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銀月のロスト  作者: taka
第10章 守られる側の準備

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買い出し前

 地下の射撃場から戻ると、拠点の中には昼前の空気が流れていた。


 朝食の片付けが終わりきったあとの、少しだけ中途半端な静けさ。


 誰かが水を使う音。


 棚の扉が開く音。


 昼の準備へ入る前の、家の中の細かな動きがあちこちに散っている。


 ユウはまだ、さっきの体幹だの筋肉だのという話を頭の中で少し反芻していた。


 振り向きざまの射撃で、ユイが見事に流れた。


 その原因が腕じゃなく、腹や背中や脚にあるという話も、理屈としては納得できる。


 自分は生きるために動いているうちに勝手についていた側だ。


 だからこそ、足りないところを鍛える、という発想は逆に新鮮だった。


 その脇で、サエが棚を開けて中を確認していた。


 乾物。


 缶。


 保存食。


 油。


 香辛料。


 手際よく見ていた手が、あるところで止まる。


「……あら……」


 その一言だけで、レンジがすっと動いた。


 何も言わない。


 本当に何も言わないまま、気配だけきれいに自分の部屋の方へ消えていく。


 ユイがその背中を見て少し目を瞬かせる。


 ユウは一度そちらを見てから、まあそうだろうな、くらいの顔になる。


 サエは逃げた男には何も言わなかった。


 言ったところで戻ってこないことも、多分分かっている。


 代わりに振り返って、ユウへ視線を向ける。


「買い出し……行かないとだめね」


 棚の中身はまだ空ではない。


 だが、このまま何日も回すには少し心許ないのだろう。


 生活をちゃんと回している人間の顔だった。


「ユウ。悪いけど、午後に手伝ってくれないかしら?」


 言い方はいつも通り落ち着いている。


 頼んではいるが、甘えてもいない。


 必要だから言っている、それだけの声だった。


 ユウはそこでようやく考えを切り上げる。


「……構わない」


 短く答えてから、少しだけ間を置く。


 それから、さっきから頭に引っかかっていたことを、そのまま口に出した。


「その時に、さっきの筋肉トレーニング? について聞かせてくれないか」


 サエが少しだけ目を細める。


「気になるの?」


「理屈は分かった」


 ユウは素直に言う。


「どう鍛えれば、どこが変わるのかは聞いときたい」


 それは訓練そのものへの興味でもあるし、今後ユイへどう教えるかにも関わる話だった。


 本人はそこまで整理してはいない。


 ただ、必要そうな知識は持っておいた方がいいと判断しただけだ。


 サエは小さく頷く。


「いいわ。移動の途中で話せる」


 そこで少し遅れて、ユイが口を開いた。


「……あの」


 声は控えめだった。


 さっきまでの訓練で見せていた真面目さを、そのまま持ってきたような温度だ。


 三人の視線が、自然にそちらへ向く。


 ユイは一瞬だけ迷ってから、でも目を逸らさずに言った。


「私も手伝いますから」


 そこまで言って、少し息を整える。


「一つ、一緒に買いたいものがあるんですけど……どうでしょうか?」


 前みたいな勢い任せではなかった。


 ちゃんと許可を取る言い方だった。


 その少しの違いが、昨日までよりほんの少しだけ大人しく見せる。


 サエが問い返す。


「何を?」


 ユイはそこで、少しだけ唇を引き結んだ。


 それでも言うと決めたらしい。


「プレートジャケット、です」


 その場の空気がほんの少しだけ止まる。


 レンジが消えていてよかった、とユウは一瞬だけ思った。


 ここにいたら確実に何か挟んでいた。


 ユイは続ける。


「この前……被せてもらって、助かりました」


 言葉を選ぶようにゆっくり言う。


「だから、今度は自分で着られるものを持っておいた方がいいと思って」


 そこまで言ってから、自分の言葉がちゃんと届いたか不安になったのか、小さく付け足す。


「邪魔にならないやつがあるなら、ですけど」


 サエはその顔を少しだけ見ていた。


 必要だから欲しいと言っている。


 その判断自体は間違っていない。


 ただ、防具がどう見えるかまで分かって言っているのかは、まだ怪しい。


 そこまでの考えが一瞬だけサエの目に過ぎる。


 だが、否定はしない。


「必要性はあるわね」


 静かにそう言った。


「少なくとも、欲しがる理由としては間違ってない」


 ユイの肩がほんの少しだけ緩む。


 正面から退けられなかったことに、まずは安堵したらしい。


 ユウはそのやり取りを横で聞いていた。


 プレートジャケット。


 要するに、あの時ユイへ被せたやつの類だ。


 必要なら買えばいい、くらいの感覚でしかない。


「見るだけならついででいいだろ」


 そう言うと、ユイがすぐにこちらを見る。


 断られなかったことが分かった瞬間の顔だった。


「……いいんですか?」


「必要なんだろ」


 ユウは何でもないみたいに返す。


「だったら見る」


 重くも軽くもない。


 本当にその程度の温度だ。


 だが今のユイには、その淡々とした返事の方がありがたかったのかもしれない。


「ありがとうございます」


 小さく頭を下げる。


 サエはその様子を見ながら、棚を閉じた。


「じゃあ、順番は先にガンショップね」


 そこで一度言葉を切る。


「裏通りに荷物を持って入るのは自殺行為だもの」


 その一言には迷いがなかった。


 食料を先に抱えてから戦闘装備を見に行くなど、危険を増やすだけだ。


 このあたりの順番を間違えないのがサエだった。


「防具を見たあとで、食料を回収して戻る」


 それが一番自然な流れだと、三人ともすぐに分かる。


 サエはそこで改めてユイへ視線を向ける。


「ただし、見るだけで終わる可能性もあるわよ」


「え?」


「着てみたら思ったのと違う、なんてことはいくらでもあるもの」


 意味をぼかした言い方だった。


 でもサエは分かっている。


 防具というのは、守るだけの道具ではない。


 どう見えるかまで含めて現実だ。


 ユイはその言葉に少しだけきょとんとした。


 そこまでの想像はまだしていなかったらしい。


 けれどすぐに真面目な顔へ戻る。


「それでも見ます」


 答えは早かった。


「必要だと思ったので」


 その言い方に、ユウはまた、何でか知らないがやる気があるのはいいことだな、くらいの感想を抱く。


 昨日までなら、ここまで自分から防具の話を持ち出すとは思わなかった。


 サエもそれを感じ取ったのか、ほんの少しだけ頷いた。


「じゃあそうしましょう」


 そこでようやく、昼の準備がまた動き出す。


 鍋に火が入る。


 水音が戻る。


 さっきまで棚を覗き込んでいた空気が、今度は午後の段取りへ変わっていく。


 ユイはその流れの中で、まだ少し緊張していた。


 でも昨日までみたいな、ただ傍にいたいだけの温度ではない。


 必要だから欲しい。


 そのために一緒に行きたい。


 少しずつ、そういう言い方へ変わってきている。

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