右寄り
タチバナが打ち合わせの輪へ入っていくと、空き地の端に残った空気は少しだけ手持ち無沙汰になった。
もっとも、完全に静かになるわけではない。
遠くの方では、すでに配置の話が始まっている。
「マジかよ」
「勘弁してくれよ」
「そこ新人ばっか固めんなって言ってるだろ」
「だから混ぜろって話だ」
「右、また薄いのか?」
「薄いから集めてんだろうが」
怒鳴りではない。
けれど、遠慮もない。
それぞれが自分の持ち場の重さを知っている声だった。
ユウはその断片を聞きながら、周囲を見ていた。
打ち合わせの輪は完全には見えない。
人影が重なり、肩越しに時々タチバナの横顔が覗く程度だ。
だが、聞こえてくる言葉だけでも十分に分かる。
きれいに決まる話じゃない。
どこへ誰を置くか。
どこが薄いか。
誰が抜かれやすいか。
そういう話をしているのだろう。
レンジが隣で、面白がるでもなくぼそりと言う。
「毎回こんなもんです」
ユウが視線を動かさずに返す。
「揉めるのか」
「揉めるってほどでもないですよ」
レンジは肩を竦めた。
「ただ、楽な場所なんてないんで。誰だって穴になりそうなとこは嫌ですし、新人ばっか寄こされたら文句も出ます」
サエが静かに続ける。
「それでも決めなきゃいけないの。誰かが立たないと、そこから抜かれるから」
その言い方に無駄はなかった。
外縁の防衛。
言葉だけなら簡単だ。
でも実際には、どこへ誰を置くかで生き死にが変わる。
その現実が、遠くから聞こえる「勘弁してくれよ」の一言にそのまま入っていた。
ユイはさすがに今はきょろつかず、前を向いたままその声を聞いている。
帽子のつばの下で、表情だけが少し固い。
「そんなに大変なんですか」
小さな声だった。
サエが頷く。
「大変じゃない仕事なら、わざわざこんな人数を集めないわ」
レンジが軽く笑う。
「まあ、コボルト自体はそこまで大層じゃないですけどね。問題は“崩れた時”です」
「崩れた時?」
ユイが聞き返す。
「誰かが前に出すぎるとか、勝手に追うとか、そこで穴が開くんですよ」
レンジは指先で空中に線を引くみたいな仕草をする。
「線ってのは、引くだけなら簡単なんです。崩れた時に塞げるかが問題で」
そこでまた、遠くから別の声が飛ぶ。
「だから言ってんだろ、深追いする馬鹿を一箇所に固めるな!」
「知るか、そっちで見ろ!」
「見きれねえから言ってんだよ!」
レンジが少しだけ苦笑する。
「ほら、ああいう感じです」
ユウは小さく息を吐いた。
ユイがぽつりと言う。
「前に参加した時は、ここまで聞こえてなかったです」
「前は聞く余裕がなかったんじゃない?」
サエの返しは穏やかだった。
「今回は少し見える位置に立ってるのよ」
それは多分、経験の差でもあり、前回の外歩きがあったからでもある。
何が危なくて、何が崩れるかを、ユイも少しだけ意識するようになっている。
だから耳に入るのだろう。
空き地の向こうで、ようやく打ち合わせの輪が少し動いた。
何人かが散り、別の組へ声を掛けに行く。
タチバナもその中から戻ってくる。
歩き方は変わらない。
けれど顔の硬さだけで、楽な配置ではないことが分かった。
レンジが口を開く。
「どうなりました?」
タチバナはまず全員の顔を一度だけ見る。
それから短く言った。
「右寄りだ」
レンジがすぐに小さく息を吐く。
「やっぱり」
「抜けやすいんですか」
ユウが聞くと、タチバナは頷く。
「地形が悪い。障害物が多い。追い込みが甘いと散る」
それだけで十分だった。
サエが確認する。
「新人は」
「混ぜる」
タチバナの返答は即答だった。
「固めると抜かれる。節目にベテランを置く。穴が開いた時に、その場で立て直せるようにする」
遠くで聞こえていたやり取りが、ここで具体的な形になる。
