第15話 聖女ルート、勝手に始まらないでくれる?
第15話です。
婚約破棄イベントを止めたと思ったら、今度は代替処理として「聖女ルート」が起動し始めました。
王子との運命イベント。
大聖堂での祈り。
民衆の歓声。
美しい奇跡。
一見すると神聖な場面ですが、リリィの目にはその裏側にある残酷なログが見えていました。
聖女セラフィナは、人を癒すたびに自分の記憶を失っていたのです。
リリィ、自己犠牲仕様にキレます。
王都中央広場に、鐘の音が響いた。
澄んだ音だった。
一度。
二度。
三度。
広場にいた人々が、顔を上げる。
「大聖堂の鐘だ」
「聖女様の祈りが始まるぞ」
「婚約破棄は……終わったのか?」
「いや、でも、聖女様が……」
人の流れが変わった。
さっきまでクラリスを囲んでいた観客たちが、今度は王都の奥へ向かい始める。
中央広場から伸びる大通りの先。
白い尖塔を持つ巨大な建物。
王都大聖堂。
その上空に、淡い金色の光が集まり始めていた。
【悪役令嬢断罪イベント:中断】
【代替処理を実行】
【聖女ルート:起動準備】
【対象:セラフィナ】
【会場:王都大聖堂】
【民衆誘導:開始】
「ほら来た」
私は管理画面を睨む。
「悪役令嬢ルートが止まったから、次は聖女ルートってわけ?」
アルトが眉を寄せる。
「人々が大聖堂へ向かっている」
「誘導されてるね」
「止めるか?」
「止める。でもまず、何が始まるのか見る」
私はセラフィナの方を見た。
彼女は白い聖女服のまま、胸元で手を握っている。
さっきまで発話抑制されていたせいで、顔色は悪い。
唇も震えている。
でも、周囲の神官らしき者たちが彼女を囲み始めた。
「セラフィナ様、大聖堂へ」
「民が奇跡を待っております」
「王都が不安に揺れております。どうか、聖女様のお力を」
セラフィナは一瞬、クラリスとレオンハルトを見た。
それから、私を見た。
助けを求めるような目。
でも、次の瞬間には、彼女はいつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。
「……わかりました」
細い声。
ようやく出た声だった。
「皆様が不安なら、私が祈ります」
私はその表情を見て、嫌な気分になった。
笑っている。
でも、笑えていない。
誰かに求められる形へ、自分を押し込んでいる顔だ。
【セラフィナ】
【役割:聖女】
【自己犠牲傾向:高】
【発話自由度:一部復旧】
【聖女ルート誘導:有効】
「うわ、嫌いなログ」
私は吐き捨てた。
クラリスがこちらを見る。
「セラフィナ様も、何かに操られているのですか?」
「操られてるというか、役割に押し込まれてる」
レオンハルトが青ざめた顔で言う。
「俺と同じように……?」
「似てる。でも、もっとたち悪いかも」
私は大聖堂の方へ歩き出した。
「行くよ。聖女ルートが本格起動する前に、ログ見る」
◇
王都大聖堂は、近くで見るとさらに大きかった。
白い石で造られた壁。
高い尖塔。
青いステンドグラス。
入口には女神像が立ち、花びらが撒かれている。
荘厳。
神聖。
美しい。
たぶん、普通の人が見たら息を呑む光景だ。
実際、アルトは見上げたまま呟いた。
「すごい……」
「うん。外観はね」
私は半目で大聖堂を見た。
私の視界には、金色の光より赤い警告の方が目立っていた。
【聖女ルート:起動中】
【運命イベント:準備】
【王子レオンハルトとの関係補正:待機】
【民衆信仰値:強制上昇】
【聖女記憶領域:損傷】
【残存記憶率:41%】
「残存記憶率、四十一パーセント……」
低すぎる。
私はセラフィナを見る。
大聖堂の階段の上に立つ彼女は、民衆の前で静かに微笑んでいた。
人々が彼女を見上げる。
「聖女様!」
「どうか王都に祝福を!」
「怪我人を癒してください!」
「不安を鎮めてください!」
セラフィナは優しく頷く。
「はい。私にできることなら」
その言葉に、民衆が歓声を上げた。
神官たちは満足そうに頷いている。
レオンハルトは拳を握った。
「俺は……彼女にこんな役割まで押し付けていたのか」
「王子くん個人だけのせいじゃないでしょ」
私はログを見ながら言う。
「でも、王都全体が聖女に頼りすぎてる」
クラリスが苦しそうに呟く。
「セラフィナ様は、いつも人を癒していました。どれほど疲れていても、笑って、大丈夫だと……」
「大丈夫じゃない人ほど、大丈夫って言うからね」
私は管理画面を深く開く。
【聖女セラフィナ:能力詳細】
【固有魔法:聖癒】
【効果:対象の傷病を回復】
【必要魔力:高】
【不足時代替燃料:記憶データ】
