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銀月のロスト  作者: taka
第6章 部屋ではなく、寝床
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朝の銃口

 朝は、音の少ない部屋から始まった。


 換気口の奥で風がかすかに鳴っている。


 壁は冷たく、床も硬い。


 ベッドは部屋の真ん中で空いたまま、昨夜と同じ位置にある。


 そのいかにも“部屋らしい”置かれ方が、目を開けるたびにまだ少し落ち着かなかった。


 ユウは壁際に座ったまま、毛布へくるまっていた。


 背中は壁。


 視界の端に扉。


 ジャケットも、SMGも、リボルバーも、すぐ取れる位置にある。


 結局、眠りへ落ちたあともその形はほとんど崩れていない。


 部屋で寝た、というより、部屋の中に寝床を作って眠った感じだった。


 まだ早い時間らしい。


 下の気配も薄い。


 人の動きはあるのかもしれないが、壁と床を挟んだ先までは届いてこない。


 その静けさが、外の寝床よりましなのか、悪いのか、まだ身体が決めかねていた。


 扉の向こうで、ごく小さな音がした。


 ノックだった。


 小さい。


 控えめというより、気を遣いすぎて消えかけている音だ。


 その音では、ユウは目を覚まさなかった。


 起こすには、静かすぎた。


 扉の向こうで、さらに気配が一つだけ近づく。


 それも静かだ。


 足音を消している。


 廊下の床を踏む重さが、不自然なくらい薄い。


 扉がそっと開いた。


 ユイは、起こさないようにというつもりで、できる限り静かに中へ入った。


 帽子は被っていない。


 白い髪は肩から背へ流れ、拠点の朝の薄い灯りをやわらかく拾っている。


 足音も立てない。


 声も出さない。


 本人としてはかなり気を遣っているつもりだった。


 部屋へ入って最初に目についたのは、ベッドだった。


 毛布が掛かっていない。


 枕もほとんど乱れていない。


 人が寝た形跡が薄い。


 ユイはそこで少し首を傾げる。


「……あれ」


 小声だった。


 昨夜のうちにちゃんと部屋へ入ったはずだ。


 でもベッドは空に見える。


 どうしたんだろうと思って、部屋の中を見回す。


 そして、壁際の隅でようやく見つけた。


 毛布にくるまったまま、床に寄って眠っているユウ。


 扉からいちばん遠い位置。


 ベッドじゃなく、わざわざそこを選んだと分かる場所だった。


 ユイはそこで、ほんの少しだけ目を丸くした。


 やっぱり、自分の知っている寝方とは違う。


 そう思いながらも、悪い意味ではない。


 ただ本当に、こういう寝方をするんだ、という驚きだった。


 起こさないと、と思って近づく。


 今度も足音を消したまま。


 しゃがみ込めば届くくらいまで距離を詰める。


 毛布の端へ手を伸ばしかけた、その瞬間だった。


 ユウの目が開く。


 反射だった。


 毛布が跳ねる。


 壁から背が離れる。


 同時に手が走り、リボルバーを掴む。


 起き上がる動きと一緒に銃口が持ち上がる。


 速い。


 撃鉄までは起こしていない。


 だが、向けるまでが速すぎた。


 ユイの目の前に、黒い銃口が止まる。


 そこでようやく、ユウの意識が相手を捉えた。


 白い髪。


 近すぎる距離。


 見慣れないけれど昨夜見た顔。


 ユイだ、と分かった瞬間に動きが止まる。


 だが、止まるのは一拍遅い。


 ユイの方はそこまで待てなかった。


「ひっ――っ!?」


 短い悲鳴が部屋に裂けた。


 下の空気が変わる。


 足音。


 一人分じゃない。


 階段を駆け上がる気配が重なる。


 次の瞬間には、廊下からレンジの声が飛んできた。


「何!?」


 続けてサエ。


「ユイ!?」


 そしてタチバナの足音がいちばん早い。


 扉が大きく開く。


 三人の気配が一気に部屋の前へ集まったところで、ようやくユウは銃口を完全に下ろした。


 毛布は半分ほど肩から落ちている。


 壁際に膝を立てたままの姿勢。


 リボルバーは手の中。


 寝起きなのに、身体だけ先に戦闘の形を取っていた。


 ユイはその場にしゃがみ込むみたいに固まり、目を見開いたまま息を詰めている。


 泣いてはいない。


 でもかなり本気で驚いた顔だった。


 部屋の前へ来たタチバナが、その光景を見て一瞬だけ動きを止める。


 血の気が引く、という言い方が一番近かった。


 最悪の形になっていた可能性が、ほんの一拍だけ頭を過ったのだろう。


 それでも次の瞬間には、もう声を低く落としていた。


「……何をした」


 問う相手は、まずユイだった。


