↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀月のロスト  作者: taka
第11章 見たことがある

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
82/121

下だ

「下だ」


 ユウの声に、タチバナはすぐ反応した。


 問い返さない。


 死体を覗き込まない。


 その場で足を止めたまま、視線だけを地面へ走らせる。


 死体へ向かって伸びる、細い擦り跡。


 草の少ない荒地。


 乾いた土の下で、何かが這ったような不自然な筋。


 タチバナは一度だけ息を吐いた。


「レンジ」


『はい』


 車内から返事が来る。


 軽さはもうなかった。


「燃料を出せ。撒く。こっちへ来るな」


『了解』


 運転席側の窓が少し開き、車載ケースが外へ押し出される。


 中には小型の燃料ボトルと、車載フック、細いワイヤー、それから焼夷手榴弾が入っていた。


 タチバナはケースを片手で受け取り、ユウへ一つ投げる。


「持て」


 ユウは燃料ボトルを受け取った。


「どう撒く」


「囲う。ただし、一箇所だけ空ける」


 タチバナは死体の周囲を指で示した。


 近づきすぎず、だが遠すぎない位置。


 死体を中心に、半円を二重に描くような線。


 そして、車とは反対側へ一本だけ道を残す。


「あそこへ寄せる」


「火で」


「そうだ。撃つな。散る」


 ユウは頷いた。


 ピアースワームは、銃で相手をするものではない。


 一匹一匹は弱い。


 踏めば潰れる。


 撃てば千切れる。


 だが、群れは違う。


 一匹が死んでも、残りが動く。


 一箇所を撃てば、別の場所から出る。


 下手に散らせば、足元、車体の下、荷物の影、死体の腹の中――どこへでも潜り込む。


 だから、火で動きを縛る。


 ユウは燃料を撒いた。


 乾いた土に、透明な液体が細く染みていく。


 鼻の奥を刺す臭いが、腐肉の臭いに重なった。


 タチバナも反対側に燃料を撒いていく。


 無駄がない。


 多すぎれば燃え広がる。


 少なすぎれば抜けられる。


 そのぎりぎりを知っている手つきだった。


『……火を使うんですか』


 通信越しにユイの声がした。


「使う」


 タチバナは短く答える。


『死体の近くで……?』


「死体を守るためだ」


 それ以上は説明しなかった。


 サエの声が重なる。


『ユイ、今は見て覚えるだけ。口を挟まない』


『……はい』


 ユウは燃料の線を確認した。


 逃げ道は一つ。


 その先は、焼夷手榴弾の投擲位置として開けてある。


 車両のライトが地面を白く照らしていた。


 その外側、壊れた護衛車両の影で、キャリオンの目が光る。


 さっき散った群れが、まだこちらを見ている。


 ユウはSMGの安全を外した。


「キャリオン、右奥」


『見えてます』


 レンジの声。


『こっちは任せてください』


 タチバナは車載フックを手に取った。


 先端に返しのある金属フック。


 ワイヤーがついている。


 死体や瓦礫を引くための道具だ。


 タチバナはそれを一度だけ振り、死体の胴へ向けて投げた。


 金属音が鳴った。


 フックが、死体の装備に引っかかる。


 その瞬間、地面が動いた。


 死体の下の土が、泡立つように盛り上がる。


 赤いものが覗いた。


 一匹。


 違う。


 二匹、三匹、五匹。


 土の筋が裂けるように広がり、そこから赤黒い細長い体が束になって這い出してくる。


 湿った肉色。


 節の間に赤紫の筋。


 群れ全体が興奮しているように、体表が濡れて光っていた。


 ピアースワーム。


 群れ色だ。


「来る」


 ユウが言うより早く、ワームたちは死体へ群がった。


 餌だと判断したのだろう。


 焼け残った肉へ。


 血の臭いへ。