【回復魔法使用時:記憶データを魔力へ変換】
【残存記憶率:41%】
【損傷領域:幼少期/家族記憶/学園生活/自己認識】
【本人理解度:不完全】
「……最悪」
私は低く言った。
アルトが画面を覗き込む。
「記憶データを魔力へ変換……?」
「人を癒すたび、自分の記憶を削ってる」
「そんな……」
アルトの顔が強張った。
クラリスも息を呑む。
「だから、セラフィナ様は時々、私との会話を覚えていなかったのですね……」
レオンハルトが唇を震わせる。
「俺は、気づかなかった」
「本人も完全には理解してないっぽい」
私はセラフィナのログを開く。
【本人認識】
【回復魔法使用後に物忘れが増える:認識あり】
【記憶消失の因果関係:曖昧】
【自己犠牲許容:高】
【周囲の期待:強】
【拒否権:実質なし】
「拒否権、実質なし」
私は拳を握った。
「ほんと嫌な仕様」
その時、大聖堂の前へ一人の兵士が運ばれてきた。
腕に包帯。
顔色が悪い。
足にも怪我をしている。
「聖女様!」
付き添いの兵士が叫ぶ。
「この者は城門の混乱で倒れ、荷車に巻き込まれました! どうか癒しを!」
「城門の混乱って、さっきの検問バグの余波じゃん」
私は頭を抱えたくなった。
セラフィナはすぐに階段を降りようとする。
「わかりました。すぐに」
その足取りは少しふらついていた。
でも、彼女は止まらない。
民衆が道を開ける。
「さすが聖女様」
「なんとお優しい」
「王都の希望だ」
「聖女様がいれば安心だ」
称賛の声。
祈るような視線。
期待。
期待。
期待。
全部がセラフィナに積み上がっていく。
【民衆信仰値:上昇】
【聖女役割固定:強化】
【自己犠牲行動:促進】
【記憶消費予測:3%】
「三パーセント」
私は歯を食いしばった。
一回の回復で三パーセント。
残り四十一パーセントしかない記憶から。
セラフィナは怪我人の前に膝をつき、手をかざした。
白い光が彼女の掌に集まり始める。
その横顔は、穏やかだった。
いや、穏やかに見えるようにしていた。
「大丈夫です」
セラフィナは優しく言う。
「すぐに楽になりますから」
怪我人の兵士が涙ぐむ。
「ありがとうございます、聖女様……」
セラフィナは微笑む。
「誰かが助かるなら、私のことは構いません」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
「構えよ」
セラフィナの手が止まる。
周囲の視線が一斉にこちらへ向いた。
私は人混みを割って前に出た。
「誰かが助かるなら私のことは構いません、じゃない」
セラフィナは驚いた顔で私を見る。
「リリィ様……?」
「そういう自己犠牲、仕様として一番嫌い」
神官の一人が眉を吊り上げた。
「何を言うのです! 聖女様の尊き献身を――」
「尊き献身?」
私は神官を睨む。
「記憶が削れるって知ってて言ってる?」
神官は言葉に詰まった。
でも、すぐに顔をしかめる。
「聖女様のお力は神より授かりし奇跡。多少の負担は――」
「多少?」
私は管理画面を広げた。
空中に、セラフィナの記憶領域ログが映し出される。
【残存記憶率:41%】
【回復魔法使用時:記憶データを魔力へ変換】
【次回使用時消費予測:3%】
【危険域到達まで:近い】
周囲がざわめいた。
「記憶……?」
「聖女様が?」
「そんなはずは……」
「でも、最近聖女様は人の名前を……」
神官は青ざめながら叫ぶ。
「そのような得体の知れぬ表示を信じるな!」
「じゃあ本人に聞く?」
私はセラフィナを見る。
「最近、忘れること増えてない?」
セラフィナの表情が揺れた。
「それは……」
「昔のこと、思い出せない?」
「……はい」
「家族の顔は?」
セラフィナの唇が震えた。
彼女は胸元を押さえる。
「父と母がいたことは、覚えています。でも……顔が……声が……」
民衆のざわめきが大きくなる。
私は続けた。
「クラリスと話したことは?」
セラフィナはクラリスを見る。
「クラリス様が、私を助けてくださったことを……さっき少し思い出しました。でも、それまでは……どうして忘れていたのか……」
クラリスの目に涙が浮かぶ。
「セラフィナ様……」
「私は、覚えていたかったのです」
セラフィナは小さく言った。
「優しくしてくださったことも、助けてくださったことも、皆様の笑顔も。忘れたいと思ったことなんて、ありません」
その声に、民衆が黙った。
美しい聖女の奇跡。
その裏で、彼女が何を失ってきたのか。
誰も見ようとしていなかった。
いや、見なくて済むようにされていた。
【聖女ルート補正】
【民衆感動演出:準備】
