第3話 井戸が無限に毒水を吐いてるとか終わってる
第3話です。
村人たちの言葉を取り戻したリリィですが、休む間もなく次のエラー通知。
今度は、村の井戸が十年間ずっと毒水を吐き続けていました。
生活インフラが壊れている村、普通に終わってます。
保守担当リリィ、今度は水源復旧です。
「こちらです、リリィ様」
「様いらないって言ったよね?」
「失礼しました、リリィ様」
「聞いてた?」
私は村長の後ろを歩きながら、半目になった。
ハル村の中央広場から少し離れた場所。
石畳の道を進んだ先に、古びた井戸があった。
丸い石積み。
木製の屋根。
滑車には縄が巻かれている。
見た目だけなら、普通の村の井戸だ。
ただし、近づいた瞬間に鼻を刺すような臭いがした。
「うわっ」
私は思わず顔をしかめた。
「なにこの臭い。薬品工場?」
井戸の周りには、誰も近づかないように木の柵が立てられていた。
柵には古い札が吊るされている。
文字は読めなかったが、管理画面が自動翻訳してくれた。
【危険】
【この井戸の水を飲んではならない】
「十年前からずっと、この状態?」
私が尋ねると、村長は暗い顔で頷いた。
「はい。ある日突然、井戸水が紫色に濁りましてな。飲んだ者は腹を壊し、ひどい者は三日も寝込みました」
「紫色の水、飲む前にやめなよ」
「最初は夕焼けが映っているのかと」
「前向きすぎる」
村長は苦笑した。
「それ以来、村人は毎朝、遠くの川まで水を汲みに行っております」
「遠くの川?」
「歩いて片道一時間ほどです」
「毎日?」
「はい」
「十年間?」
「はい」
私は黙った。
片道一時間。
往復二時間。
毎日、水を汲みに行く。
それを十年。
「……普通に生活壊れてるじゃん」
私は小さく呟いた。
さっき会話バグを直したばかりだ。
村人たちは十年ぶりに自由に話せるようになった。
でも、言葉が戻っても、水がなければ生活は苦しいままだ。
炊事。
洗濯。
畑。
家畜。
子どもの水分。
病人の世話。
水が壊れるということは、村の全部が壊れるということだ。
「神様さぁ……」
私は通信画面を開いた。
すぐに、白髭の神様ノアの顔が表示される。
『な、なんじゃ? わしは今、心の傷を癒やしておって――』
「井戸の件」
『早いのう』
「井戸の毒水バグ、把握してた?」
『うむ。たしか、毒沼イベントの名残だったはずじゃ』
「毒沼イベント?」
『十年前、この村の近くに毒沼の魔物が出現するイベントがあってのう。本来なら、指定された討伐者が魔物を倒し、毒沼が浄化され、村の井戸も元に戻る流れだったのじゃ』
「指定された討伐者?」
『うむ。世界の進行上、いずれこの地を訪れるはずの者じゃ』
「その人、来なかったんだ?」
『……そのようじゃな』
「そのようじゃな、じゃないでしょ。イベント完了条件に関わる人間が未到達なのに、十年放置?」
『面目ない』
「面目とかいいから、ログ見て」
私は管理画面を開く。
【対象:ハル村中央井戸】
【状態:毒化中】
【毒性レベル:中】
【汚染源:毒沼イベント残留フラグ】
【本来終了予定:イベント開始から72時間後】
【実際経過時間:3652日】
【自動停止処理:失敗】
【手動停止:可能】
「本来三日で終わるイベントが、十年継続」
私は目を細めた。
「毒水サブスクじゃん。しかも解約ボタン壊れてるやつ」
村長が不思議そうに首を傾げる。
「さぶすく……?」
「知らなくていい。知ると心が荒むから」
私はログをさらに確認する。
【毒沼イベント】
【状態:未完了】
【イベント開始:3652日前】
【完了条件:毒沼主の討伐】
【指定討伐者:未到達】
【井戸毒化解除:未実行】
「指定討伐者、未到達……」
私は眉を寄せた。
「つまり、本来なら誰かがこのイベントを終わらせるはずだった。でも、その誰かが来なかった。だから毒水だけが十年残ったってこと?」
『そうなるのう』
「イベント進行前提で生活インフラを毒化するな。設計思想が雑すぎる」
『返す言葉もない』
「ざぁこ神」
『ぐふっ』
ノアが画面の中でよろめいた。
