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銀月のロスト  作者: taka
第10章 守られる側の準備

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訓練のお願い

 朝食の席には、昨日の名残がまだ少しだけ残っていた。


 空気そのものはいつもの朝と大きく変わらない。


 食器の音。


 湯気の立つスープ。


 焼いたパンの匂い。


 けれど、テーブルについた顔ぶれの視線は、どうしても一度はユウの肩口へ向く。


 包帯は服の下に隠れている。


 それでも動き方や、肩のわずかな固さで、見ている側には分かるのだろう。


 サエが最初に口を開いた。


「傷はどう?」


 淡々とした聞き方だった。


 大げさに心配するでもなく、ただ確認する調子だ。


 レンジもその隣で頷く。


「夜のうちに熱とか出てないです?」


 ユウはパンを一口齧ってから、いつもと変わらない調子で返す。


「別に」


 本当に大して気にしていない声だった。


「動く分には問題ない」


 それを聞いて、サエは小さく息をつく。


 レンジは「まあ、本人がそう言うなら」と肩を竦める。


 そのやり取りの横で、タチバナは黙っていた。


 食事の手は止まっていない。


 だが、視線だけが時々ユイへ向く。


 何か言いたそうな顔だ。


 言いたいことは多分いくつもある。


 けれど、それを今ここでどう言葉にするべきか考えているうちに、口を挟むタイミングを逃しているようにも見えた。


 ユイはその空気に気づいていないのか、あるいは気づいていても今はそちらまで意識が回らないのか、真面目な顔で座っていた。


 そして、そこでぽつりと口を開く。


「朝に、部屋で消毒し直しました」


 タチバナが固まった。


 本当に、ぴたりと動きが止まる。


 視線が一度ユイへ向き、次にユウへ行き、それからまた食器へ戻る。


 だが戻った目が、すぐには何も映していない。


 その口元が、わずかに「俺が」と動きかけたところで、サエが横から視線だけで止めた。


 声には出さない。


 ただ、それ以上余計なことを言うなと分かる目だった。


 タチバナは口を閉じる。


 閉じたまま、渋い顔で黙るしかない。


 レンジがその一連を見て、危うく吹きそうになりながらも、どうにか表情を整えた。


「いやあ、でも」


 咳払いをごまかすみたいに言葉を挟む。


「小さい傷だからと放っておいたら、膿んでそれが原因で、ってのは割とありますからねぇ」


 それは軽い調子で言っているようで、内容は正しい。


 下層で生きる人間にとっては、むしろ正しすぎるくらいだった。


 サエも頷く。


「そうね。こういう仕事に就いている以上、大事なことよ」


 さらに静かに続ける。


「何日かは無理をしない方がいいわね」


 そこまで言われても、ユウは大して深刻そうな顔をしない。


 やはり本人の中では、そこまで大きなことではないのだろう。


 その脇で、ユイがほんの少しだけ胸を張った。


 本当に少しだけだ。


 でも、ちゃんとやるべきことをやった、という顔だった。


 レンジがそれを見てまた肩を揺らしそうになる。


 ユウも横目でそれを見て、心の中で「またこいつは……」という顔になる。


 だが口には出さない。


 そうしているうちに、ユイは何かを思い出したように顔を上げた。


「そう言えば」


 少しだけ真面目な声になる。


「ユウにお願いがありました」


 その一言で、テーブルの空気がまたわずかに変わる。


 タチバナの視線がすぐに動く。


 レンジは面白がる前に、一応聞く顔になる。


 サエは黙ったまま、続きを待つ。


 ユイはそこで一拍置いてから、はっきり言った。


「SMGの訓練に付き合って欲しいんです」


 今度はふざけた感じではない。


 勢いだけでもない。


 言葉の置き方が、昨日までより少しだけ慎重だった。


「駄目なところを指摘してくれるだけでもいいんです」


 さらに続ける。


「……お願いできませんか?」


 最後のところで、少しだけ声が小さくなる。


 それでも目は逸らさない。


 ちゃんと頼むつもりで言っている顔だった。


 タチバナの口が、今度こそはっきり開きかけた。


「俺が――」


 そこまで出る直前で、またサエの視線が飛ぶ。


 今度はさっきよりもはっきりした制止だった。


 タチバナは口先まで出かかった言葉を飲み込む。


 渋い顔がさらに渋くなる。


 だが、それでも黙る。


 レンジはその横で、もう笑いを堪えるのがかなり危うかった。


「いやあ……」


 とだけ漏らして、どうにか口元を押さえる。


 ユウはそんな空気を半分くらいしか気にしていなかった。


 そもそも本人にとっては、怪我も大したことではない。


 訓練の頼みも、深く考えるほどのことではない。


 ただ、何でか知らないがやる気があるらしい、というくらいの認識だった。


 だから返事もあっさりしている。


「分かった」


 それだけだった。


 深く考えた風もない。


 気負いもない。


 本当に、やる気があるなら悪くない、くらいの調子だ。


 その軽さに、ユイの目が少しだけ見開かれる。


 断られるかもしれないと思っていたのかもしれない。


 だが次の瞬間には、明るさより先に安堵が来た顔になる。


「……ありがとうございます」


 小さく、でもはっきり言う。


 サエはそのやり取りを見て、何も口を挟まなかった。


 ただ、ユイの頼み方が昨日までとは少し違うことだけは、ちゃんと見ていた。


 一緒にいたい、ではなく。


 近くにいたい、だけでもなく。


 少しでも足を引っ張らないようにしたい。


 そういう願い方へ変わっている。


 その違いは小さいようで、決して小さくはない。


 レンジがようやく息を吐く。


「いやあ、素直でいいですねえ」


「うるさい」


 ユウが即座に返す。


「いやだって、ちゃんとお願いしてるじゃないですか」


「お前は黙って食え」


「はいはい」


 レンジはそう言いながらも、まだ楽しそうだった。


 タチバナはその横で、結局何も言えないまま食器へ視線を戻している。


 多分本人としては、訓練に自分が付き添いたいのだろう。


 だが、それを今出すと余計に話がややこしくなることも、薄々分かっている顔だった。


 ユイはそれ以上浮かれたりしなかった。


 ただ、ちゃんと頼めて、ちゃんと受けてもらえたことを大事に受け取っているみたいに、小さく姿勢を正した。


 朝食の湯気が静かに上がる。

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