【聖女自己犠牲美化:実行】
「させない」
私は即座に補正へ割り込む。
【自己犠牲美化演出:停止】
【民衆感情補正:一時遮断】
空から降り注ぎかけていた金色の光が、少しだけ揺らいだ。
大聖堂の上に赤い警告が走る。
【聖女ルート進行阻害】
【外部干渉者:リリィ・デバッグハート】
【運命イベント:補正強化】
王子レオンハルトの頭上にもログが出る。
【運命イベント】
【王子レオンハルトを聖女の庇護者として配置】
【恋愛感情補正:待機】
【クラリス離脱処理:未完了】
「まだ恋愛対象にしようとしてる」
私は嫌な顔をした。
「しつこい。王子くん、今それどころじゃないでしょ」
レオンハルトが頷く。
「ああ。俺は今、謝罪と状況整理で手一杯だ」
「正直でよし」
クラリスが少しだけ目を丸くした。
この状況でそんなことを言う王子に、呆れたのかもしれない。
でも、前よりはずっとましだ。
セラフィナは不安そうに私を見る。
「あの……私は、どうすればよいのでしょう」
「まず、自分を燃料にする魔法を勝手に使わない」
「でも、怪我人が……」
「怪我人は助ける。でも、あなたの記憶を削る前提が間違ってる」
「けれど、私の役目は聖女です」
「役目って誰が決めたの?」
セラフィナは黙った。
私は続ける。
「勝手に恋愛対象にされるのも、勝手に聖女にされるのも、全部バグ。まとめて直す」
セラフィナの瞳が大きく揺れた。
「勝手に……聖女に……」
「うん」
「私は、聖女でなければ……何なのでしょう」
その問いは、とても小さかった。
でも、胸に刺さった。
セラフィナはずっと聖女だったのだろう。
癒す人。
祈る人。
捧げる人。
誰かのために失う人。
そう呼ばれ続けた結果、自分がそれ以外の何者なのか、わからなくなっている。
私は少しだけ息を吐いた。
「それは、これから自分で決めればいい」
「自分で……」
「クラリスにも言ったけど、役割から解放された後は、自分で選ぶ番」
セラフィナの手が震える。
「私は、選んでよいのですか?」
「いいに決まってるじゃん」
私は少しだけ笑った。
「選択肢がない人生なんて、クソUIでしょ」
セラフィナは一瞬きょとんとした。
そして、泣きそうな顔で小さく笑った。
「くそ、ゆーあい……?」
「覚えなくていい」
その時、怪我人の兵士が苦しそうに呻いた。
周囲がざわめく。
「聖女様、やはり早く!」
「このままでは!」
セラフィナの体が反射的に動いた。
手をかざす。
白い光が再び集まる。
【聖癒発動準備】
【魔力不足】
【代替燃料:記憶データ】
【消費候補:幼少期の記憶/初めて祈った日の記憶/クラリスとの会話記憶】
【発動まで:3】
【2】
【1】
「セラフィナ!」
私は駆け寄って、彼女の手首を掴んだ。
光が弾ける寸前で止まる。
セラフィナは驚いたように私を見る。
「リリィ様……?」
私は彼女の目をまっすぐ見た。
「その魔法、使ったら次は何を忘れるかわかってるの?」
セラフィナは微笑んだまま固まった。
「……え?」
管理画面には、残酷な候補が表示されている。
【消費候補】
【クラリスが差し伸べた手】
【母の声】
【自分の名前を初めて呼ばれた記憶】
【誰かに助けてほしいと思った気持ち】
私は低く言った。
「人を助けるなとは言わない」
セラフィナの手首を握る指に、少しだけ力が入る。
「でも、自分が何を失うかも知らないまま、笑って差し出すのは違う」
セラフィナの瞳から、涙がこぼれた。
怪我人の兵士も、周囲の民衆も、神官たちも、誰も声を出せなかった。
空の金色の光が、音もなく揺れている。
聖女ルートは、まだ止まっていない。
でも、セラフィナの手は、初めて自分の意思で止まっていた。
私は管理画面を開く。
【聖癒魔法式:解析可能】
【記憶燃料変換処理:検出】
【代替魔力供給経路:未設定】
【修正難度:高】
「よし」
私はにやりと笑った。
「聖女様の記憶を燃料にするクソ仕様、今から直す」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
婚約破棄イベントの次は、聖女ルートでした。
悪役令嬢ルートが失敗したら、今度は聖女を中心に物語を動かそうとする王都イベントシステム。
本当にしつこいです。
そして、聖女セラフィナの回復魔法には、記憶を燃料にするという最悪の仕様が隠れていました。
人を助けるたびに、自分の思い出を失っていく。
それを「尊い自己犠牲」として扱うのは、リリィ的には絶対に許せないバグです。
次回、第16話。
回復魔法の燃料が記憶とか、設計者出てこい。




