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銀月のロスト  作者: taka
第12章 石積みの墓

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野良犬の狩り

 ゴブリンの声は、近づいてきていた。


 細い路地の奥で、湿った鳴き声がいくつも重なる。


 一匹の声ではない。


 短く呼ぶ声。


 返す声。


 壁に爪が擦れる音。


 足音。


 ユウは、廃材の陰で一度だけ息を整えた。


 SMGの吊り紐を肩にかけ直す。


 安全装置を外す。


 指はまだ引き金にかけない。


 サビがすぐ横で、石を入れた布袋を握っている。


 鉄パイプの子は、少し離れた角の陰。


 割れ瓶の子は、さらに奥の抜け道側へ回った。


 一番小さい子は、缶を繋いだ紐を抱えたまま、崩れた壁の裏へ消えている。


 全員、正面から戦う気はない。


 それでいい。


 野良犬は、噛みついて勝つ生き物ではない。


 音を立てる。


 逃げる。


 隠れる。


 相手を迷わせる。


 追ってきた相手を、嫌な場所へ連れていく。


 そうやって生きてきた。


「ユウ兄」


 鉄パイプの子が、小さく呼ぶ。


「来る」


「分かってる」


 ユウは短く返した。


 缶が鳴った。


 最初は遠くで一つ。


 乾いた金属音が、細い通路の奥へ跳ねる。


 ゴブリンの声が止まる。


 次に、別の方向で缶が鳴った。


 今度は三つ、四つ。


 細かく連なる音が、まるで何人もが走っているように響く。


 ゴブリンたちが、そちらを見る気配がした。


 ユウは角から半分だけ顔を出す。


 一匹。


 ローブを着た個体ではない。


 布を腰へ巻き、手に短い鉄片を持ったゴブリンが、通路の中央で足を止めている。


 耳のようなものをぴくつかせ、音の方へ顔を向けていた。


 距離は近い。


 ユウはSMGを肩へ引きつけた。


 三発。


 乾いた連射音が、路地の壁に跳ね返る。


 ゴブリンの頭が弾けるように仰け反った。


 首元へもう一発入り、身体が崩れる。


 ユウは倒れたかどうかを見に行かなかった。


 すぐに角の陰へ戻る。


「一」


 サビが小さく言った。


「数えるな」


 ユウが返す。


「癖だよ」


「癖にするな」


 言いながら、ユウは次の角へ移る。


 後ろでゴブリンが騒ぎ出した。


 仲間が落ちたことに気づいたのだろう。


 鳴き声の質が変わる。


 怒りではない。


 警戒だ。


 こいつらは獣ではない。


 勢いだけで突っ込んではこない。


 罠を張り、囮を使い、弱い相手を選ぶ。


 一匹落ちれば、周りを見る。


 だから、次は音だけでは動かない。


「左」


 割れ瓶の子の声が、壁の向こうから細く届いた。


 ユウは返事をしない。


 代わりに、そのまま左の狭い通路へ滑り込む。


 通路はさらに狭かった。


 人ひとりが通るのがやっとで、壁には古い配管が突き出している。


 足元は湿っていた。


 滑れば終わる。


 その奥で、ゴブリンが一匹だけ遅れていた。


 仲間の声に反応して、後ろを気にしている。


 手には汚れた袋。


 それを引きずるように持っていた。


 ユウの中で、音がひとつ消えた。


 ユイの顔が浮かぶ。


 さっき、ローブの影へ一歩出た時の顔。


 意味も分からないまま、助けようとしていた顔。


 袋。


 あれを被せるつもりだった。


 ユウは撃たなかった。


 距離が近すぎる。


 弾を使うより、足の方が早い。


 背後から踏み込む。


 ゴブリンが気配に振り向く前に、ユウのブーツが膝裏へ入った。


 関節が折れるように崩れる。


 ゴブリンの身体が前のめりになり、床へ落ちる。


 ユウはその後頭部へ銃口を下げた。