誰かが大げさに文句を言っていた理由も、これで分かる。
新人を一箇所へ寄せれば、そのまま崩れる。
だから散らす。
散らして、間へ慣れた人間を挟む。
「うちは予定通りだ」
タチバナが続ける。
「俺がトップ。ユウが第二前線。レンジがミドル。サエとユイがバック」
ユイがそこで姿勢を正した。
「バックは前の線が崩れた時の押さえと、抜けへの対応」
サエが淡々と補う。
「勝手に前へ出ない。自分で追わない。まず見る」
ユイは頷いた。
「はい」
今度の返事は軽くない。
少なくとも、この場の空気の重さはちゃんと飲み込んでいる声だった。
レンジがユウへ向かって少しだけ笑う。
「第二前線、だいぶ期待されてますねえ」
「期待っていうより、穴埋めだろ」
ユウが返すと、レンジは肩を竦める。
「それができると思われてる時点で、もう普通の新人じゃないんですよ」
そこにサエも乗る。
「あなたを一番前へ置かないのは、新人だからよ。でも後ろへ置かないのは、それじゃ足りないと見られてるから」
言い方は静かだが、内容ははっきりしていた。
ユウはそれを聞いても特に顔を変えない。
変えないが、腹の中でようやく言葉になった。
新人扱いではある。
けれど、本当に新人の位置には置かれない。
そういうことだ。
タチバナがそこでさらに言った。
「一つ潰した」
全員の目がそちらへ向く。
「左側に、新人多めの組を固める案が出た」
レンジが顔をしかめる。
「マジですか」
「通るわけねえだろ」
タチバナの声は低い。
「そのまま穴になる。潰した」
遠くで聞こえていた「新人ばっか固めんな」が、どうやらそこだったらしい。
ユウは短く言う。
「だから揉めてたのか」
「毎度の確認だ」
タチバナは首を振る。
「分かってる奴は最初から分かってる。ただ、毎回言わせる馬鹿がいる」
その言い方に、レンジが少しだけ笑った。
「現場っぽいですねえ」
「現場だからな」
タチバナはそれ以上広げない。
空き地のざわめきが、少しずつ一方向へ流れ始める。
どうやら全体の配置が固まり、各ファミリーへ話が降りていっているらしい。
武器の位置を直す音。
布を締める音。
小さな確認の声。
出る前の空気だった。
ユイがそこで小さく言う。
「右寄りって、危ないんですか」
今度はタチバナが答える。
「どこも危ない」
それから一拍。
「ただ、右は抜けた時に面倒だ」
「障害物が多いから?」
ユイが聞く。
タチバナは少しだけ目を動かした。
そこまで拾えたなら上等だとでも思ったのかもしれない。
「ああ」
短く頷く。
「見失いやすい。だから線を崩すな」
ユイはそこでまた「はい」と返した。
ユウはそのやり取りを聞きながら、周囲の人間の動きへ目を向ける。
固まり方が変わった。
さっきまでの待機の形じゃない。
それぞれが、自分の位置へ意識を移している。
レンジが腰を上げる。
「じゃ、行きますか」
サエも立つ。
「最終確認は歩きながらでいいわね」
タチバナは頷く。
「動くぞ」
それで終わりだった。
余計な鼓舞も、長い注意もない。
必要なことはもう言った、という顔だ。
ユイは帽子のつばへ軽く触れ、位置を確かめる。
昨日までより、その仕草に少しだけ迷いがない。
外へ出る前の動きとして身体へ入ってきたのだろう。
ユウはジャケットの裾を直し、武器の位置を確認する。
レンジはいつもの軽い顔のままだが、目だけが仕事に変わっている。
サエは静かに全員を一度見て、それから前を向いた。
ファミリーの形が自然にまとまる。
空き地の端には、もう外縁へ向かう流れができていた。
街の内側に残る者と、外へ出て線を張る者。
その境目が、少しずつ動き始めている。
遠くで誰かがまだぼやく。
「勘弁してくれよ、今日も右か」
「抜かれるよりマシだろ」
「それはそうだがよ……」
そのぼやきすら、もう背中側へ流れていく。