私はため息をつき、井戸の縁に手を置いた。
井戸の中を覗き込む。
暗い底の奥で、水面がぼんやり紫色に光っていた。
「色がもう終わってる」
毒化処理の詳細を開く。
【毒化処理詳細】
・井戸水属性を「通常」から「毒」に変更
・毒沼イベント完了時に通常属性へ復帰
・イベント完了条件:毒沼主撃破
・毒沼主状態:未撃破
・毒沼主現在位置:不明
・指定討伐者到達フラグ:未達成
「毒沼主、未撃破。現在位置、不明……?」
嫌な予感がした。
不明という表示は、だいたい面倒なやつだ。
前世でも、原因不明とか、再現手順不明とか、担当者不明とか、そういうものは全部ろくでもなかった。
私は村長を見る。
「この村の近くに、昔、毒の沼とかあった?」
「ありました。村の北の森の奥です」
「今は?」
「十年前に突然干上がりました」
「毒沼主っていう魔物は?」
「姿を見た者はおりません。ただ、井戸が毒になった頃から、川の近くに魔物が出るようになりましてな」
「川?」
「はい。村人が水を汲みに行く川です」
私は無言で管理画面を見る。
【汚染源追跡中……】
【毒沼主現在位置:ハル川付近】
【状態:待機中】
【行動目的:イベント対象者を待機】
「……」
私は空を見上げた。
「ノア」
『なんじゃ?』
「毒沼主、川で待機してる」
『ほう』
「村人が水を汲みに行く川で」
『……ほう?』
「指定討伐者を待つイベント用魔物が、対象者が来ないせいで十年間川に居座ってる」
『……』
「村人、毎日そこに水汲みに行ってる」
『……』
「どう思う?」
ノアは目を逸らした。
『大変、申し訳なく……』
「ざぁこ神」
『今日は攻撃回数が多くないかのう!?』
「攻撃じゃなくて障害レビュー」
私は通信を切った。
村長が心配そうに私を見ている。
「リリィ様、やはり井戸を直すのは難しいのでしょうか」
「難しいというか、面倒」
「そう、ですか……」
村長の肩が落ちる。
私はすぐに顔をしかめた。
「ちょっと。勝手に諦めないでくれる?」
「え?」
「面倒って言っただけ。直せないとは言ってない」
私は井戸に向き直る。
「毒沼イベントの残留フラグを解除して、水属性を通常に戻す。ついでに毒沼主の待機状態も切る」
「それは……」
「つまり、井戸を直すってこと」
村長の目が見開かれる。
「本当に……?」
「本当。まあ、見てなよ」
私はニヤッと笑った。
「井戸ひとつ直せない保守担当とか、ざぁこすぎるでしょ」
◇
井戸の前に、村人たちが集まってきた。
さっき言葉を取り戻したばかりの人々だ。
まだ泣き腫らした顔の者もいる。
宿屋の女将マリナ。
木の玩具を持った男の子。
農夫。
老人。
若い母親。
みんなが不安そうに井戸を見つめていた。
「リリィ様が、井戸を……」
「水が戻るのか?」
「でも、あの井戸は十年も……」
「もしまた毒が広がったら……」
ざわめきが広がる。
私は振り返った。
「不安なら離れてていいよ。毒水が噴き出す可能性もゼロではないし」
村人たちの顔が一斉に青ざめる。
村長が震えた。
「ふ、噴き出すのですか?」
「たぶん噴き出さない」
「たぶん!?」
「保守作業に絶対はないから」
「怖いことを言わないでくだされ!」
私は肩をすくめる。
前世でもそうだった。
本番作業に「絶対大丈夫」なんて言葉はない。
あるのはバックアップと、手順書と、祈りと、なんか妙に冷たい胃のあたりだけ。
ただし今回は、手順書もバックアップも神様の設計も信用できない。
「うーん、最悪」
私は自分で言ってから、少し笑った。
「まあ、最悪には慣れてるけど」
管理画面を開く。
【毒化処理停止】
【実行前確認】
・毒化フラグ解除
・毒沼イベント強制終了
・井戸水属性復元
・毒性値再計算
・汚染残留チェック
・水質安定化処理
【注意】
毒沼主が未撃破のため、イベント強制終了時に反発処理が発生する可能性があります。
「反発処理?」
画面の端に、新しい警告が浮かぶ。
【毒沼主がイベント終了を拒否しています】
「拒否してんじゃないよ。十年も待機してたくせに」
私は北の森の方を見た。