 動いたものへ。


 だが、周囲には火の線がある。


 タチバナが着火した。


 燃料が一気に走る。


 死体の周囲を、細い炎が囲んだ。


 ワームの一部が反射的に退く。


 だが群れの後ろから押され、前の個体が火へ突っ込んだ。


 焼ける臭いが広がる。


 赤黒い体が身を捩り、細い悲鳴のような音を立てた。


 それでも後続は止まらない。


 群れは一本だけ残された道へ流れ込んでいく。


 タチバナが焼夷手榴弾を抜いた。


 ピンが抜ける音。


 短い放物線。


 それは、逃げ道の中央へ落ちた。


 一拍。


 白く弾けた。


 炎が地面を舐めるように広がり、赤い群体を呑み込んだ。


 火柱というほど高くはない。


 だが、面で焼くには十分だった。


 ワームが跳ねる。


 焼けながら、なお前へ出ようとする個体がいる。


 一匹が炎の端を抜けた。


 ユウは撃った。


 短い三連射。


 弾が地面を叩き、ワームの体を千切る。


 二匹目。


 撃つ。


 三匹目は、火の縁から車側へ逃げようとした。


 ユウは半歩だけ位置を変え、逃げ道を塞ぐ角度で撃った。


 潰れた肉片が土に散る。


 撃つのは抜けた個体だけ。


 群れの中心へ撃ち込まない。


 散らせば負ける。


 ユウは息を浅くしながら、炎の向こうを見続けた。


 その時、右奥の瓦礫が動いた。


 キャリオンだ。


 一匹が、低く身体を伏せたまま、焼けた臭いと死体の臭いに誘われて近づいてくる。


 車の光を避けるように、影から影へ。


 ユウが銃口を向けるより早く、車内から乾いた銃声がした。


 キャリオンの頭が跳ねる。


 影の中で、痩せた体が崩れ落ちた。


 残りの目が、一斉に遠ざかる。


『お行儀が悪いですねえ』


 レンジの声が通信に乗った。


 軽口の形だけは戻っていたが、声は硬い。


「牽制だけでいい」


 タチバナが言う。


『分かってます。こっちには寄せません』


 ユウは炎の中を確認した。


 赤い群れの動きは鈍っている。


 まだ蠢いているものはあるが、こちらへ抜ける勢いはない。


 タチバナはフックのワイヤーを掴んだ。


「引く」


 ユウは周囲を見た。


「抜けたら撃つ」


「ああ」


 タチバナがワイヤーを引く。


 死体が土を擦った。


 下から何かがまだまとわりつくように動いたが、火の線に触れて弾けるように退く。


 焼けたワームが、死体の装備から剥がれ落ちる。


 もう一度、タチバナが引いた。


 死体が少しずつ、車両の方へ移動する。


 車の近くはライトが強い。


 レンジの射線も届く。


 車体の影は気になるが、元の穴だらけの地面よりはずっとましだった。


 ユウは後退しながら、死体と地面の間を見続けた。


 赤いものは、ほとんど落ちた。


 火に焼かれ、黒く縮み、土の上で痙攣している。


 それでも、完全に安心はしない。


 こういう時、最後の一匹が残る。


 タチバナは死体を車両近くまで引き寄せると、フックを外さず、そのまま膝をついた。


「レンジ、ライトを落とすな」


『固定してます』


「サエ、通信維持」


『維持してる。映像は車両カメラだけ。手元は粗いわ』


「それでいい」


 タチバナは工具を取り出した。


 頭部の側面。


 耳の後ろから首筋にかけて、人工皮膚と装甲材の継ぎ目がある。


 そこへ迷わず刃を入れた。


 ユウは見ていた。


 興味はあった。


 電脳がどう収まっているのか。


 どこを外し、どこを残すのか。


 回収と破壊の境目はどこなのか。


 けれど、タチバナの手は速すぎた。


 工具が一つ入る。


 指が動く。


 小さな部品が外れる。


 細い線が切られる。


 次の瞬間には、もう別の場所を開いている。


 何をしたのか分かった時には、作業は次へ移っていた。


 医者の手つきではない。


 整備士の手つきとも少し違う。


