壁際の眠り
扉が閉まると、部屋の中は急に静かになった。
さっきまでそこにあったユイの声も、廊下の気配も、白い髪の揺れも、一枚の扉で綺麗に切れる。
残るのは換気口の奥で鳴る微かな風の音と、自分の呼吸だけだ。
ユウはしばらくその場に立ったまま、部屋の中を見ていた。
ベッド。
空の棚。
壁。
床。
それだけしかない。
それだけしかないのに、妙に落ち着かない。
寂しい部屋ですね。
寝る場所なんですね。
同年代のお友達は初めてですから。
さっき交わした言葉が、静かになった部屋の中で遅れて形を持つ。
ユウは小さく息を吐き、ようやくジャケットを脱いだ。
床へは置かない。
癖みたいな手つきで畳み、すぐ取れる位置へ寄せる。
SMGも壁際へ立てかけるのではなく、手を伸ばせば届く場所へ寝かせる。
リボルバーはもっと近い。
毛布を取る前に、まずそれを決める。
その順番の方が身体に馴染んでいた。
それからベッドへ目を向ける。
知識としては知っている。
上で眠るためのものだ。
柔らかくて、身体を預ける家具。
それくらいは分かる。
だが、いざ自分が使うとなると別だった。
広い。
柔らかそうだ。
身体を横にするには十分すぎる。
その“十分すぎる”感じが、逆に落ち着かない。
見通しのいい場所で背を預けるような心許なさがある。
しかも高い。
床から少し上がっているだけで、妙に身体が浮く気がした。
ユウは試しにベッドの端へ腰を下ろしてみる。
沈む。
その感触だけで、すぐに駄目だと分かった。
音もなく吸われるような柔らかさが、むしろ神経を逆撫でする。
足の裏が床から半端に離れ、視線の位置まで少し変わる。
そんな小さな違いでさえ、今の身体には馴染まない。
落ち着かない。
それが一番正確だった。
ユウはすぐに立ち上がる。
ベッドは悪くない。
むしろ、ちゃんとした部屋なら普通なのだろう。
ここの人間から見れば、多分これでも「普通」だ。
けれどその普通に、自分の身体の方が追いついていない。
毛布だけを引き剥がすように取る。
それから部屋の中を一度見回し、ドアからいちばん遠い壁際へ行った。
背を預けられる場所。
視界の中に扉が入る位置。
誰かが入ってきたらすぐ分かる距離。
そこへしゃがみ込み、そのまま腰を落とす。
毛布を肩からかぶる。
そこでようやく、少しだけ息が深くなった。
やっぱりこっちの方がましだ。
床は硬い。
壁は冷たい。
けれど、その硬さと冷たさの方が、今の自分には安心できる。
ベッドの柔らかさより、よほど身体に馴染む。
ユウは毛布の中から手を伸ばし、武器の位置をもう一度確かめた。
SMG。
ジャケット。
リボルバー。
全部すぐ届く。
それでようやく、寝る前の形になる。
部屋の中は静かだった。
静かすぎるとも言える。
下層の寝床みたいに、壁の向こうで誰かが怒鳴ることも、遠くの足音が響くことも、配管の軋みが神経を立たせることもない。
その静けさが、逆に落ち着かない。
安全だから眠れる、とは限らない。
慣れていない安全は、それはそれで身体をざわつかせる。
ユウは毛布へ半分顔を埋めたまま、薄く目を閉じる。
今日一日を思い返すには、少し長すぎた。
部屋の壁に後頭部を軽く預ける。
冷たい。
その冷たさだけが、少しだけ現実に近い。
眠れりゃ十分だろ、と思った。
実際、それで生きてきた。
だから今夜もそうするだけだ。
ただ、この部屋はもう寝床じゃない。
そう呼ぶには、少し整いすぎている。
けれど“自分の部屋”と呼ぶには、まだどこか遠い。
まだどちらにも馴染まないまま、ユウは毛布を引き寄せる。
遠く一階の方で、何か小さく物音がした気もする。
けれど、それ以上は何も起きない。
ユウは壁際に身体を丸める。
寂しい部屋ですね、とユイは言った。
たしかにそうなのかもしれない。
けれど今の自分には、この壁際の方がまだずっと落ち着いた。
ベッドは空いたまま、部屋の中央に残っている。
ユウは壁際で、武器の位置を最後にもう一度だけ確かめた。
そのまま、少しずつ目を閉じていった。