 ユイはまだ固まったまま、かすれた声で答える。


「お、起こしに……」


「なんで足音を消した」


 そこへ被せるように問う。


 ユイは本気で意味が分からない顔をする。


「起こさないようにと思って……」


 答えてから、少しだけ肩を縮めた。


「ちゃんとノックはしました」


 レンジがその言葉で、思わず目を逸らしかける。


 サエも片手を額へやりかけて、すぐ戻した。


 理屈としては間違っていない。


 善意としても間違っていない。


 だから余計にややこしい。


 タチバナの顔が苦くなる。


 完全に自分の教育が裏目へ出た瞬間だった。


 ユウはそこでようやく状況が全部繋がり、毛布を肩へ掛け直しながら低く言う。


「……気配だけだった」


 説明というより、事実の確認だった。


「撃ってねえ」


 その一言で、少なくとも最悪ではなかったことがようやく部屋の空気へ落ちる。


 タチバナが短く息を吐く。


 サエもそこで少しだけ肩の力を抜いた。


 レンジは部屋の前に立ったまま、困ったような、笑いたいような微妙な顔をしている。


 だが今笑ったら殺されると分かっているのか、口は閉じたままだ。


 ユイはまだしゃがみ込んだまま、ユウを見ていた。


 怖かったのは確かだろう。


 けれど、それだけではない。


 ベッドで眠っていると思っていた相手が、壁際で毛布にくるまり、起きた瞬間には銃を向ける。


 その全部が、知らなかったものとして一気に押し寄せた顔だった。


 やがて、小さく言う。


「……ごめんなさい」


 今度は素直だった。


 声も本当に小さい。


 さっきまでの元気はどこかへ引っ込んでいる。


 ユウはしばらく何も言わなかった。


 怒るのも違う。


 責めるのも違う。


 ただ、こうなると分かっていたと言えばそうだった。


 足音を消して近づく。


 起こすつもりで屈む。


 それだけで十分、下層では最悪の条件になる。


 結局、短く返す。


「……次は普通に呼べ」


 ユイはそこで少しだけ目を上げる。


「普通に、ですか」


「聞こえるようにだ」


 それだけでいい。


 説明を増やしても多分、今はまだ半分しか伝わらない。


 サエがそこで静かに入った。


「ユイ、いったん下へ」


 声はやわらかい。


 だが、逆らわせない種類のやわらかさだった。


 ユイは少しだけ躊躇って、それから素直に頷く。


「……はい」


 立ち上がる。


 けれど部屋を出る前に、もう一度だけユウを見た。


 怖がる目ではない。


 驚きと、少しの気まずさと、まだ消えきっていない好奇心が混ざっている。


 その視線を受けて、ユウは壁際へ背を戻したまま、小さく息を吐く。


 サエがユイを連れて出る。


 レンジもそれに続きかけて、扉のところで一瞬だけ振り返る。


「……朝から景気いいですねえ」


 小さくぼやいた次の瞬間、タチバナの視線が刺さる。


 レンジはすぐに手を上げた。


「冗談です」


「黙ってろ」


「はい」


 素直に引っ込む。


 扉の向こうで、その気配が遠ざかる。


 部屋に残ったのはタチバナとユウだけになった。


 タチバナは扉を半分閉めたところで、しばらく無言だった。


 怒っているというより、今起きたことの重さと、自分の落ち度と、その全部を一度に噛み潰している顔だ。


 やがて低く言う。


「悪かった」


 ユウは少しだけ眉を動かす。


 タチバナが謝るとは思っていなかった。


 少なくとも、こういう形では。


「お前にじゃない」


 続けて、苦い顔のまま言い直す。


「いや、半分はお前にもだな」


 そこでまた短く息を吐く。


「……次からは部屋へ入る前に、ちゃんと声を掛けさせる」


 ユウは壁へ背を預けたまま、リボルバーを膝の上へ置く。


「そうしてくれ」


 それが一番現実的だった。


 タチバナはそこで初めて、壁際の寝方を見た。


 ベッドは手つかず。


 毛布だけが持ち出され、扉からいちばん遠い隅で眠っていた跡がそのまま残っている。


 その光景を見て、何か言いかける。


 だが、今はそこまで言わなかった。


 代わりに一言だけ落とす。


「……朝飯が済んだら、鍵の位置と合図を決める」


 今朝の事故は二度と起こすな、という意味だった。


 ユウは短く頷く。


「分かった」


 タチバナはそれ以上言わず、扉を開けて出ていく。


 閉まる直前、ほんの少しだけ渋い顔が見えた。


 扉が閉まる。


 ユウは毛布を引き寄せ直し、壁際へ背を預けたまま目を閉じた。


 もう一度眠れるかは分からない。


 部屋はまた静かになった。


 けれど、もう昨日と同じ静けさではなかった。

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