 一発。


 狭い通路に、乾いた音が跳ねた。


 ゴブリンは動かなくなる。


 袋が床へ落ちた。


 汚れていて、内側に黒い染みがある。


 ユウはそれを拾わなかった。


 蹴って、壁際の汚水へ落とす。


 二。


 今度は自分の中だけで数える。


 弾は減った。


 戻らない。


 依頼でもない。


 討伐証明を持っていく相手もいない。


 ゴブリンを落としたところで、誰も褒めない。


 怪我をすれば治療費がかかる。


 弾代は赤字だ。


 だから、狩るために撃つのではない。


 ここにいると損だと、相手に分からせるために撃つ。


 ユウは通路を戻らず、横の低い穴へ身を滑らせた。


 野良犬の頃なら、そこを腹ばいで抜けた。


 今の体では少しきつい。


 それでも通れないほどではない。


 肩が壁に擦れる。


 プレートジャケットが引っかかりかける。


 ユウは無理に進まず、角度を変えて抜けた。


 出た先は、さっきより少し高い場所だった。


 廃材の上。


 下には、ゴブリンが二匹いる。


 一匹は鉄片持ち。


 もう一匹は、粗悪な拳銃のようなものを握っていた。


 そいつはまずい。


 ゴブリンが銃を持つ。


 それだけで、下層の路地は急に狭くなる。


 撃たせる前に落とす。


 遠くで缶が鳴った。


 小さい子が、合図を間違えずに鳴らしている。


 ゴブリン二匹の顔が、同時にそちらを向いた。


 ユウは廃材の上から降りた。


 飛び降りるというほど派手ではない。


 膝を使って音を殺し、拳銃持ちの背後へ落ちる。


 一瞬だけ、相手が気づく。


 遅い。


 ユウはSMGを片手で押さえ、銃床に近い部分をゴブリンの顔面へ叩きつけた。


 骨が軋む感触。


 ゴブリンの腕が跳ね上がり、粗悪拳銃の銃口が天井へ向く。


 発砲音。


 弾が上のトタンを抜き、火花が散った。


 ユウはそのまま銃口を押し下げる。


 二発。


 胸と喉。


 ゴブリンが後ろへ倒れる。


 もう一匹が鉄片を振る。


 ユウは身体を引いた。


 鉄片がプレートジャケットの端をかすめる。


 火花は出ない。


 だが、布地が少し裂けた。


 ユウの顔がわずかに険しくなるが、すぐ戻る。


 足が出た。


 つま先がゴブリンの腹へ入る。


 軽い身体が壁へぶつかり、息が詰まるような声を出した。


 ユウは追わない。


 SMGを向ける。


 一発。


 首元。


 ゴブリンが崩れた。


 三。


 いや、四か。


 数はどうでもいい。


「兄ちゃん!」


 サビの声。


「奥、引いてる!」


 ユウはすぐに顔を上げた。


 ゴブリンの声が変わっていた。


 さっきまでの追い立てる声ではない。


 短く、低く、互いの位置を確認するような鳴き方。


 河岸を変える声だ。


 ここは割に合わない。


 そう判断したのだろう。


 賢い。


 それが一番面倒だ。


 鉄パイプの子が、角の陰から身を乗り出す。


「追うか?」


「追わない」


 ユウは即答した。


「でも逃げるぞ」


「逃がす」


「また来るだろ」


「ここには来にくくなる」


 サビが石袋を握ったまま、唇を噛む。


「ミナの分は」


「追えばこっちが餌になる」


 ユウの声は低かった。


 子供たちが黙る。


「奥で待たれたら終わる。こっちは子供だけだ。俺もARを持ってない」


 鉄パイプの子が、ちらりとユウのSMGを見る。


「それでも強いじゃん」


「強くても弾は減る」


 ユウは弾倉を一度だけ確認した。


 残りはある。


 だが、十分ではない。


 十分というのは、帰れるところまで含めての話だ。


「仕事でもない。報酬もない。これ以上は赤字だ」


 サビが何か言いかけて、やめた。


 その理屈は、子供にも分かる。


 この場所では、正しさより損得が先に来ることがある。


