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銀月のロスト  作者: taka
第9章 知らない場所
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場違い

 ロストパラダイスの外は、夜の下層にしては妙に派手だった。


 建物の輪郭を縁取るようにネオンが走り、赤や紫の光が濡れた路面へ滲んでいる。


 少し離れて見れば、安酒場か何かにも見えたかもしれない。


 だが近づくと、空気はもっと湿っていた。


 酒の匂いと煙草の煙、香水が漂い、わずかに汗の匂いが残る。


 そういうものが、入口の前からもう混ざっている。


 入口には重砲が立っていた。


 首輪付きの一人で、灰狼の右腕。


 火力担当と呼ばれる、大柄な男だ。


 いつものように無駄のない顔で、近づいてきたユウとユイを一度ずつ見る。


 ただそれだけだった。


 ユウが小包を軽く見せると、重砲は短く言った。


「灰狼ならカウンター傍だ」


 それだけで脇へ退く。


 問題なく入れる場所なのだと、その時までは思った。


 扉をくぐった瞬間、二人とも固まった。


 まず目に入るのは、中央のミラーボールだった。


 回るたび、ピンクのスポットライトを細かく散らす。


 その光の下で、ほぼ下着姿の女たちが何人も立っていた。


 ただし安っぽいだけではない。


 布地の質が違う。


 胸元や腰に軽く羽織ったものも、それなりに色気を計算している。


 花街の女たちだと、一目で分かる手入れのされ方だった。


 髪を隠しもせず、片手で値段を示しながら、周囲の男へ視線を送っている。


 少し薄暗い座席では、銀月よりずっと荒っぽい客が酒を煽り、下卑た声を上げていた。


 笑い方も、女を見る目も露骨だ。


 ロビーの両側からは二階へ上がる階段が伸びている。


 その片方では、女の腰に手を回した男が、慣れた足取りで上へ消えていくところだった。


 普通の酒場ではない。


 それだけは、知らなくても分かる。


 ユイが遅れて息を呑んだ。


「ユ……ユウ」


 声が少し裏返る。


 次の瞬間には、ガクガクと腕を揺さぶっていた。


「何でここの女の人は、髪も隠してないのに……あ、あんな格好なんですか!?」


 動揺がそのまま全部出ていた。


 しかも声は抑えきれていない。


 大きくはないが、この場では十分目立つ。


 その声で、近くにいた女たちの視線が先に寄った。


 一人。


 二人。


 最初はそれだけだった。


 それがすぐに、ひそひそと広がる。


「何あれ」


「誰?」


「……は?」


「場違い」


 低い声だった。


 まだ表立って刺すほどではない。


 だが、その空気が悪いことだけは、入ったばかりのユウにも分かった。


 ユイはその視線に気づく前に、まだ店の中の光景を処理しきれていない顔でいる。


 ユウも事情を知らないままだったが、この場がまずいことだけは、ようやく肌で分かり始めていた。


 そして、その“まずさ”は次の瞬間にはっきり形になる。


 近くの席にいた酔っ払いの男が、女たちへ向けるのと同じ雑な手つきで立ち上がった。


「おっ」


 赤い顔で笑いながら、真っ直ぐユイへ寄ってくる。


 距離感が最初からおかしい。


 抱きつくつもりなのが丸分かりだった。


 その瞬間に、ユウは本気で確信する。


 まずい。


 考えるより先に身体が動いた。


 小包を持っていない方の腕でユイの肩を引き寄せ、そのまま自分の方へ抱き込むようにして間へ入る。


 酔っ払いの手は空を切った。


「あ?」


 男が間の抜けた顔になる。


 ユイは突然強く引かれて、半歩どころかほとんどぶつかるみたいに寄せられた。


 反射でユウの服を掴む。


 怖かったのだろう。


 掴んだ手は、そのまま離れない。


 外から見れば、完全に抱きついている形だった。


「ユウ、近いです。近いですよ!」


 混乱の中で、そこにもちゃんと反応するあたりがユイだった。


 声も少し漏れている。


 その一言が余計に目立つ。


 酔っ払いはそこでようやく状況を読む。


 ユウの装備。


 抱き寄せる手。


 服を掴んだままのユイ。


 そこから一瞬で結論を出したらしい。


「何だよ」


 舌打ち混じりに言う。


「売りもんじゃねぇのかよ」


 興味を失った声だった。


 それだけ言うと、男は肩を竦めて席へ戻る。


 客側はそれで引いた。


 だが、その一連を見ていた女たちの空気はさらに悪くなる。


 さっきまでのひそひそが、今度はもっとはっきり熱を持ち始める。


「お高くとまりやがって」


「何しに来たんだか」


「仕事の場にまで」


「囲われてるからって、いい気なもんだね」


 声は低い。


 手は出してこない。


 だが、刺す気は隠していない。


 物理には来ない理由は、ユウにも何となく分かった。


 今の動きで、ユイは“そういう女”として見られたのだ。


 手を出せば、自分に喧嘩を売ることになる。


 だから口だけで削る。


 その理屈に気づいた時、銀月で固まっていた空気の意味も一気に繋がった。


 そういうことか。


 遅い。


 だが、今さらだった。


 ユイはまだユウの服を掴んだままだった。


 自分がどう見えているかも分かっていない。


 ただ、空気の悪さと、店の異様さに完全に飲まれかけている。


「……離せ」


 小さく言うと、ユイはびくりと肩を揺らす。


「え、あ……」


 そこでようやく自分の手に気づいたらしい。


 慌てて離す。


 だが、今さら遅い。


 見られるものは全部見られている。


 周囲の女たちは、もう露骨にこちらを見ていた。


 若い。


 削られていない。


 守られている。


 しかもロストの男の服を掴んでいた。


 ここにいる女たちからすれば、一番面白くない種類の娘だった。


「……行くぞ」


 ユウはそれだけ言う。


 これ以上ここで立ち止まる方がまずい。


 灰狼へ小包を渡して、さっさと出る。


 それしかない。


 ユイは小さく頷いたが、足取りは少し固い。


 さっきまで手を引く側だったくせに、今は一歩下がってユウの斜め後ろへ入っている。


 その方が安全だと、さすがに分かったのだろう。


 二人が進むたび、女たちの視線が背中へ刺さる。


 ひそひそ声は消えない。


 むしろ近くを通るほどよく聞こえる。


「若けりゃ何でもいいんだね」


「守ってもらってる顔して」


「場違いなんだよ」


 ユイの肩がまた小さく揺れる。


 だが、今度は何も言わない。


 言ったらもっとまずいと、そこまでは分かっている顔だった。


 ユウは前だけを見る。


 言い返したところでどうにもならない。


 そもそも、ここへ連れてきた時点でこちらの判断ミスだ。


 余計なことをしている暇はない。


 カウンターの奥に目をやる。


 そこに灰狼がいた。


 ロストパラダイスの警備兵――通称「首輪付き」のリーダー格。


 場所も名前も知っていたが、顔を合わせるのはこれが初めてだ。


 灰狼もこちらに気づいていた。


 ただ、その視線はすぐには動かない。


 まず二人を見て、次に周囲の空気を見て、最後にユウの手の小包を見る。


 その一瞬だけで、だいたい何が起きたか察したような顔をしていた。


 最悪の空気は、最後まで変わらないままだった。


 ネオンの派手さとは裏腹に、店の中の空気はひどく湿っていて、どこまでも居心地が悪かった。


 ユウは小包を持ったまま、ようやくカウンターの前まで辿り着く。

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