右端の崩れ
本格戦闘の圧は、右側から先に崩れた。
「楽勝じゃねえか!」
「人間様を舐めるなよ! ワンコロが!」
右端の方で、さっきまで余計な声を上げていた連中が、群れを押し返せているつもりで前へ出る。
低い影を撃ち、倒れたのを見て、さらに半歩出る。
その半歩が、一匹ごとに積み重なる。
押せているように見える。
けれど実際には、線だけが前へ伸びていた。
本来つながっているはずの列の端が、そこだけ細くなる。
隣と噛み合う角度が崩れ、横との間がわずかに開く。
ほんの少し。
だが、低く這う相手には十分だった。
コボルトは四足のまま、まとまって右へ流れた。
一体、二体ではない。
草の根元と瓦礫の影を縫うように、低い背が何本も重なる。
正面からぶつかるのではなく、右端の外側へ潜るように回る。
「おい、右!」
誰かが叫ぶ。
だが遅い。
前へ出ていた一人が、振り向きざまに一匹を撃ち落とす。
その直後、低く回り込んだ別の個体が足元へ潜った。
爪が脛を裂く。
布の裂ける音。
肉を引き裂く湿った音。
男の膝が落ちる。
さらにもう一匹が、倒れかけた身体へ飛びつく。
近くにいた別の男が助けに手を伸ばすが、その瞬間にはもう線が切れていた。
「下がれ! 下がれって!」
声は上がる。
だが、もうそれは列じゃない。
散った個人だ。
右端は、そこで線としては終わった。
まだ何人か立ってはいる。
けれど、前を支える壁としては機能していない。
その裂け目から、止めるものを失ったコボルトたちが後ろへ流れ始める。
正面へ押すのではない。
低い四足のまま、右から回り込み、後方へ食い込む角度だ。
最初に見えたのは二匹。
続いて、その後ろにさらに三、四の影。
止まらない。
「ユウ! 右後方! 後ろへ入れるな!」
タチバナの声が飛ぶ。
その声が飛んだ時には、もう何匹かは抜け始めていた。
サエが先に気づく。
「来るわよ!」
一発。
先頭の一匹の胸を抜く。
土を滑って転がる。
二匹目。
脚を崩す。
勢いは削げる。
だが、それでも止まりきらない。
サエは落ち着いている。
狙いもぶれない。
けれど戦闘特化の火力ではない。
止めることはできる。
遅らせることもできる。
だが、群れの先頭を全部受け切るには足りない。
ユイも撃っていた。
ハンドガンの音が軽く鳴る。
一匹の肩へ当たる。
身体が揺れる。
けれど、そのまま前へ来る。
「もう一匹!」
サエの声が飛ぶ。
ユイは照準をずらし、次を狙う。
撃つ。
当たる。
だが距離が足りない。
二匹が来る。
一匹は肩を抉られながらなお前へ出る。
もう一匹は低く地を滑るように詰めてくる。
人へ食いつく距離だ。
ユイの喉が詰まる。
撃っているのに、止まらない。
当たっているのに、距離が縮まる。
その感覚が一気に怖さへ変わる。
もう一発撃つべきなのは分かる。
でも近い。
近すぎる。
思わず目を閉じかけた、その瞬間。
SMGの短い連射が横から走った。
一匹の頭が跳ねる。
土を削ってそのまま転がる。
もう一匹はまだ来る。
ユウがそのまま間へ滑り込んだ。
爪の届く正面には入らない。
低い体勢のまま突っ込んできたコボルトの横へ回り、肩口へ容赦なく蹴りを叩き込む。
骨のある感触。
鈍い音。
コボルトの小さな身体が横へ吹き、崩れた壁の名残へ叩きつけられる。
ユウは半歩も振り返らない。
吐き捨てるみたいに言った。
「お行儀悪くて悪いけどな」
そのまま前を見たまま、短く続ける。
「大丈夫か」
ユイは一拍遅れて息を吸った。
「……は、はい」
声は少し掠れていた。
けれど返せた。
それだけでも今は十分だった。
ユウはそれ以上は何も言わない。
まだ戦闘中だ。
サエがそこへ射線を合わせる。
「右、もう一匹」
「見えてる」
ユウは短く返し、寄ってきた一匹をまた短く落とす。