 生かすためではなく、必要なものを抜き、残してはいけないものを残さないための手つき。


 ユウは、タチバナの横顔を見た。


 いつもの顔だった。


 冷静で、淡々としている。


 だが、その手だけが、昔の仕事を覚えていた。


『……何をしているんですか』


 ユイの声がした。


 車両カメラ越しでは、細部までは見えていないはずだ。


 それでも、死体の頭部にタチバナが手を入れていることくらいは分かる。


 ユウは車両カメラの位置を見た。


 フロント側。


 ライトの下。


 ちょうど、タチバナの手元が見える角度。


 その向こうに、ユイがいる。


 ユウは何も言わず、少しだけ立ち位置を変えた。


 カメラとタチバナの間へ。


 ちょうど、手元だけが隠れる位置。


『あれ? 少し映像が――』


 ユイの声が途切れる。


 サエは何も言わなかった。


 ユウは足元と周囲を見ているふりをした。


 実際、見てはいる。


 キャリオンの影。


 火の縁。


 死体から落ちた赤黒いもの。


 車体の下。


 全部を見る必要がある。


 ただ、それと同じくらい、見せなくていいものもあると思った。


 運転席の窓越しに、レンジと目が合った。


 レンジは口だけで笑っていた。


 ニヤニヤというより、声に出さない笑い。


 気づいている顔だ。


 ユウは見なかったことにした。


『ユウくん、そこだとカメラ塞いでますよー』


 レンジがわざとらしく言う。


「敵を見る位置だ」


 ユウは短く返した。


『はいはい』


 レンジの声には、少しだけ笑いが戻っていた。


 タチバナは何も言わない。


 工具の音だけが続く。


 やがて、硬いケースを開く音がした。


 タチバナが、血と油に濡れた小さな中枢部品を取り出す。


 電脳。


 それは人間の脳そのものではなかった。


 だが、人間の記憶や視界や通信記録を抱えた、もう一つの頭だった。


 タチバナはそれを回収ケースへ収める。


 ロックが閉じた。


「回収」


『確認しました』


 サエの声。


 少し遅れて、ユイも言った。


『……回収、確認しました』


 ユウはカメラの前から退いた。


 タチバナは工具を片づけ、死体からフックを外さずに立ち上がる。


「処理はここまでだ。長居しない」


「死体は」


「置く」


 タチバナは即答した。


「頭部電脳は抜いた。これ以上は割に合わない」


 ユウは頷いた。


 炎はまだ低く残っている。


 焼けたワームの臭いが、空気に重く混じっていた。


 右奥の影で、キャリオンがまた一度唸った。


 だが、レンジが撃ち抜いた一匹の死体を見ているのか、近づいては来ない。


『退路、維持しています。右側はまだ通れます』


 ユイの声がした。


 さっきより、ほんの少しだけ落ち着いている。


 タチバナは車へ向かった。


「戻る」


 ユウも続く。


 その足元で、焼け残った土が小さく崩れた。


 火に炙られた泥が、車体の下へ跳ねる。


 ただの泥に見えた。


 ユウは一瞬だけ視線を落としたが、動きは見えなかった。


 腐肉の臭い。


 燃料の臭い。


 焦げたワームの臭い。


 車の排気。


 全部が混ざっていた。


 車のドアが開く。


 タチバナが回収ケースを持って乗り込む。


 ユウは最後にもう一度、死体と地面を見た。


 穴だらけの荒地。


 火の線。


 黒く縮んだ赤い群れ。


 遠くで光るキャリオンの目。


 終わったように見える。


 だが、終わったと決めるのは、戻ってからだ。


 ユウは車に乗った。


 ドアが閉まる。


 レンジが小さく息を吐く。


「帰ります」


 タチバナは回収ケースを膝の上に置いたまま言った。


「ああ。飛ばせ」


 車が動き出した。


 ライトが死体を置き去りにし、炎の残りが背後で小さく揺れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。