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銀月のロスト  作者: taka
第4章 仮の終わり
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引き渡し

 必要な札を拾い終えた頃には、建物の中は静まり返っていた。


 火薬と血と、食いかけの飯の匂いだけが残っている。


 ここを回していた連中の気配は、もうない。


 ユウは床へ置いたケースを足元へ寄せ、抜いた弾と予備マガジンをまとめた。


 卓の上には、相変わらず文字のない荷が並んでいる。


 赤い布。


 結束の色。


 浅い傷。


 雑な塗料の線。


 読める人間が少ない世界の、読むためではなく見分けるための印だ。


 タチバナは奥に残した男を見ていた。


 男はもう暴れる顔ではない。


 虚勢だけが、まだ少し残っている。


 それでも、ここへ来る前の窓口や見張りよりはまだ場数がある。


 だからこそ、最後まで口だけは動かしたいのだろう。


 タチバナが短く言う。


「札は足りた」


 男の目がわずかに動く。


「……そうかよ」


「お前から取る分はもうない」


 そこで初めて、男の顔に別の色が差した。


 諦めとも違う。


 安堵でもない。


 先を考えた人間の、嫌な沈み方だった。


 ユウはそれを見て、ケースから手を離した。


 タチバナは続ける。


「後は向こうに回す」


 向こう。


 それだけで十分だった。


 男の喉が一度だけ動く。


 さっきまでの虚勢が、そこで少し削れる。


 それでもすぐには何も言わない。


 言葉にしたら、本当にその先が来ると分かっている顔だった。


 タチバナは懐から端末を取り出す。


 短い連絡だけを入れる。


 場所。


 人数。


 引き渡し一名。


 細かい札あり。


 その程度だろう。


 それで通る相手にしか、最初から繋いでいない。


 端末を戻す。


「来るまで少しある」


 その一言で、場はまた静まった。


 ユウは壁際へ寄り、半壊した窓の隙間から外を見た。


 花街寄りの通りは、相変わらず濁ったまま回っている。


 細い路地。


 湿った壁。


 見えない上から落ちてくる砕けた光。


 ここで何かが潰れたことすら知らない顔で、人と荷が流れていく。


 奥では、リーダー格の男が俯き気味に座っていた。


 さっきまであった口の動きが、今はない。


 考えないようにしているのか。


 考えてしまっているのか。


 その両方かもしれない。


 やがて、外で足音が止まった。


 二人分。


 軽くも重くもない。


 急いでいない。


 だが、迷いもない。


 その足音だけで、場の空気が少し変わる。


 タチバナが扉の方を見た。


 ノックは一度だけ。


 返事を待たず、扉が押し開かれる。


 入ってきたのは二人だった。


 どちらも派手ではない。


 花街の人間らしい華やかさも、いかにも荒事を請け負う顔もしていない。


 暗い色の服。


 汚れの少ない靴。


 無駄のない動き。


 一人は痩せた中年の男。


 もう一人は若い女だった。


 どちらも、声を張る必要がない顔をしている。


 痩せた男が中を一瞥し、それからタチバナへ軽く頭を下げた。


「お手数をおかけしました」


 声は穏やかだった。


 商談の場でもおかしくないくらい、丁寧な調子だ。


 タチバナも余計なことは言わない。


「細かい札は抜いてある」


「助かります」


 若い女の方が卓へ近づき、並べられた荷と回収した物を一目で見る。


 確認は速い。


 触り方まで静かだ。


 騒がない。


 驚かない。


 こういう場を見慣れている人間の動きだった。


「この男ですね」


 女が奥のリーダー格へ目を向ける。


 その瞬間だった。


 男の顔色がはっきり変わった。


 さっきまでの虚勢が、そこで初めて本気で剥がれる。


 目が見開き、肩が無意味に強張る。


 血が引く、という言い方がそのまま合う顔だった。


「おい」


 声が掠れる。


「待ってくれ」


 誰に向かって言っているのか、一瞬曖昧だった。


 だが、すぐにタチバナの方へ顔を向ける。


「頼む! コイツらは――」


 最後まで言わせなかった。


 若い女が、歩幅も変えずに男の前へ出る。


 怒鳴りもしない。


 駆け寄りもしない。


 そのまま店で騒ぐ客を制するみたいな穏やかさで、男の顎を軽く持ち上げた。


「お静かに」


 声は柔らかい。


 それが余計に怖かった。


 次の瞬間、痩せた男が男の脇へ半歩寄る。


 拳ではない。


 掌を短く腹へ入れる。


 見た目には大きくもない動きだった。


 だが、男の息はそこで綺麗に潰れた。


 声が切れる。


 目だけが見開いたまま、身体が折れる。


 呻きにもならない空気が、喉の奥で震えた。


「聞く相手を間違えましたね」


 若い女がそう言って、顎から手を離す。


 丁寧なままだ。


 乱暴さがない。


 ないからこそ、最初から手順に入っている感じが強い。


 ユウはそれを見て、何も言わなかった。


 怖い、とは少し違う。


 暴力そのものなら、もっと下層で見てきた。


 けれど、これは質が違う。


 怒りでも見せしめでもなく、秩序の中の処理として行われている。


 痩せた男がタチバナへ向き直る。


「こちらでお預かりします」


「任せる」


「細かい位置まで付けていただいたようで」


 男の目が、卓の上の札を一度だけ拾う。


「助かります」


 礼儀は崩さない。


 それでいて、捕まった男の方はすでに荷物に近い扱いへ移っている。


 その差が妙に生々しかった。


 タチバナは短く言う。


「北の階段下、三日後の夕方。横の入りも押さえてある」


「十分です」


 女の方が、もう男の腕を取り上げていた。


 痛めつけるためではなく、逃がさない形へ自然に持っていく。


 男はまだ息を整えきれず、抵抗もできない。


 さっきまでの虚勢がどこへ行ったのか分からないくらい、顔だけが青い。


 痩せた男が最後に軽く会釈した。


「では」


 それだけだった。


 長い挨拶はない。


 余計な確認もない。


 引き渡しの完了だけが、静かに成立する。


 二人は男を連れて出ていく。


 引きずるでもない。


 急かすでもない。


 きちんと歩かせて、きちんと持っていく。


 扉が閉じる。


 中継地点の中は、一瞬だけ本当に静まり返った。


 火薬。


 血。


 食いかけの飯。


 飲みかけの瓶。


 死体。


 そして、いなくなった一人分の空白。


 ユウはそこで初めて、小さく息を吐いた。


 タチバナがそれを聞いたのか、聞いていないのか分からない声で言う。


「怖いと思ったか」


 ユウは少し考えてから答えた。


「怖いと言うか、異質だと思う」


 その返しに、タチバナは短く頷いた。


「そういう連中だ」


 説明はそれだけだった。


 だが、十分だった。


 タチバナが室内を見回す。


「残りを壊す」


 ユウも頷く。


「分かった」


 帳面のない荷。


 雑な印。


 補修された板。


 ここを中継地点として使っていた痕跡ごと、壊す。


 それでようやく、この場は本当に終わる。


 ユウは足元のケースを持ち上げ、取っ手に結ばれていた赤い布を引き剥がした。


 色で分けられていた荷が、一つずつただの箱へ戻っていく。


 タチバナは窓際へ寄り、板を一枚外す。


 外から入る光が少しだけ増えて、荒れた室内の雑さがあらためて浮いた。


 中継地点としては、もう死んでいる。


 それだけが、はっきりしていた。


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