そのまま位置を少しずらし、サエの弾道を切らない角度へ入る。
三人の位置がそこでようやく噛み合う。
ユウが前。
サエが斜め後ろ。
ユイはそのさらに後ろで、今は無理に前へ出ない。
前では、タチバナがすでに判断を切っていた。
右端はもう壁として使えない。
そこへ固執すれば裂ける。
だから、じりじりと戦列を下げる。
一歩引き、撃つ。
また半歩引き、隣との線を繋ぐ。
慌てて崩れるのではなく、切るべき場所を切って、自分たちの形だけを保ったまま下がる。
レンジも中間で蓋をする。
崩れた右端からこちらへ寄ろうとする先頭を、短いリズムで撃ち抜く。
軽い。
だが正確だ。
その軽さのまま、きっちり仕事をしている。
右端の方から怒鳴り声が飛ぶ。
「おい! ふざけるなよ!」
さっきまで前へ出ていた連中のいるファミリーだった。
自分たちが崩したのに、線を切られて置いていかれると気づいたのだろう。
「こっち見ろよ!」
「下がるな!」
「まだ押せる!」
押せるわけがない。
その声を聞きながら、ユイの足が一瞬だけ止まる。
怒鳴っている。
残っている。
あそこには、まだ人がいる。
目がそちらへ行きそうになる。
でも、サエの声がすぐ横から切った。
「下がるわよ」
短く、迷いなく。
ユイはそこでようやく現実へ戻る。
残っている人間がいる。
それは分かる。
でも今、自分がそこへ何かできるわけじゃない。
むしろ止まる方が危ない。
それでも一瞬、足が重くなる。
サエがもう一度言う。
「ユイ」
今度は少しだけ強い。
「前を見なさい」
ユイは唇をきつく結び、それでも頷いた。
「……はい」
下がる。
ユウの背中が、その前にある。
少し低く構えたまま、前だけを見ている。
さっき自分の前へ滑り込んだ時と同じ背中だ。
無言で、でも迷いなく立っている。
その背中が、妙にはっきり視界へ残る。
怖いのに、目が離せない。
さっきまでの外歩きとも、寝床とも違う。
今は本当に、目の前で守られた後の背中だった。
タチバナの声が、前方から低く飛ぶ。
「死にたくなきゃ下がれ!」
怒鳴り返すというより、切り捨てるような声だった。
右端で喚いている連中へ向けた一言だ。
それで十分だった。
助けに行く言葉ではない。
情けをかける声でもない。
下がれ。
下がれないなら死ぬ。
そういう現場の声だった。
ファミリーの線はそのままじりじり後退する。
慌てて崩れるのではない。
切る場所を切り、残す場所を残し、こちらの形を保ったまま下がっていく。
その判断の間に、右端の怒鳴りはさらに荒くなる。
けれど、もう誰もそちらへは寄らない。
ユウも、サエも、レンジも、タチバナも。
それぞれの持ち場を崩さず、自分たちが生き残る線へ収束していく。
コボルトの群れはまだ追う。
だが、さっきみたいに一気に食い込める形ではない。
ユウが前で止め、サエがその外を拾い、レンジが中間を蓋し、タチバナが前の芯を引きながら保つ。
やがて、下がった先の少し開けた位置で、ようやくファミリーの形が整い直した。
右の角度。
前後の距離。
射線の重なり。
さっきまでの崩れが、最低限の傷で収まった形だ。
「そこで止める」
タチバナの声が落ちる。
全員がその位置で止まり、呼吸を整え直す。
まだ終わってはいない。
だが、少なくとも今はこの形で持つ。
後ろでは、右端の怒鳴りがもう遠くなっていた。
近くで消えたわけではない。
ただ、自分たちが下がり切ったことで、あちらの声が届く距離から外れたのだ。
それだけだった。
ユイはそこで、ようやく小さく息を吐いた。
手はまだ少し震えている。
でも前は向いていた。
そして視界の端にはまだ、ユウの背中が残っている。
助けられた瞬間も、蹴り飛ばした時の声も、全部まだ身体の中へ熱く残っていた。
それでも今は、それを考えている場合ではないと分かっている。
戦闘はまだ続く。




