↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀月のロスト  作者: taka
第6章 部屋ではなく、寝床
PR
42/64

お友達

 ガレージストリートの表通りへ入ると、空気が少しだけ変わった。


 下層であることに変わりはない。


 朝の整備場らしい音が、通りの奥から絶えず流れてくる。


 通りへ出た瞬間から、視線がいくつもこっちへ寄る。


 ユウ一人なら、別に珍しくない。


 昨日までと違って、今日はその後ろにユイがいる。


 帽子を深く被って、髪も隠してはいる。


 けれど、隠しているだけで、完全に消えているわけじゃない。


 しかも歩き方がまだ真っ直ぐすぎる。


 視線を浴び慣れていない人間の歩き方だ。


 最初に声を掛けてきたのは、通りの端で車両の下へ潜っていた男だった。


 古い車体から顔だけを出して、ユウを見る。


 そのあと、後ろのユイへ目をやる。


 一拍置いて、にやりとした。


「おいおい」


 声が通りへ転がる。


「ロスト入りしたと思ったら、もう囲ったのか?」


 周囲の空気が少しだけ揺れた。


 近くで工具を拭いていた中年が吹きかける。


 シャッターを半分上げた店の奥から、別の男も顔を出す。


 完全に聞こえていた。


 ユウは小さく舌打ちしたいのを堪え、前を向いたまま返す。


「違ぇよ」


 それだけで済ませるつもりだった。


 けれど相手は引かない。


「いやいや、早えだろ」


 車体の下から這い出しながら、男は笑う。


「お前、そういうとこはやりそうだと思ってたけどよ。流石に一日でか?」


「勝手に決めるな」


 ユウの声は低い。


 怒鳴りはしない。


 怒鳴るほどの話でもないし、ここは表通りだ。


 相手も本気で噛みに来ているわけじゃない。


 だからこそ、面倒だった。


 後ろでユイが小さく首を傾げる気配がする。


「囲うってなんですか?」


 駄目だ、とユウは思った。


 今その問いを出すな。


 そう思った時にはもう遅い。


 工具を持ったままだった中年が吹き出す。


「おい、そっち分かってねえのかよ」


「違いますよ」


 ユイは真面目だった。


 本当に真面目に、訂正しようとしている。


「お友達です」


 完全に火に油だった。


 表通りのあちこちで笑いが漏れる。


「友達だってよ」


「おい、よかったなユウ」


「ちゃんと“お友達”から始めてるらしいぞ」


 ユウは額の奥が重くなるのを感じた。


 さっきまで命の危険として冷えていた背筋が、今度は別の意味で冷える。


 ここが表通りだからまだいい。


 これが裏なら、そもそも相手にもしないし、止まる気もない。


 だからこそ、こうして返している余裕がある分だけ、余計にややこしい。


 ユイはどうして笑われているのか、まだ半分しか分かっていない顔だった。


 ただ、自分の返事が何かおかしかったらしいことだけは気づいている。


 帽子のつばの下で目を瞬かせる。


「……違うんですか?」


 小さな声で、今度はユウへ聞いてくる。


 ユウは前を見たまま答える。


「今は黙ってろ」


「はい」


 そこだけは素直だった。


 通りの左手、古いジャンク屋の前に座っていた痩せた親父が、煙草を指に挟んだまま笑う。


「いやあ、でも分かるぞ」


 誰に向けたともつかない声だったが、明らかにユウに向けている。


「ガキの頃から見てりゃな。お前、そういうとこだけ妙に器用そうな顔してたし」


「器用そうな顔って何だよ」


 ユウは低く返す。


 親父は肩を揺らした。


「知らねえよ。なんとなくだ」


「適当じゃねえか」


「でもまあ、成功しそうではあった」


 そこへ別の声が被る。


「いや、成功しそうでも早えよ!」


 通りの向こうから笑い混じりに飛んできたその一言に、また空気が揺れた。


 そうだ。


 まさにそれだった。


 ユウが女を囲うとか、そういう方向で見られること自体は、周りにとって完全な想像の外ではないのだろう。


 けれど、ロスト入りした翌朝に見知らぬ年頃の女を連れているのは、流石に早すぎる。


 ユウはそこで初めて、少しだけ立ち止まりかけた。


 すぐにやめる。


 止まるほどではない。


 でも、その場にいる全員へ聞こえるくらいの声で言う。


「好き勝手言ってろ。こっちは仕事だ」


 それで切るつもりだった。


 けれど、ジャンク屋の親父が煙草を揺らしながらニヤつく。


「仕事ねえ」


「何だよ」


「いや、そう言う時ほど余計に怪しいと思ってな」


「死ね」


「朝から物騒だな、おい」


 また笑いが起きる。


 ユウは小さく息を吐いた。


 この程度のやり取りで済んでいるのは、ここがガレージストリートの表通りだからだ。


 顔見知りが多い。


 変にちょっかいを出せば、別の顔へ拾われる。


 そういう最低限の秩序がまだある。


 それでも、ユイを連れて歩くには視線が多すぎた。


 ユウは後ろを振り向かずに言う。


「離れるな」


「はい」


 今度の返事は、さっきより少し真面目だった。


 周囲の空気から、自分が何か変なふうに見られているのはようやく分かったのだろう。


 それでも、まだ全部は理解していない。


 ユウは歩幅を少しだけ速める。


 通りの真ん中を選び、変に店先へ寄らない。


 シャッターの影にも近づかせない。


 脇道へ視線を残したまま、まっすぐ進む。


 ユイが少しだけ小声で言った。


「……そんなふうに見えるんですね」


 意味としては、さっきの「囲った」とか「友達」とか、その辺りの話だろう。


 ユウは前を見たまま答える。


「見えるから言ってるんだろ」


「でも」


「でもも何もねえ」


 短く切る。


「男と女が歩いてりゃ、そう見るやつはいる」


 ユイが黙る。


 その沈黙に、今度は少しだけ考える重さがあった。


 多分、本当に知らなかったのだろう。


 近くを歩くこと自体がどう見えるか、その意味ごと。


 ガレージストリートの朝は、今日もいつも通りに回っている。


 シャッターが上がる音。


 エンジンの試し掛け。


 溶接の火花の乾いた匂い。


 その中で、ユウだけが妙な意味で目立っていた。


 手間が増えたな、とまた思う。


 だが同時に、これで少しは分かっただろうとも思う。


 近くを歩くだけで、勝手に意味をつけられる。


 ここではそういうこともある。


 だから距離には意味がある。


 それをユイがどこまで受け取ったかは、まだ分からない。


 ユウは前を見たまま、小さく言った。


「これで少しは分かったか」


 後ろから小さな声が返る。


「……少しだけ」


 それなら上等だと、ユウは思う。


 一度で全部分かるような話じゃない。


 少しでいい。


 少しでも、自分の足元の意味が変われば、それだけでましになる。


 ガレージストリートの表通りを抜けながら、ユウはもう一度だけ周囲の視線を切る。


 冷やかしはある。


 だが本気の危険まではまだ遠い。


 ここだから、まだこうして返せる。


 これが裏へ入れば、話は別だ。


 その線を知っているのは今のところ自分だけだと、背中の気配で分かる。


 ユイはまだ後ろで、少し黙ったままついてきていた。


 さっきまでの楽しそうな空気は残っている。


 けれど、その上に小さな戸惑いが一枚乗った。


 それだけでも、今は十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。