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銀月のロスト  作者: taka
第7章 線を守る
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右寄り

 タチバナが打ち合わせの輪へ入っていくと、空き地の端に残った空気は少しだけ手持ち無沙汰になった。


 もっとも、完全に静かになるわけではない。


 遠くの方では、すでに配置の話が始まっている。


「マジかよ」


「勘弁してくれよ」


「そこ新人ばっか固めんなって言ってるだろ」


「だから混ぜろって話だ」


「右、また薄いのか?」


「薄いから集めてんだろうが」


 怒鳴りではない。


 けれど、遠慮もない。


 それぞれが自分の持ち場の重さを知っている声だった。


 ユウはその断片を聞きながら、周囲を見ていた。


 打ち合わせの輪は完全には見えない。


 人影が重なり、肩越しに時々タチバナの横顔が覗く程度だ。


 だが、聞こえてくる言葉だけでも十分に分かる。


 きれいに決まる話じゃない。


 どこへ誰を置くか。


 どこが薄いか。


 誰が抜かれやすいか。


 そういう話をしているのだろう。


 レンジが隣で、面白がるでもなくぼそりと言う。


「毎回こんなもんです」


 ユウが視線を動かさずに返す。


「揉めるのか」


「揉めるってほどでもないですよ」


 レンジは肩を竦めた。


「ただ、楽な場所なんてないんで。誰だって穴になりそうなとこは嫌ですし、新人ばっか寄こされたら文句も出ます」


 サエが静かに続ける。


「それでも決めなきゃいけないの。誰かが立たないと、そこから抜かれるから」


 その言い方に無駄はなかった。


 外縁の防衛。


 言葉だけなら簡単だ。


 でも実際には、どこへ誰を置くかで生き死にが変わる。


 その現実が、遠くから聞こえる「勘弁してくれよ」の一言にそのまま入っていた。


 ユイはさすがに今はきょろつかず、前を向いたままその声を聞いている。


 帽子のつばの下で、表情だけが少し固い。


「そんなに大変なんですか」


 小さな声だった。


 サエが頷く。


「大変じゃない仕事なら、わざわざこんな人数を集めないわ」


 レンジが軽く笑う。


「まあ、コボルト自体はそこまで大層じゃないですけどね。問題は“崩れた時”です」


「崩れた時?」


 ユイが聞き返す。


「誰かが前に出すぎるとか、勝手に追うとか、そこで穴が開くんですよ」


 レンジは指先で空中に線を引くみたいな仕草をする。


「線ってのは、引くだけなら簡単なんです。崩れた時に塞げるかが問題で」


 そこでまた、遠くから別の声が飛ぶ。


「だから言ってんだろ、深追いする馬鹿を一箇所に固めるな!」


「知るか、そっちで見ろ!」


「見きれねえから言ってんだよ!」


 レンジが少しだけ苦笑する。


「ほら、ああいう感じです」


 ユウは小さく息を吐いた。


 ユイがぽつりと言う。


「前に参加した時は、ここまで聞こえてなかったです」


「前は聞く余裕がなかったんじゃない?」


 サエの返しは穏やかだった。


「今回は少し見える位置に立ってるのよ」


 それは多分、経験の差でもあり、前回の外歩きがあったからでもある。


 何が危なくて、何が崩れるかを、ユイも少しだけ意識するようになっている。


 だから耳に入るのだろう。


 空き地の向こうで、ようやく打ち合わせの輪が少し動いた。


 何人かが散り、別の組へ声を掛けに行く。


 タチバナもその中から戻ってくる。


 歩き方は変わらない。


 けれど顔の硬さだけで、楽な配置ではないことが分かった。


 レンジが口を開く。


「どうなりました?」


 タチバナはまず全員の顔を一度だけ見る。


 それから短く言った。


「右寄りだ」


 レンジがすぐに小さく息を吐く。


「やっぱり」


「抜けやすいんですか」


 ユウが聞くと、タチバナは頷く。


「地形が悪い。障害物が多い。追い込みが甘いと散る」


 それだけで十分だった。


 サエが確認する。


「新人は」


「混ぜる」


 タチバナの返答は即答だった。


「固めると抜かれる。節目にベテランを置く。穴が開いた時に、その場で立て直せるようにする」


 遠くで聞こえていたやり取りが、ここで具体的な形になる。


