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銀月のロスト  作者: taka
第10章 守られる側の準備

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止まるための筋肉

 地下の射撃場に降りると、空気は相変わらず乾いた油と火薬の匂いを含んでいた。


 灯りは必要な分だけ。


 壁も床も実務のためにあるだけで、見栄えを整える気配はない。


 だが、そういう場所だからこそ、訓練には都合がよかった。


 ユイは新しいSMGを手にして、昨日までより少しだけ真面目な顔をしている。


 前は“持つ”こと自体に気を取られていた。


 けれど今は違う。


 ちゃんと使えるようになりたい。


 少なくとも、そういう顔をしていた。


 ユウはその正面ではなく、少し横へずれた位置に立つ。


 サエは壁際。


 レンジは最初から「危なくなったら逃げますからね」と言って、半分冗談、半分本気で柱の陰へ寄っていた。


「まずは普通に」


 ユウが言う。


 ユイは頷く。


 銃床はもう最初から伸ばしてある。


 スリングも身体に合わせている。


 前みたいにそこで止まることはない。


 構える。


 肩に当てる。


 頬を乗せる。


 足を開く。


 以前よりずっとましだった。


「撃て」


 短い連射音が地下へ響く。


 最初の数発は、前より明らかに安定していた。


 完全ではない。


 それでも、ハンドガンの延長みたいな危うさはもう薄い。


 肩で受けている。


 腕だけで支えようとしていない。


 その違いは大きかった。


「悪くない」


 ユウが言う。


「前よりは止まってる」


 レンジが壁際から顔だけ出してくる。


「いやあ、成長しましたねえ」


「まだ甘いわよ」


 サエが即座に切る。


「でも前よりはちゃんと銃になってるわね」


 ユイはその言葉に少しだけ口元を引き締める。


 褒められて浮くより先に、まだ足りないと自分でも分かっている顔だった。


 数回、同じように撃つ。


 構え。


 反動。


 戻し。


 前より良くなっているのは確かだ。


 そこでユウが、少しだけ視線を変えた。


「次」


 ユイが顔を上げる。


「振り向いてから撃つ」


 その一言で、レンジが即座に柱の向こうへ引っ込んだ。


「じゃあ俺は隠れときますね」


「最初から隠れてるだろ」


 ユウが呆れた声を出す。


「いやあ、今までは半分でしたから」


 レンジは悪びれない。


 サエも壁際へもう少し寄る。


 本気で危ない段階へ入る時は、こういう場所の人間の判断が早い。


 ユイはその空気に少しだけ緊張したらしい。


 SMGを握る手に、わずかに力が入る。


「やるぞ」


 ユウが立ち位置を示す。


「正面じゃない。横から音が来たつもりで振れ」


 ユイは言われた通り構えを解き、半歩分だけ身体の向きを変える。


 そこから振り返って照準を作る。


 一度目。


 振り向く動きに足がついていかない。


 上半身だけが先に回り、銃口が大きく流れる。


 発砲音はしたが、弾は明後日の方向へ飛んだ。


 レンジが柱の向こうから「うわっ」と小さく声を漏らす。


「すみません、今のはちょっと普通に怖いです」


「黙ってろ」


 ユウが返す。


 だが顔は笑っていない。


 今のは本当に危なかった。


 ユイ自身もそれは分かったらしい。


 撃った後で固まる。


「……今の、全然」


「ぶれすぎ」


 ユウが短く言う。


「振り向く前に身体が死んでる」


「身体が……?」


「軸がない」


 言葉にしても分かりにくいらしい。


 ユイは少し困った顔になる。


「もう一回」


 二度目。


 今度は意識してゆっくり振る。


 だが、ゆっくりならいいというものでもない。


 重心がぶれたまま回るから、止まる位置が定まらない。


 銃口が遅れて揺れ、撃った瞬間にまた流れる。


 さっきよりはまし。


 でも、実戦では使えない。


 サエがそこで、小さく息をついた。


「先に筋肉トレーニングが必要そうね」


 ユイが振り向く。


「筋肉、ですか?」


「体幹」


 サエは簡潔に言う。


「振る動きも、止める動きも、銃を構えたまま支えるだけの芯が足りない」


 その言葉に、ユウが少しだけ反応した。


「そういうもんなのか」


 本気で意外そうだった。


 ユウの身体は、生きるために勝手に必要な形へ寄ってきた。


 走る。


 隠れる。


 撃つ。


 逃げる。