遠くから、低い唸り声のようなものが聞こえた気がした。
村人たちがざわめく。
「森の方から……」
「まさか、あの魔物か?」
「川に出る影だ……」
地面が小さく震える。
管理画面に赤い表示。
【毒沼主:接近中】
【目的:イベント継続】
【対象:井戸毒化処理の維持】
「井戸の毒化を守りに来る魔物って何。職務意識高すぎ」
私は軽く舌打ちした。
村の北側。
森の木々の間から、ぬるりと巨大な影が現れた。
それは、大きなカエルのような魔物だった。
体は馬車ほどもある。
皮膚は紫色にぬめり、背中には毒々しい斑点。
口からは黒い泡が垂れている。
村人たちが悲鳴を上げる。
「毒沼主だ!」
「あれが川にいた魔物……!」
「逃げろ!」
私は魔物を見た。
魔物の頭上には、状態表示が浮かんでいる。
【毒沼主ゲロゲロス】
【レベル:18】
【イベント役割:毒沼の主】
【現在状態:イベント待機疲労】
【待機時間:3652日】
【不満値:限界】
「名前だっさ」
毒沼主ゲロゲロスが、怒ったように鳴いた。
「ゲロォォォォ!」
「名前に反応した?」
魔物は大きく口を開け、毒の泡を吐こうとする。
村人たちが逃げ惑う。
私は管理画面を操作した。
【敵対行動検知】
【毒泡攻撃:発動準備】
【対処候補】
1. 回避
2. 結界展開
3. 攻撃キャンセル
4. イベント役割解除
「はい、四番」
私は迷わず選択する。
【イベント役割解除には対象の行動理由を確認する必要があります】
「面倒くさっ」
毒泡が放たれる。
私は指を弾いた。
【簡易結界展開】
半透明の壁が目の前に出現する。
毒泡は結界に当たり、じゅわっと嫌な音を立てて消えた。
村人たちが目を丸くする。
「結界……!」
「やはりリリィ様は聖女……!」
「聖女じゃない。保守担当」
私は毒沼主ゲロゲロスを睨んだ。
「で、あんたは何で井戸の毒化を維持したいわけ?」
管理画面が魔物のログを展開する。
【毒沼主行動ログ】
【目的:指定討伐者との戦闘イベントを開始する】
【討伐者未到達のため待機】
【待機中に川へ移動】
【村人接近時、イベント対象者ではないため威嚇のみ】
【井戸毒化処理を維持し続けることでイベント進行を待機】
「……」
私は眉を寄せた。
「あんたも、十年待たされてた側か」
ゲロゲロスが低く鳴いた。
「ゲロ……」
さっきより、少しだけ弱い声だった。
この魔物も、好きで十年も川にいたわけではない。
イベントが終わらないから、役割を続けていただけ。
毒を吐く魔物。
村を苦しめる敵。
そういう役割に固定されていただけだった。
「ほんと、この世界さぁ」
私は奥歯を噛んだ。
「誰かを待機させすぎ」
村人も。
この魔物も。
そして、まだ見ぬ指定討伐者も。
全部、止まっている。
誰かが作ったイベントのせいで。
誰かが放置したバグのせいで。
「はい、決めた」
私は管理画面に手をかざす。
「井戸だけじゃなくて、あんたの役割も解除する」
ノアから通信が入る。
『待て、リリィ! 毒沼主はイベント魔物じゃ。役割を解除すると、魔力循環に影響が――』
「うるさい」
『しかし――』
「十年も止まってたイベントが、今さら正常な循環に役立ってるわけないでしょ」
『それは、まあ……』
「だったら黙って見てな、ざぁこ神」
私は毒沼主ゲロゲロスを指差した。
「ゲロゲロス」
「ゲロ?」
「あんたの待機、今日で終わり」
管理画面に警告が出る。
【イベント役割解除を実行しますか?】
【注意:対象は通常魔物へ再定義されます】
【はい/いいえ】
「はい」
【実行中……】
【イベント役割:毒沼の主 解除】
【指定討伐者待機フラグ:解除】
【井戸毒化維持命令:解除】
【対象行動目的を再構築】
ゲロゲロスの体を淡い光が包む。
紫色だった斑点が少し薄くなる。
背中から立ち上っていた毒気も弱まっていく。
魔物は混乱したように目を瞬かせた。
「ゲロ……?」
「自由になった感想は?」
「ゲロ」
「語彙弱いな」
ゲロゲロスはしばらく私を見ていたが、やがて大きな体をのそのそと動かし、森の方へ歩き始めた。
