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銀月のロスト  作者: taka
第6章 部屋ではなく、寝床
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深い関係

 結局、眠りは浅いままだった。


 一度目を閉じても、朝の一件で身体の方がまだ起きている。


 壁際に座り直し、毛布へくるまったまま目を閉じ、また薄く開ける。


 そういうことを何度か繰り返した末に、眠るのを諦めた。


 部屋の中は明るくなり始めていた。


 換気口の風は相変わらず小さく鳴っている。


 ベッドは朝と同じように空いたままだ。


 使ってみる気にもなれない。


 ユウは毛布を畳み、ジャケットを羽織る。


 武器も手元へ戻す。


 それから部屋を出て、静かに階段を下りた。


 一階には、もう人の気配があった。


 キッチン側から、湯の立つ音と皿の触れ合う音が聞こえる。


 その匂いに混じって、軽い油の香りも流れてきた。


 朝飯だろう。


 階段を下りきる前に、声が耳へ入った。


「異性の部屋には、勝手に入っちゃ駄目よ」


 サエだった。


 声は穏やかだ。


 けれど、穏やかなだけで流す気のない言い方だった。


 ユウは足を止める。


 リビング側を見ると、キッチンの前でサエがユイと向かい合っていた。


 ユイは帽子も被らず、白い髪を下ろしたまま、きちんと話を聞く姿勢で立っている。


 立っているが、納得はまだしていない顔だ。


 その少し横に、タチバナがいた。


 壁際へ寄るように立っている。


 口を挟む気配はない。


 だが表情だけは、朝からずっと続いている苦い顔のままだった。


 どう見ても、サエに任せている。


 というより、自分では上手く言えないから任せるしかない顔だった。


 ユイが真面目に言う。


「……友達なのに、駄目なんですか?」


 ふざけているわけではない。


 本気で疑問に思っている声だ。


 サエは一拍だけ間を置く。


「駄目、というより」


 言葉を選びながら、静かに続ける。


「友達でも、部屋には勝手に入らない方がいいの。特に相手が寝ている時はね」


「でも、起こそうと思って」


「それでもよ」


 サエは柔らかいまま、そこだけは切った。


「起こすなら、ちゃんと聞こえるように声を掛ける。返事がなければ、まず待つ。勝手に中へ入って、しかも静かに近づくのは一番まずいわ」


 ユイは少しだけ目を伏せる。


「……静かにした方がいいと思ったんです」


「そこは間違ってないわ」


 サエは即座に否定しなかった。


「でも、“静かにする”と“気づかれないように入る”は別なの」


 その言い方に、ユイはまだ半分ほどしか分かっていない顔をした。


 ユウはそこで、ようやく階段を下りる。


 レンジがソファに座ったままそれに気づき、すぐ小さく手を振った。


 声は出さない。


 ただ、こっちだ、という顔をする。


 ユウは黙ってそちらへ寄った。


 レンジの前の卓には、朝飯らしい皿が置かれている。


 パンと卵、スープ。


 銀月ほどではないが、拠点の飯としては十分だ。


 レンジが小声で言う。


「ほら、座って食ってろ」


 ユウは短く頷き、椅子へ腰を下ろす。


 その間も、サエの話は続いていた。


「部屋っていうのは、その人だけの場所でもあるの」


 ユイが顔を上げる。


「その人だけの……?」


「そう。勝手に入られるのが平気な人もいるかもしれないけど、それは“平気だ”って分かってからの話」


 ユイはまだ納得しきれていないらしい。


 少しだけ考えてから、また聞く。


「でも、友達なら」


 その続きを、サエが静かに受ける。


「そうね……友達というより、もっと深い関係じゃないと」


 その言葉が落ちた瞬間だった。


 レンジが「あ……」と小さく口にする。


 顔に出た。


 あ、今それはまずい。


 そう思った顔だ。


 タチバナもそこで初めて、ほんのわずかに目を見開いた。


 サエ自身も言ってから一拍遅れて、それに気づいたらしい。


 けれど、もう遅い。


 ユイは真顔で首を傾げる。


「……深い関係ってなんですか?」


 部屋の空気が固まった。


 サエが止まる。


 タチバナも止まる。


