表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀月のロスト  作者: taka
第5章 内側の少女
PR
33/47

白い髪

 内側の扉をくぐると、一階は思っていたより広かった。


 リビングとキッチン。


 奥には浴室らしい区画。


 照明は明るすぎず、けれど薄暗くもない。


 床も壁も、下層の建物にしては妙にきれいだった。


 ガレージ側と違って、こちらには人が生活するための空気がある。


 ユウが一歩入ったところで、すぐ横を歩いていたユイが帽子へ手をやった。


 ふわり、と布の擦れる音がした。


 帽子が外れる。


 押し込められていた白い髪が、肩を越えて静かに落ちた。


 長い。


 外で見ていた時は、帽子のつばとだぼついた服のせいで輪郭しか分からなかった。


 だが、ここでは違う。


 長い白髪が、そのまま灯りの下へ流れ出る。


 下層では、まず隠す色だ。


 綺麗かどうかの前に、危ない。


 それを迷わず外へ出したことで、ここが本当に内側なのだと分かった。


 ユウの視線が一瞬だけそこへ引かれる。


 ユイはそんなことには気づかないみたいに、軽く首を振って髪を整えた。


 長い髪が背へ沿って静かに広がる。


「こっちです」


 声まで少し明るい。


 食事の時より、さらに張り切っているのが分かる。


 タチバナは壁際で短く息を吐いたが、今さら止めはしなかった。


 ここまで来れば、帽子を外すのは当然なのだろう。


 拠点の中でまで隠している必要はない。


 そういう線引きらしい。


 リビング側へ視線を向けると、そこに二人いた。


 一人はソファの背へもたれるように座っている男。


 銀月では顔を合わせていない。


 髪は明るめで、口元には軽い笑みがある。


 どこか力の抜けた雰囲気なのに、目だけはちゃんとこちらを見ていた。


 もう一人はキッチン側。


 黒髪のミドルボブの女が、カウンターの端へ軽く寄りかかるように立っている。


 こちらも初めて見る顔だ。


 レンジと違って、余計な感情を表へ出さない。


 静かに観察している目をしていた。


 先に口を開いたのは、ソファの男の方だった。


「お、噂の新人クン?」


 声は軽い。


 だが、ただ軽いだけではない。


 人を値踏みする目つきではないのに、こちらの反応は見ている。


 そういう種類の軽さだった。


 ユウは短く返す。


「ユウだ」


 それで十分だと思った。


 男は少しだけ口元を上げる。


「レンジです。よろしく」


 その名乗り方まで軽い。


 けれど、軽薄というほどでもない。


 場の緊張を少しだけ抜くのが上手い人間の声だった。


 キッチン側の女も、短く会釈した。


「サエです」


 それだけだった。


 声音は静かで、余計な装飾がない。


 それなのに、レンジよりずっと印象に残る。


 ユイはそんな二人の空気なんて気にした様子もなく、すぐにユウの横へ戻ってくる。


「案内しますね」


 その一言に迷いがない。


 もう最初から自分の役目だと思っている顔だった。


 ユウは反射でタチバナを見る。


 止めるかと思った。


 だが、タチバナは止めない。


 止めないどころか、もう半分くらい観念している顔だった。


 その時、レンジがソファから少しだけ身を起こして、タチバナへ目を向けた。


「で、リーダー格の男はどうなりました?」


 聞き方は軽い。


 けれど、そこだけはちゃんと仕事の声だった。


 タチバナが短く返す。


「花街に引き渡した」


 それを聞いたレンジが、小さく肩を揺らす。


「あ〜……」


 それから、少しだけ天井の方を見るみたいにして言った。


「奴さん、人間の形して死ねるのかねぇ」


 声は軽いままだった。


 軽いのに、その内容だけがやけに重い。


 ユウは花街の引き取り手の顔を思い出す。


 丁寧で、穏やかで、無駄がない。


 それなのに、下層で見てきた荒っぽい暴力とは別の、もっと逃げ場のない怖さがあった。


 レンジの一言で、その先の形まで妙に想像しやすくなる。


 サエがキッチン側から静かに言う。


「レンジ」


 たしなめる声だった。


 けれど、否定はしていない。


 言いすぎ、ではなく、今それを口に出すな、という種類の抑え方だ。


 レンジは肩を竦める。


「いや、だってさ」


「分かってるなら、なおさら」


「はいはい」


 口調は軽いままだった。


 だが、それ以上は続けない。


 そこで切れるあたり、空気の読み方はちゃんとしている。


 タチバナはそのやり取りへ何も挟まず、ユイへだけ短く言う。


「案内だけだ」


「はい」


 ユイは即答だった。


 しかも嬉しそうだ。


 ユウはそこで、少しだけ妙な気分になる。


 ユイはもう一度ユウの方を見る。


 白い髪が動くたび、さっきまで帽子の下へ押し込められていたのが嘘みたいに広がる。


 危ない色だ。


 けれど、ここでは隠さなくていい色でもある。


 その違いが、まだ少し落ち着かない。


「二階です」


 ユイが言う。


「空いてる部屋があるので、そこを使ってください」


 言い方が自然すぎて、最初から決まっていたみたいに聞こえる。


 ユウは少しだけ眉を寄せる。


「……ほんとに部屋なんだな」


「はい?」


「いや」


 言いかけて、やめる。


 寝るだけなら、壁と屋根があれば十分だ。


 そういう場所で生きてきた。


 そこへ“部屋”なんて言葉が当たり前みたいに置かれると、まだ少し足が浮く。


 ユイはそこまで深くは気にしていないらしい。


 ただ、柔らかく言う。


「見た方が早いですよ」


 それはそうだった。


 タチバナが壁際から一歩だけ離れる。


「行ってこい」


 その一言に、ユウはまたそちらを見る。


「お前は」


「俺は少し残る」


 リーダー格の件もある。


 レンジとサエもいる。


 ここから先の細かい話は、まだユイの耳に入れない方がいいのだろう。


 そういう切り方だった。


 ユイはその辺りの温度差を深くは気にせず、もう階段の方へ身体を向けている。


「じゃあ、行きましょう」


 またその一言だ。


 決めたら早い。


 善意に遠慮がない。


 ユウはタチバナを一度だけ見てから、小さく頷く。


「……分かった」


 ユイが先に立つ。


 今度は外じゃない。


 だからユウも「前に立つな」とは言わない。


 代わりに、その後ろをそのままついていく。


 階段へ向かう途中、レンジがソファにもたれたまま、楽しそうに口の端を上げた。


「いやあ、ちゃんと案内役してますねえ」


 サエが横から静かに言う。


「あなたは黙ってて」


「ひどくない?」


「余計なことを言うからです」


 そのやり取りが後ろで小さく鳴る。


 ユウは一瞬だけ振り返りそうになって、やめた。


 振り返ったところで、今はそっちの空気へ混ざる段階じゃない。


 前では、ユイの白い髪が照明の下で静かに揺れている。


 銀月の中とは違う。


 下層の路地とも違う。


 ここは完全にタチバナたちの生活の側だった。


 その中へ、正式加入したその日の夜に、こうして当たり前みたいに連れていかれる。


 現実感はまだ薄い。


 それでも、ユウの足はもう階段へ向かっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