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銀月のロスト  作者: taka
第4章 仮の終わり
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使われた場所

「入れ」


 タチバナの声は、建物の中から低く飛んできた。


 ユウは裏口の前で最後に一度だけ外を見た。


 脇道。


 通りの角。


 倒れた二人。


 もう動ける気配はない。


 それを確認してから、裏口を押して中へ入る。


 中の空気は、外より一段重かった。


 火薬の匂い。


 湿ったコンクリの冷え。


 埃。


 その奥に、食い物と安酒の残り香が混じっている。


 生活の匂いではない。


 居座るためでもない。


 場を借りて、荷を置いて、回していた連中の匂いだった。


 一階は広くない。


 元は何かの事務所か、作業場だったのだろう。


 仕切りの残骸が中途半端に残り、壁には古い配線と剥がれた塗装がまだ張りついている。


 床はところどころひび割れているが、荷を置く位置だけは板を噛ませて平らにしてあった。


 使うところだけは死なせていない。


 中継地点としてなら、それで十分だ。


 タチバナは入口寄りの壁際に立っていた。


 息は乱れていない。


 ジャケットにも大きな傷はない。


 正面から入って、もう終わらせた後の顔だ。


 足元には二人転がっている。


 一人は壁際。


 もう一人は、粗末な卓の脇。


 どちらももう起きない。


 撃たれた位置と倒れ方を見れば分かる。


 痛めつけた形ではない。


 必要なところだけ撃って、起き上がれない形にしてある。


 外へ見せるには、それで足りた。


「リーダー格だけ残した」


 タチバナが顎で奥を示す。


 部屋の一番奥、半分壊れた棚の手前に、男が一人座らされていた。


 四十手前くらいか。


 服は粗いが、末端よりは少しだけましだ。


 顔つきも、窓口や見張りよりは場馴れしている。


 ただし、余裕がある顔ではない。


 片脚を撃ち抜かれ、肩口にも一発入っているらしい。


 血は出ているが、まだ喋れる範囲で止めてある。


 ユウはそこまで見て、まず周囲へ目を走らせた。


 荷は多くない。


 だが、少なくもない。


 小口のケース。


 布で巻いただけの細長い荷。


 工具箱に見せかけた箱。


 留め具の違うコンテナ。


 どれも一目で中身は分からない。


 だが、文字のラベルや帳面の類は見当たらなかった。


 代わりに、区別の仕方は別にある。


 赤い布を結んだ取っ手。


 角に二本入った浅い傷。


 結束バンドの色違い。


 箱の側面へ塗料で雑に引いた線。


 読むためではなく、見分けるための印ばかりだ。


 文字で回していない。


 この辺りの識字率を考えれば、その方が自然だった。


 読める奴だけが回す場なら、もっと別の場所になる。


 ここはそうじゃない。


 粗末な卓の上には、飲みかけの瓶が二本転がっていた。


 片方は安酒、もう片方は水だろう。


 油紙へ包んだままの揚げ物が半分残り、固くなったパンが千切られたまま放ってある。


 吸い殻も数本。


 仕事の場として使ってはいる。


 だが、痕跡を消す癖も、場を整える癖も足りない。


 中途半端な連中が中途半端に回していた場所だと、入っただけで分かった。


 ユウが小さく言う。


「雑だな」


 タチバナが短く返す。


「だからここまで残った」


 その言い方に、ユウは少しだけ目を細めた。


 綺麗にやれていたなら、もっと見つけにくかった。


 もっと深い方へ潜っていた。


 雑だから目につく。


 雑だから花街側にも嫌われる。


 雑だから、こうして潰せる。


 奥の男がそこでようやく口を開いた。


「……派手にやったな」


 声はかすれている。


 それでもまだ、虚勢だけは残っていた。


 タチバナは動かない。


「見せるためだ」


 それだけだった。


 男の口元が少しだけ歪む。


 笑ったつもりか、痛みに引きつっただけかは分からない。


 ユウは卓の脇へ寄り、足元の床を見る。


 薬莢。


 靴跡。


 板の擦れ。


 扉へ向いた動き。


 散るつもりだったのは明らかだ。


 根城じゃないからこそ、踏ん張るより抜ける方が先に出る。


 その意味でも、中継地点という見立ては外れていない。


 タチバナが言う。


「使える物だけ拾う。後は壊す」


 ユウは頷いた。


 卓の上の荷へ手を伸ばす。


 開ける前に外だけを見る。


 重さ。


 持ち手。


 印。


 留め具。


 同じ形でも、赤布のものと青い結束のものでは流す先が違うのだろう。


 文字が無い分だけ、現場の人間には分かりやすくしてある。


「帳面は無いな」


 ユウがそう言うと、タチバナが即座に返す。


「最初から期待してない」


「だろうな」


 ユウもそれで納得した。


 こういう連中が、丁寧に書き残すわけがない。


 残すなら文字じゃなく、色と形と位置だ。


 その雑さごと回していたのだろう。


 奥の男が低く息を吐いた。


「全部分かった顔してるが……お前らだって、どこまで追える」


 最後まで言わせる前に、タチバナが視線だけを向ける。


 それで十分だったのか、男はそこで口を閉じた。


 ユウは卓の端に残っていた油紙包みを見た。


 中身は肉の揚げ物らしい。


 まだ少し齧った跡がある。


 その横には安酒。


 緊張感のない話じゃない。


 だが、少なくともここの連中は、場を完全に戦場としては扱っていなかった。


「飯まで食ってたのか」


「回し慣れた場だったんだろう」


 タチバナの声は低いままだ。


「だから鈍る」


 ユウは床の上の薬莢を爪先で避けながら、転がっている死体へ目をやった。


 表側の二人。


 どちらも銃は抜いていた。


 だが、抜いた後の動きが短い。


 タチバナがそれ以上やらせなかったのだろう。


 その一方で、自分が裏でやったのは脚を止めることだ。


 タチバナが奥の男へ視線を戻す。


「こいつは後で少し喋らせる」


 男が苦く笑う。


「まだ足りねえか」


「足りないから残してる」


 それもまた、簡単すぎる答えだった。


 ユウは部屋の隅へ視線を流す。


 半壊した棚。


 予備の箱。


 使い捨ての工具。


 結束バンド。


 雑に置かれた補修板。


 板で塞いだ窓の隙間から、外の砕けた光が細く差し込んでいる。


 派手じゃない分、見逃されやすい。


 ユウが言う。


「これ、花街側も嫌がるわけだな」


 タチバナがわずかに目を向ける。


「雑に噛むからな」


「場を汚す」


「そういうことだ」


 タチバナが最後に言う。


「ユウ、表の死体から使える物を抜け。弾、予備マガジン、通信の類だけでいい」


「分かった」


 ユウはすぐに動いた。


 死体を漁ること自体に躊躇はない。


 下層では珍しい行為じゃないし、今回の相手はもうそういう線を越えている。


 必要な物だけを抜く。


 後は壊す。


 それで十分だ。


 床へ膝をつき、マガジンを抜く。


 弾数。


 質。


 摩耗。


 フレッシュらしい雑な扱いの跡が見える。


 やはり大した装備ではない。


 だが、数だけは揃えていた。


 背後で、奥の男が乾いた声で言う。


「お行儀がいいな」


 ユウは顔も上げずに返した。


「お前らよりはな」


 男はそれに何も返さなかった。


 建物の中には、火薬と血と、食いかけの揚げ物の匂いがまだ混ざっている。


 生きるためでも、住むためでもなく、流すためだけに使われていた場所。


 その場所は今、使い終わった道具みたいに、静かに壊される順番を待っていた。


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