 生き残るためには、それを飲み込むしかない。


 一番小さい子が、缶の紐を抱えたまま顔を出した。


「でも、痛い目は見たよな」


「見た」


 ユウは短く答える。


「ここで三つ落ちた。袋持ちも落とした。銃持ちも落とした。あいつらは場所を変える」


「ほんとかよ」


「変えなきゃ、次も減る」


 ゴブリンは馬鹿ではない。


 だからこそ、損を嫌う。


 ここでさらに突っ込めば、待ち伏せになる。


 別の囮を置く。


 銃持ちを後ろへ下げる。


 袋持ちを増やす。


 そうなれば、今度はこちらが狩られる側だ。


 ユウは、倒れたゴブリンの方を見ない。


 見ても弾は戻らない。


 金にもならない。


 ただ、臭いが増えるだけだ。


「鳴らすの止めろ」


 ユウが言う。


 小さい子が頷き、缶の紐を抱えて音を止める。


 途端に、路地が静かになった。


 さっきまで響いていた金属音も、ゴブリンの鳴き声も、少しずつ遠くへ薄れていく。


 表通りのざわめきだけが、遠い膜の向こうから聞こえていた。


 油と錆の匂い。


 焦げた配線の匂い。


 それに、血と汚水の臭いが混ざる。


 ユウは壁に背を預け、数秒だけ耳を澄ませた。


 足音は遠ざかっている。


 一匹だけ残っている気配はない。


 上にも、下にも、今すぐ動く影はない。


「終わり?」


 割れ瓶の子が聞く。


「今はな」


 ユウは答えた。


「死体に触るな。武器も拾うな」


「銃も?」


「粗悪品だ。触るな。不発で指飛ぶぞ」


 子供たちは素直に距離を取った。


 それだけは、分かっている。


 下手な拾い物で死ぬくらいなら、何も取らない方がいい時もある。


 鉄パイプの子が、倒れたゴブリンの方を見てから、ユウへ視線を戻した。


「兄ちゃん、やっぱロストだな」


「黙れ。見張れ」


「はいはい」


 口では軽く返しても、子供の目には少しだけ興奮が残っていた。


 怖さと、安心と、悔しさと、憧れが混ざった目。


 ユウはそれを見て、少しだけ昔を思い出す。


 強いやつが来ると、子供は見る。


 生き残れる形を探すように見る。


 自分がそうだったように。


 だが、強いだけでは生き残れない。


 それも、もう知っている。


 ユウはSMGの安全を戻さず、銃口だけを下げた。


「戻るぞ」


「女のとこ?」


 小さい子が言う。


 ユウの目がそちらへ向く。


 小さい子は慌てて口を閉じた。


「……綺麗な姉ちゃんのとこ」


「余計なこと言うな」


「ごめん」


 謝り慣れた軽さだった。


 ユウはそれ以上は言わない。


 ただ、ダクトの方へ歩き出す前に、もう一度だけ路地の奥を見た。


 ゴブリンの気配は薄い。


 だが、消えたわけではない。


 この街のどこかへ移る。


 別の境目を探す。


 また弱い相手を狙う。


 そういう連中だ。


 ユウは舌打ちを飲み込んだ。


 本来なら、依頼にして潰す相手だ。


 場所を洗い、巣を探し、出口を塞ぎ、火力を持って叩く。


 ファミリーの誰かがいれば、別のやり方はあっただろう。


 今ここにあるのは、SMG一丁と、野良犬の子供たちだけ。


 なら、ここまでだ。


 生き残るには、十分な勝ちだった。


「赤字だな」


 小さく漏らす。


 サビが聞き返した。


「何が?」


「弾」


「ああ……」


 子供たちは妙に納得した顔をした。


 それが、この場所の勝ち方だった。


 名誉ではない。


 正義でもない。


 倒した数でもない。


 生きて戻ること。


 次にここを使う相手に、少しだけ嫌な記憶を残すこと。


 それだけで十分だった。


 ユウは銃を構え直し、ユイを隠したダクトへ向かった。

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