門。
昨日まで消えていた道が、今はちゃんと外へ続いている。
アルトは旅支度を整え、街道を見つめていた。
革鎧。
剣。
小さな荷物。
村人たちから渡された食料。
勇者の旅立ちとしては、かなり地味だ。
聖剣もない。
豪華な馬車もない。
王国兵の見送りもない。
でも、本人にとっては十年越しの一歩だった。
「リリィ」
「何?」
「僕は、外へ行く」
「うん。知ってる」
「でも、まだ自信はない」
「まあ、歩くだけで三メートル飛ぶしね」
「それもある」
「あるんだ」
アルトは苦笑した。
「僕は勇者として選ばれた。でも、十年も最初の試練で止まっていた。その事実は消えない」
「消えないね」
「だから、怖い」
彼は街道を見た。
「また何かに止められるんじゃないか。また、自分ではどうにもできないことで進めなくなるんじゃないか。そう思う」
私は黙って聞いた。
「でも」
アルトは、薬草を三本入れた小さな袋を取り出した。
「これを見ると、思うんだ」
「何を?」
「進めない理由が、自分のせいとは限らない」
私は少しだけ目を細めた。
「それで?」
「もしまた止まったら、原因を探す。自分を責める前に、何が起きているのかを見る」
「へぇ」
私は口元を上げた。
「勇者くん、ちょっと保守担当っぽくなったじゃん」
「君の影響だ」
「それは心配」
「なぜ?」
「口が悪くなる」
「それは……少し困る」
アルトは真面目に悩んだ。
この勇者、やっぱり面白い。
そこで、彼は改めて私を見る。
「リリィ」
「だから何?」
「君に、一緒に来てほしい」
予想はしていた。
でも、やっぱり面倒くさい。
「やだ」
私は即答した。
アルトが固まる。
「即答……」
「そりゃそうでしょ。私、昨日から働きっぱなしなんだけど? 会話、水、畑、出口、勇者。どれだけ障害対応させる気?」
「それは、すまない」
「謝罪で疲労は回復しません」
「では、どうすれば」
「寝たい」
「……確かに」
アルトは納得した。
納得するんだ。
「でも、君の力があれば、多くの人を救える」
「出た。多くの人」
私は腕を組む。
「言っとくけど、私は世界を救いたくてやってるわけじゃないから」
「ああ」
「神様のためでもない」
「ああ」
「勇者の旅に同行する義務もない」
「ああ」
「私は安全な寝床とおいしいご飯と休日がほしい」
「大事だな」
「大事なの」
私は街道を見た。
外へ続く道。
昨日まで、村人を閉じ込めていた道。
その先には、たぶんもっと多くのバグがある。
王都。
聖女。
魔王。
婚約破棄イベント。
ログに出ていた、まだ見ぬ障害たち。
考えただけで面倒くさい。
「でも」
アルトが言った。
「君は、見つけたら放っておけないのではないか?」
私はじろりと睨む。
「勇者くん」
「はい」
「昨日まで薬草で十年詰んでたくせに、人の性格を見抜こうとするの生意気」
「す、すまない」
「でも、ちょっと当たってるから腹立つ」
アルトは困ったように笑った。
私は深くため息をつく。
「とりあえず、今すぐは行かない」
「そうか」
「まず寝る」
「ああ」
「ご飯食べる」
「ああ」
「勇者くんの出力制御訓練もする」
「それは助かる」
「あと、村の最終チェック」
「まだ何かあるのか?」
「ないことを確認するのが大事なの」
私は管理画面を開く。
【ハル村主要機能】
【会話機能:正常】
【水源:正常】
【農地:回復中】
【境界結界:正常】
【勇者チュートリアル:完了】
【未処理重大エラー:なし】
「よし。村は一旦大丈夫」
少し安心した。
その瞬間。
管理画面の端に、新しい通知が出た。
【遠隔エラーを検出しました】
【発生源:王都ルミナリア】
【王都イベントキュー:容量超過】
【婚約破棄イベント:実行準備中】
【聖女記憶領域:破損拡大中】
【優先度:高】
「……」
私は無言で画面を閉じた。
アルトが首を傾げる。
「どうした?」
「何でもない」
再び画面が開く。
【優先度:高】
「閉じても開くな」
アルトが画面を覗き込もうとする。
「王都、ルミナリア……?」
「見ないで」
「婚約破棄イベント?」
「見ないでって言った」
「聖女記憶領域……これは危険なのか?」
私は頭を抱えた。
「勇者くん、読むの早いね」
「勇者スキルの影響かもしれない」
「余計なところで成長しないで」
アルトは真剣な顔になる。
「王都で、何か起きているのか?」
「起きてるっぽい」
「なら、行かなければ」
「出た。勇者ムーブ」
「勇者だから」
「その肩書きに振り回されるなって言ったばかりなんだけど」
「でも、困っている人がいるなら」
アルトはそこで言葉を止めた。
そして、少し考えて言い直す。
「いや……違うな」
「何が?」
「勇者だから行くのではなく、僕が行きたい」