 その繰り返しで、足りない筋肉は多分自然に育っていたのだろう。


 だから“鍛えるために鍛える”という発想が薄い。


 サエはそんなユウを見て言う。


「そういうものよ」


「どこ鍛えれば変わる」


「腹、背中、腰、脚」


 即答だった。


「腕だけじゃ駄目。回って止まるなら、真ん中と下が弱いと全部流れる」


 ユウはそこで初めて、少し納得した顔になる。


「だからぶれるのか」


「そう。貴方は使ってるうちについた側でしょうけど」


 サエの視線がユウの足元から肩まで一度流れる。


「最初からそうだったわけじゃないでしょ」


 ユウは少しだけ考える顔をした。


 多分、昔をわざわざ筋肉という言葉で考えたことがないのだろう。


「……まあ、勝手についてた」


「でしょうね」


 サエはあっさり返す。


「でもこの子は“勝手に”育つ前に死ぬ可能性の方が高いんだから、先に鍛えるの」


 言い方は冷たい。


 だが事実だった。


 ユイもそれを分かっているのか、反発しない。


 悔しそうではある。


 でも、否定はしない。


「じゃあ、どれくらい駄目なんですか」


 そこでサエが少しだけ顎を上げた。


「見れば分かるわ」


 そう言って、壁際から離れる。


「片足立ちしてみなさい」


 ユイが一瞬きょとんとした顔になる。


「片足、ですか?」


「ええ。銃はいらない。まず自分の芯がどれだけ揺れるか見なさい」


 ユイは言われた通り、片足を上げる。


 三秒も持たなかった。


 膝がぐらりと揺れ、上半身も一緒にぶれる。


 慌てて足を下ろす。


 レンジが柱の向こうから顔を出して、ちょっとだけ気まずそうに笑う。


「……思ったよりですねえ」


「うるさいです」


 ユイが珍しく即座に言い返す。


 だがそれだけ悔しかったのだろう。


 サエはユウを見る。


「貴方も」


 ユウは特に気負わず、同じように片足を上げた。


 そのまま止まる。


 ほとんど揺れない。


 無駄に力んでもいない。


 ただ、その位置に身体が収まっている。


 ユイが思わずそちらを見る。


 差は、説明されるよりよほど分かりやすかった。


「……全然違う」


 小さく零れる。


 ユウは自分が何かしたという顔でもない。


 本当に、ただ立っているだけだ。


 それが余計に差を大きく見せる。


 サエが言う。


「そういうこと」


「振り向いて撃つっていうのは、こういうのの上にあるの」


「止まれないなら、狙えない」


 ユイは少しの間、黙っていた。


 それから、自分の足元を見て、もう一度小さく片足を上げてみる。


 やはり揺れる。


 その現実に落ち込むかと思ったが、今日は違った。


 悔しそうに唇を結んでから、はっきり顔を上げる。


「やります」


 短い言葉だった。


「筋肉トレーニングも、やります」


 レンジがそこで柱から出てくる。


「いやあ、偉いですねえ」


「茶化さないでください」


「茶化してないよ?」


 半分は茶化していた。


 だが今日のユイはそこで流されない。


「必要なんですよね」


 サエに向かって確認するように言う。


 サエは頷く。


「必要よ」


「だったら、やるしかないでしょ」


 その返しに、ユイは真面目な顔で頷いた。


 ユウはその様子を横で見ながら、昨日のことが効いているのだろうとは思った。


 ただ、それをわざわざ口にする気はない。


 訓練に本気で食いついてくるなら、それ自体は悪くない。


「じゃあ、今日はそこまでだ」


 ユウが言う。


「普通の射撃は続ける。振り向きはまだ早い」


「はい」


「その代わり」


 そこでサエが言葉を継ぐ。


「明日から体幹と下半身。走るのも入れる」


 レンジがそこで何かを察した顔になる。


「……俺、手伝わない方がいいですかね」


「余計なこと言うならいらないわ」


 サエが切る。


「了解です」


 レンジは素直に引き下がる。


 本当に空気を読む時だけは、ちゃんと読む男だった。


 地下の射撃場には、まだ火薬の匂いが残っていた。


 けれど今日の訓練で一番はっきりしたのは、弾の当たり外れではない。


 足りないものが何か。


 どこから積み直すべきか。


 それが見えたことだった。


 ユイはSMGをケースへ戻す前に、一度だけしっかり持ち直した。


 その顔は、昨日までよりずっと真面目だった。


 サエはそれを見て、何も言わなかった。


 ただ、小さく頷いた。


 訓練はまだ始まったばかりだった。

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