 レンジは片手で口元を押さえた。


 笑いを堪えている。


 堪えているが、肩がわずかに震えているので全然隠せていない。


 ユウはパンへ手を伸ばしかけたまま、そのままタチバナへ視線を送った。


 言葉にはしない。


 しないが、それで十分だった。


 ――ほら見ろ。


 そんな視線だった。


 タチバナはその視線の意味をきちんと受け取った顔で、さらに苦い表情になる。


 言い逃れのしようがない顔だった。


 サエが小さく咳払いを一つして、立て直そうとする。


「ええと……」


 珍しく言葉を探していた。


「簡単に言うと、もっと特別に近い相手のことよ」


 ユイはすぐに聞き返す。


「特別って、どういう」


「そこは今はいいの」


 今度はサエが少しだけ強めに切った。


 やっと切れた、という感じだった。


 ユイはきょとんとしたまま、けれど素直に口を閉じる。


 分からない顔のままなのが、逆にこの場の厄介さをよく表していた。


 レンジがついに小さく吹き出した。


「っ……」


 すぐにサエの視線が飛ぶ。


「レンジ」


「いや、すみません、でも今のは」


「黙って」


「はい」


 謝ってはいるが、まだ笑いは消えていない。


 タチバナの方はもはやそれを咎める気力も薄いらしく、額を押さえかけてやめた。


 ユウはそこでようやくパンを口へ運ぶ。


 パンの味はする。


 けれど、卓の空気の方が妙に濃かった。


 ユイはまだ真面目な顔で考えている。


 多分、本当に分からないのだろう。


 だから聞いている。


 悪意がない分だけ、誰も強く切りにくい。


 サエは一度息を整えてから、もう少しだけ噛み砕いて言った。


「とにかく、異性の部屋には勝手に入らない。起こす時は、聞こえるようにノックして、返事を待つ。そこは覚えて」


 今度はルールとして置いた。


 ユイはようやく頷く。


「……はい」


「足音を消すのも、外では役に立つけど、中ではまずい時があるわ」


「はい」


「特に、寝ている相手にはね」


 そこまで言われると、朝の一件の意味がようやく形になってきたらしい。


 ユイの表情に、少しだけ本物のしょんぼりした色が混じる。


「……びっくりさせました」


 サエの声が少しやわらかくなる。


「ええ。かなりね」


「ごめんなさい」


「それは後で本人にも言いなさい」


 その言葉で、ユイの目がようやくユウへ向いた。


 ユウは水を一口飲んでから、そちらを見る。


 少しだけ間を置いて、低く言った。


「……いや、俺も悪かった」


 ユイが目を瞬く。


 ユウは膝の上のリボルバーへ一度だけ目を落とした。


「気配だけで動いた。お前だって分かるのが遅れた」


 それで十分だった。


 全部を引き受ける気はない。


 けれど、目の前で本気で悲鳴を上げさせた以上、そこを丸ごと相手だけのせいにもできない。


 それくらいの気遣いは、ユウにもあった。


 それから短く続ける。


「次は普通に起こせ」


 ユイはそこで少しだけ安心した顔になって、素直に頷く。


「……はい」


 その返事に嘘がない。


 だからこそ余計に、こじれない。


 レンジがそこでようやく声を整えた。


「いやあ、でも」


 またサエの目が向く。


 今度はユウにも、レンジがまた余計なことを言うだろうなと分かった。


 レンジは咳払いして、少しだけ真面目な顔になる。


「勉強にはなったんじゃないですか」


「何の」


 タチバナの声は低い。


「何が危ないかって話ですよ」


 レンジは肩を竦めた。


「ユイちゃんには。ついでに、タチバナさんにも」


 最後の一言で、また空気が少しだけ歪む。


 タチバナはしばらく黙っていたが、やがて短く言った。


「……分かってる」


 その一言に、今度はさっきより少しだけ本物の重さがあった。


 サエが朝飯の皿をユウの前へもう少し寄せる。


「冷めるわよ」


 ユウは短く「ああ」と返す。


 レンジはもう何も言わずに自分のスープへ戻った。


 ユイも、ようやく本当に反省したらしく、サエの隣で静かになっている。


 タチバナだけがまだ渋い顔のままだった。


 パンの匂いとスープの湯気だけが、朝の拠点に静かに残っていた。

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