私は目を細めた。
アルトは街道の先を見る。
「止まっていた僕を、君が動かしてくれた。なら今度は、僕が自分の意思で進みたい」
真面目。
まぶしい。
ちょっと暑苦しい。
でも、さっきよりずっといい。
「ふーん」
私はそっぽを向いた。
「じゃあ、行けば」
「君は?」
「私は寝る」
「その後は?」
「ご飯」
「その後は?」
「……出力制御訓練」
「その後は?」
「しつこい」
アルトは黙った。
でも、じっとこちらを見ている。
やりづらい。
この勇者、素直すぎるくせに、変なところで粘る。
「はぁ」
私は大きくため息をついた。
「王都までは?」
「街道を進めば、徒歩で三日ほどだと聞いている」
「三日」
「馬車なら一日半ほど」
「馬車あるの?」
「村にはないかもしれない」
「はい却下。徒歩三日はだるい」
アルトは真面目に考える。
「では、近くの宿場町で馬車を探すのはどうだろうか」
「近くの宿場町?」
「北門の道を進んだ先にあるはずだ。十年前の情報だが」
「十年前の情報、信頼性ざぁこ」
「確かに」
管理画面で街道情報を確認する。
【ハル村北街道】
【接続先:ミルカ宿場町】
【距離:徒歩半日】
【状態:一部経路不安定】
【道案内看板:異常】
「徒歩半日で宿場町。道案内看板、異常」
私は顔をしかめた。
「また道中バグありそう」
「それなら、君がいた方が安全では?」
「巻き込み方が自然になってきたね、勇者くん」
「すまない」
「でもまあ」
私は王都の警告を見る。
【聖女記憶領域:破損拡大中】
聖女。
まだ会ったこともない誰か。
回復魔法を使うたびに記憶を失う、とログにはあった。
もしそれが本当なら。
村人たちが言葉を奪われていたように。
アルトが十年止められていたように。
その聖女も、何かを奪われ続けているのかもしれない。
「……ほんと」
私は小さく呟く。
「放っておきにくい通知出すの上手いね、この世界」
アルトは何も言わなかった。
私は彼を見上げる。
「勘違いしないでよ」
「ああ」
「王都に行くかは、私が決める」
「ああ」
「勇者に頼まれたからじゃない」
「ああ」
「王都のバグが気持ち悪いから確認するだけ」
「ああ」
「あと、宿場町においしいものがあるかもしれないから」
「それは大事だ」
「わかってきたじゃん」
アルトは微笑んだ。
私は管理画面を閉じる。
「今日は寝る。明日は勇者くんの出力制御訓練。明後日、村の人たちに挨拶して、宿場町方面を確認」
「では、一緒に来てくれるのか?」
「確認って言った」
「そうか」
「でも、たぶん行く」
アルトの表情が明るくなる。
私は指を突きつけた。
「ただし」
「はい」
「勝手に勇者っぽく突っ走らない」
「はい」
「薬草で詰んでた過去を変に引きずらない」
「……はい」
「出力制御できるまで、剣を振る時は私に確認」
「はい」
「あと、私の睡眠を邪魔しない」
「それが一番大事そうだ」
「よくわかってる」
私はあくびをした。
緊張が解けたせいか、一気に眠気が来る。
「じゃあ、今日は解散」
「リリィ」
「何?」
「ありがとう」
私は歩き出しかけて、少しだけ止まった。
「一回でいいって言ったでしょ」
「すまない」
「それも言いすぎ」
「……わかった」
アルトは少し笑った。
「では、おやすみ」
「うん」
私は宿屋へ向かって歩き出す。
背後には、街道を見つめる勇者がいる。
十年止まっていた人が、ようやく自分の足で歩き出そうとしている。
たかが薬草一個。
でも、その一個で人生が動くこともある。
「薬草一個で人生変わる勇者、心配なんだけど」
私は小さく呟いた。
でも、口元は少しだけ笑っていた。
◇
宿屋の部屋に戻った私は、今度こそベッドに倒れ込んだ。
硬い。
でも寝られる。
最高。
目を閉じる直前、管理画面がぴこんと鳴った。
「鳴るな」
【新規ログ】
【勇者アルト:チュートリアル完了】
【勇者アルト:行動制限解除】
【勇者アルト:次回イベント未定】
【世界進行率:0.7%上昇】
「〇・七パーセント」
私は半目で画面を見る。
「上がり幅しょぼ」
でも、ゼロではない。
この世界は、ほんの少しだけ進んだ。
会話を取り戻した村。
水が戻った井戸。
芽吹いた畑。
開いた道。
そして、旅立てるようになった勇者。
全部、少しずつ。
「……まあ」
私は布団をかぶった。
「今日はこれくらいで許してあげる」
画面の端には、まだ王都の警告が小さく点滅している。
【王都イベントキュー:容量超過】
【婚約破棄イベント:実行準備中】
面倒くさそう。
ものすごく面倒くさそう。
でも、それは明日の私が考えることだ。
今日の私は寝る。
「おやすみ、ざぁこ世界」
そう呟いて、私は目を閉じた。
今度こそ、通知は鳴らなかった。




