ロストパラダイスへの小包
それから一週間ほどで、ユウはこの拠点の中で妙に馴染み始めていた。
慣れたと言っていいのかは分からない。
少なくとも、最初の頃みたいに何もかもが落ち着かないわけではない。
部屋へ戻れば扉を閉める。
ジャケットを置く位置も決まった。
ARは壁際の低い台へ置き、夜になれば分解して、順番を思い出しながら触る。
古い型だが、整備のしやすさは悪くない。
数日も触っていれば、どこで引っかかるか、どこへ油を入れるべきか、少しずつ手に馴染んでくる。
射撃も変わった。
地下で何度か撃ち、外でも単独依頼の合間に取り回しを確かめる。
SMGより重い。
だが、その分だけ前へ立つ時の火力ははっきりしている。
抜けを潰すだけじゃなく、線そのものを持たせる力がある。
タチバナがこれを持ってきた意味も、触るほどに分かっていった。
依頼の方も、着実に回していた。
灰色の箱を受け取り、別の場所へ運ぶ。
小さな封筒を銀月経由で届ける。
言われたものを受け取って戻る。
大きな戦闘になるような内容ではない。
だが、こういう単独で片づけられる依頼ほど、途中で余計なことをせず、黙って終わらせる人間の方が好かれる。
ユウはその手の仕事に向いていた。
余計な詮索をしない。
喋りすぎない。
持ったものは落とさない。
言われた場所へちゃんと着く。
その結果、銀月や裏通りで顔を合わせる相手の目も、少しずつ変わっていった。
新顔を見る目ではなく、使えるかどうかを見た上で、使える側へ寄せる目だ。
個人としての信用を稼ぎ始めていた。
ただ、その一週間で仕事以外の部分も妙に定着していた。
何だかんだ言って、銀月へ行く時はユイが一緒だった。
最初の約束を勝手に取りつけられてから、何度か押し返そうとした。
だが、そのたびに、
「約束ですよね?」
「ロストは信用が第一です」
「忘れてませんよね?」
と、にこにこしながら言われる。
しかもタチバナの教えを使ってくる。
最終的に面倒になって、ユウは途中から何も言わなくなった。
その結果、銀月へ向かう路地で横に白い髪がいるのも、少しずつ当たり前になっていった。
最初の頃は、通りの視線がいちいち気になった。
今も全く気にならないわけじゃない。
だが、毎回それを言うのも面倒だ。
ユイの方も前みたいに露骨にきょろついたりはしない。
帽子を深くかぶり、必要以上に口を開かず、危ない位置へ寄りすぎない。
その分だけ、注意する回数も減った。
そして、もっと面倒なのは夜だった。
なぜか夕食のあとになると、ユイが部屋へ来るようになった。
イルカの確認だと言った日もあった。
新しいSMGの話をしたいと言った日もあった。
ただ来たかっただけみたいな日もあった。
理由はそのたび違う。
だが結局、来ること自体は変わらない。
最初は追い返そうともした。
だが、追い返したところで扉の向こうからしばらく喋るか、翌日にまた来るだけだと分かってからは、それもやめた。
ユウが整備をしていようが、壁際で座っていようが、ユイは適当にベッドの端へ座って、何かしら喋っていく。
その横でユウは生返事をし、時々妙な約束を取りつけられそうになって警戒し、でも結局最後まで完全には追い出せない。
そういう夜が、妙に増えた。
部屋の中には相変わらず何もない。
そんな一週間のあとだった。
その日も銀月にはいつもの匂いが沈んでいた。
酒。
木。
薄い煙草。
昼と夕方の境目みたいな時間の空気。
ユウはカウンター寄りの席へ座り、端末を見ていた。
横には、当然みたいな顔でユイがいる。
もはやそこに誰も強く突っ込まない。
慣れというのは恐ろしい。
ユイは帽子を深くかぶっていた。
今日もちゃんと外向きの格好をしている。
その上で、隣に座ること自体は少しも疑っていない顔だった。
マスターがカウンターの奥から二人を見る。
いつもより少しだけ考えるような間があった。
それから、短く言う。
「ユウ」
ユウが顔を上げる。
「小包一つ、頼めるか」
そう言って、カウンターの下から小さめの包みを出した。
手で持って歩ける程度の大きさだ。
重そうではない。
ただ、ぞんざいに扱うものでもなさそうだった。
「届け先は」
「ロストパラダイス」
それだけで、銀月の中の空気が少し変わる。
近くにいた常連の一人が、ちらりと視線を寄越す。
別の席の男も、グラスを持つ手を止めた。
マスターは続ける。
「灰狼に渡せ」
ロストパラダイスの警備兵――通称「首輪付き」のリーダー格だ。
名前も、場所も知っている。
ただ、中へ入るのはこれが初めてだった。
それでも中身を聞く必要はない。
そういう依頼だ。
「分かった」
受けようとした、その瞬間だった。
「私も行きます!」
ユイが即座に身を乗り出す。
目が輝いていた。
さっきまで普通に隣へ座っていたのに、その一言だけで急に熱が入る。
銀月の空気が固まった。
本当に、一拍止まる。
マスターは何も言わない。
常連たちも口を開かない。
ただ、止めるべきか、今さら言っても遅いのか、その判断だけが空気の中で揺れる。
だが、その一拍の間に、ユウは最近の流れで判断してしまった。
もう何度も一緒に来ている。
銀月へだって普通に出入りしている。
今さらここで一人だけ突っぱねる方が面倒かもしれない。
そういう、半ば慣れで流す判断だった。
だから特に何も言わず、ユイの方も見ないままマスターへ向き直る。
「それで」
その続きを聞こうとしたところで、マスターの顔が妙に言いたげなものへ変わっていることに気づく。
横を見る。
常連の一人は口を開きかけて閉じた顔をしていた。
別の男はグラスを持ったまま、少しだけ眉をひそめている。
止めた方がいいのか、でもどこから止めるのか、そんな顔だ。
そこでようやく、ユウは少しだけ遅れて理解する。
だが、もう遅い。
隣ではユイがすっかりその気だった。
嬉しそうに立ち上がり、しかも当然みたいにユウの手を取る。
「行きましょう!」
ご機嫌だった。
その手を振り払うほどでもない一拍のうちに、もう話は前へ進んでいる。
マスターは何か言いたげな顔のまま、小包を差し出した。
ユウはそれを受け取る。
「……渡すだけでいいんだな」
「それだけでいい」
短い返事だった。
その短さの奥に、色々飲み込んだものがある気がした。
常連たちは結局、誰も口を挟まない。
止めるには遅く、見送るには不安がある。
そんな空気だけが残る。
ユイはそんなことに少しも気づいていないのか、それとも気づいても構わないと思っているのか、とにかく機嫌がいい。
手を引く力まで軽い。
ユウはその横顔を見て、小さく息を吐く。
選択を間違えた気がする。
だが、その間違いに気づいたのは、もう店を出る流れができたあとだった。
銀月の扉の向こうには、いつもの下層の通りがある。
その先にロストパラダイスもある。
ご機嫌に手を引くユイを見ながら、ユウは今さらのように思った。
後悔先に立たず、とはこういう時に使うのかもしれない。