 誰かが大げさに文句を言っていた理由も、これで分かる。


 新人を一箇所へ寄せれば、そのまま崩れる。


 だから散らす。


 散らして、間へ慣れた人間を挟む。


「うちは予定通りだ」


 タチバナが続ける。


「俺がトップ。ユウが第二前線。レンジがミドル。サエとユイがバック」


 ユイがそこで姿勢を正した。


「バックは前の線が崩れた時の押さえと、抜けへの対応」


 サエが淡々と補う。


「勝手に前へ出ない。自分で追わない。まず見る」


 ユイは頷いた。


「はい」


 今度の返事は軽くない。


 少なくとも、この場の空気の重さはちゃんと飲み込んでいる声だった。


 レンジがユウへ向かって少しだけ笑う。


「第二前線、だいぶ期待されてますねえ」


「期待っていうより、穴埋めだろ」


 ユウが返すと、レンジは肩を竦める。


「それができると思われてる時点で、もう普通の新人じゃないんですよ」


 そこにサエも乗る。


「あなたを一番前へ置かないのは、新人だからよ。でも後ろへ置かないのは、それじゃ足りないと見られてるから」


 言い方は静かだが、内容ははっきりしていた。


 ユウはそれを聞いても特に顔を変えない。


 変えないが、腹の中でようやく言葉になった。


 新人扱いではある。


 けれど、本当に新人の位置には置かれない。


 そういうことだ。


 タチバナがそこでさらに言った。


「一つ潰した」


 全員の目がそちらへ向く。


「左側に、新人多めの組を固める案が出た」


 レンジが顔をしかめる。


「マジですか」


「通るわけねえだろ」


 タチバナの声は低い。


「そのまま穴になる。潰した」


 遠くで聞こえていた「新人ばっか固めんな」が、どうやらそこだったらしい。


 ユウは短く言う。


「だから揉めてたのか」


「毎度の確認だ」


 タチバナは首を振る。


「分かってる奴は最初から分かってる。ただ、毎回言わせる馬鹿がいる」


 その言い方に、レンジが少しだけ笑った。


「現場っぽいですねえ」


「現場だからな」


 タチバナはそれ以上広げない。


 空き地のざわめきが、少しずつ一方向へ流れ始める。


 どうやら全体の配置が固まり、各ファミリーへ話が降りていっているらしい。


 武器の位置を直す音。


 布を締める音。


 小さな確認の声。


 出る前の空気だった。


 ユイがそこで小さく言う。


「右寄りって、危ないんですか」


 今度はタチバナが答える。


「どこも危ない」


 それから一拍。


「ただ、右は抜けた時に面倒だ」


「障害物が多いから?」


 ユイが聞く。


 タチバナは少しだけ目を動かした。


 そこまで拾えたなら上等だとでも思ったのかもしれない。


「ああ」


 短く頷く。


「見失いやすい。だから線を崩すな」


 ユイはそこでまた「はい」と返した。


 ユウはそのやり取りを聞きながら、周囲の人間の動きへ目を向ける。


 固まり方が変わった。


 さっきまでの待機の形じゃない。


 それぞれが、自分の位置へ意識を移している。


 レンジが腰を上げる。


「じゃ、行きますか」


 サエも立つ。


「最終確認は歩きながらでいいわね」


 タチバナは頷く。


「動くぞ」


 それで終わりだった。


 余計な鼓舞も、長い注意もない。


 必要なことはもう言った、という顔だ。


 ユイは帽子のつばへ軽く触れ、位置を確かめる。


 昨日までより、その仕草に少しだけ迷いがない。


 外へ出る前の動きとして身体へ入ってきたのだろう。


 ユウはジャケットの裾を直し、武器の位置を確認する。


 レンジはいつもの軽い顔のままだが、目だけが仕事に変わっている。


 サエは静かに全員を一度見て、それから前を向いた。


 ファミリーの形が自然にまとまる。


 空き地の端には、もう外縁へ向かう流れができていた。


 街の内側に残る者と、外へ出て線を張る者。


 その境目が、少しずつ動き始めている。


 遠くで誰かがまだぼやく。


「勘弁してくれよ、今日も右か」


「抜かれるよりマシだろ」


「それはそうだがよ……」


 そのぼやきすら、もう背中側へ流れていく。

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