村人たちは驚いて道を開ける。
去り際、ゲロゲロスは一度だけ振り返った。
「ゲロ」
「はいはい。もう川で村人脅かさないでよ」
「ゲロ」
魔物は森の奥へ消えた。
村人たちは呆然としている。
「魔物が……去った……」
「倒さずに……?」
「リリィ様が言葉で……」
「違う。設定を外しただけ」
私は井戸に向き直った。
「さて、本題」
管理画面に戻る。
【毒沼イベント:終了済み】
【井戸毒化処理:停止可能】
【水質復元を開始しますか?】
私は指を鳴らした。
「実行」
【実行中……】
【毒化フラグ解除】
【水属性:毒 → 通常】
【残留毒素分解】
【井戸内部浄化】
【地下水脈再接続】
【水質安定化】
井戸の奥から、低い音が響いた。
ごぼり。
ごぼごぼ。
紫色の水面が泡立つ。
村人たちが息を呑む。
私は結界を張ったまま、水面を見つめる。
紫色が、少しずつ薄くなっていく。
濁った色が透明に変わる。
嫌な臭いが消えていく。
井戸の底から、澄んだ水の音が聞こえた。
【水質:正常】
【毒性レベル:0】
【飲用:可能】
【井戸状態:復旧】
「はい、完了」
私は管理画面を閉じた。
「水、戻ったよ」
誰も動かなかった。
村人たちは、信じられないという顔で井戸を見ている。
村長が震える手で桶を下ろした。
滑車がきい、と鳴る。
桶が水面に落ちる音。
縄を引く音。
水の重み。
ゆっくりと引き上げられた桶の中には、透明な水が揺れていた。
村長は水を見つめたまま、息を止めている。
「念のため私が確認する」
私は桶に手をかざした。
【水質:正常】
【毒性:なし】
【微生物危険度:低】
【味:やや硬水】
「飲める」
その一言で、村人たちがざわめいた。
村長は小さな杯で水をすくう。
手が震えていた。
「村長、無理しなくても――」
「いえ」
村長は静かに首を振った。
「この村の長として、最初に確かめねばなりません」
そして、杯に口をつけた。
水を飲む。
沈黙。
村人たちが見守る。
村長はゆっくり目を閉じた。
「……水だ」
その声は、かすれていた。
「ただの、水だ……」
次の瞬間、村長の頬を涙が伝った。
「十年ぶりの……この村の水です」
村人たちが一斉に井戸へ駆け寄る。
「俺にも!」
「子どもたちに先に!」
「母さん、飲んで!」
「マリナさん、桶を!」
透明な水が、次々と杯に注がれる。
子どもが飲む。
老人が飲む。
母親が赤ん坊の口元に水を含ませる。
農夫が空を見上げて泣く。
「もう、川まで行かなくていいんだ……」
「朝暗いうちに起きなくていいんだ……」
「魔物に怯えなくていいんだ……」
宿屋の女将マリナが、両手で杯を包みながら言った。
「水って……こんなに甘かったんですね」
「いや、成分的にはやや硬水だけど」
私はつい訂正した。
マリナは涙を浮かべたまま笑う。
「それでも、甘いです」
「……そ」
私は目を逸らした。
胸の奥が、また少しだけ変な感じになった。
こういうのは苦手だ。
感謝されるのも。
泣かれるのも。
誰かの生活が戻る瞬間を見るのも。
前世では、システムが直っても、返ってくるのはだいたい「次から気をつけて」だった。
深夜に復旧しても、翌朝には次の障害が来た。
でもここでは、井戸が直っただけで、人が泣く。
水が出るだけで、村が笑う。
「……ほんと、ちょろい世界」
私は小さく言った。
でも、その声に毒はなかった。
◇
その日の夕方。
ハル村では、ちょっとしたお祝いが始まっていた。
宿屋の前には長いテーブルが出され、焼きたてのパン、野菜スープ、干し肉、木苺のパイが並んでいる。
私は木苺のパイを前に、真剣な顔をしていた。
「これ、食べていいやつ?」
マリナが笑う。
「もちろんです。リリィさんのために焼きました」
「ふーん。そこまで言うなら食べてあげる」
一口。
甘酸っぱい木苺。
香ばしい生地。
ほんのり温かい。
「……採用」
「よかったです」
「マリナ、料理スキル高いね。宿屋機能ちゃんと復旧してる」
「それは褒められているのでしょうか?」
「めちゃくちゃ褒めてる」
私は二口目を食べた。
おいしい。
異世界、ちょっとだけ許した。
村長が隣に座る。
「リリィ様」
「様いらない」
「リリィさん」
「よし」
村長は柔らかく笑った。
「あなたは、言葉を戻し、水を戻してくださいました。この村は、十年止まっていた時間を、ようやく進められます」
「大げさ」
「大げさではありません」
村長は首を振る。
「私たちは話せず、飲めず、畑も痩せ、外へ出るにも危険がありました。それでも、なぜそうなったのかも言えず、誰にも助けを求められなかった」
「……」
「あなたが来てくださらなければ、この村はゆっくり消えていたでしょう」
私はパイを食べる手を止めた。
「消えてた?」
「若者たちは何度も村を出ようとしました。しかし、出口の森は迷いやすく、川には魔物が出る。言葉も通じぬ私たちは、他の町へ助けを求めることもできなかった」
「……なるほどね」
会話バグ。
毒水バグ。
毒沼主待機。
そして、おそらく出口の結界バグ。
個別に見れば、それぞれは単なる不具合だ。
でも重なると、村ひとつを閉じ込める檻になる。
「ほんと、よくできたクソ仕様」
私は小さく呟いた。
村長は不思議そうに首を傾げたが、深くは聞かなかった。
その時、村の子どもたちが井戸の周りで遊んでいるのが見えた。
さっきの男の子もいる。
彼は木の杯に水を入れ、嬉しそうに何度も飲んでいた。
「飲みすぎるとお腹たぷたぷになるよ」
私が声をかけると、男の子は笑った。
「だって、村の水だもん!」
「理由になってるようでなってない」
でもまあ、今日くらいはいいか。
私はパイをもう一口食べる。
その瞬間。
目の前に赤い警告が表示された。
【警告】
【農地成長値が異常です】
【成長値:-999999】
【収穫判定:永続不可】
【影響範囲:ハル村全農地】
【優先度:高】
私は、パイを口に入れたまま固まった。
「……」
管理画面を二度見する。
そして、ゆっくり飲み込んだ。
「村長」
「はい」
「この村の畑、最近どう?」
村長の表情が曇る。
「実は、十年前から作物の育ちが悪くなりましてな。ここ数年は、ほとんど収穫できておりません」
「十年前から?」
「はい」
私は空を見上げた。
「ノア」
通信画面を開く。
『な、なんじゃ? 今度こそ休憩かのう?』
「会話、水、次は畑」
『……』
「十年前から畑の成長値がマイナス固定なんだけど」
『……』
「神様?」
『すまぬ、少し通信状態が――』
「逃げるな」
私はにっこり笑った。
「この村、バグの見本市か何か?」
『いや、その、最初の村としては少々難易度が――』
「少々?」
『……かなり?』
「ざぁこ神」
『ぐはっ』
通信画面の向こうで、今日何度目かわからない神様の悲鳴が響いた。
私は深いため息をつく。
会話を直した。
水を直した。
魔物の待機も解除した。
次は畑。
木苺のパイはまだ半分残っている。
私はパイを見た。
警告を見た。
またパイを見た。
「……先に食べる」
私はきっぱり言った。
村長が目を丸くする。
「え?」
「畑は逃げない。パイは冷める」
私はフォークを握り直した。
「保守担当にも休憩は必要なの」
そう言って、私は木苺のパイをもう一口食べた。
甘くて、温かくて、少しだけ元気が出た。
その間も、赤い警告は目の前で点滅し続けている。
【農地成長値異常】
【農地成長値異常】
【農地成長値異常】
「うるさい」
私は警告を指で端に寄せた。
「食べ終わったら直してあげるから、ちょっと待ってなさい」
そして小さく笑う。
「豊穣魔法で飢饉起こすとか、次も絶対ろくでもないバグじゃん」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
井戸の毒水バグ、無事に修正完了です。
水が戻っただけ。
でも、ハル村の人たちにとっては、十年ぶりに生活が戻る大きな一歩でした。
そしてリリィは、また感謝されて照れています。
この子、口は悪いですが、困っている人を見ると放っておけません。
次回、第4話。
畑の収穫判定、マイナスになってるんだけど。




