明日の仕事
銀月の奥寄りの席に、タチバナとレンジが向かい合っていた。
卓の上には、畳まれた紙が一枚ある。
レンジが持ってきた情報のまとめだ。
字は雑ではない。
早く書いた割に、必要なところだけは妙に読みやすい。
レンジはいつもの軽い顔をしている。
だが、今日の笑みは少しだけ薄い。
場の空気を読んでいるというより、最初から仕事の顔をしている。
タチバナは水だけが入ったグラスへ手を伸ばした。
「例の連中、やっぱり花街側から見ても普通に邪魔です」
レンジの前置きはそれだけだった。
タチバナは黙って続きを待つ。
レンジは指先で紙の端を押さえながら続ける。
「締める話自体は前から出てました。遅かれ早かれ、誰かが片付ける流れにはなってたと思います」
「誰か、か」
「ええ」
レンジは肩を竦めた。
「表の店が自分で動く話じゃないです。もっと裏の筋ですね。北側の流れを扱ってる連中とか、あの辺の場を回してる仲介とか。ああいうのは、見た目より話が早いんで」
花街の北側。
そこへ抜ける細い流れ。
場だけ借りて横から噛む連中。
昨日と今日で拾った札と、別口から来た話が同じ線へ寄り始めている。
タチバナが聞く。
「足元は」
レンジが少しだけ笑った。
「見られてますよ、そりゃ」
軽い言い方だったが、内容は軽くない。
「こっちが探ったのは向こうにも見えてます。顔を回して、場を洗って、末端も押さえた。そこまでやっておいて“何も知りません”は通らないでしょう」
「その分」
「細かいところは出させました」
そこでレンジの目が少しだけ仕事のものになる。
「人数は四か五。全員フレッシュです。武器はSMG中心。派手な火力は無し」
「未改造か」
「ええ。でも近い距離なら十分うるさいですよ」
タチバナは短く頷いた。
フレッシュ四、五。
場を借りるには十分で、戦線を張るには薄い数だ。
主武装がSMGなら、装甲板を改造した相手へは決定打としては弱い。
だが、だから安全という話でもない。
レンジが続ける。
「場所は中継地点です。寝床でも根城でもない。荷を一時的に置いて、振り分けて、流れを切り替えるための場所ですね」
「逃げ筋は」
「表が一つ、裏が一つ。上は半端です。二階は使ってるけど、三階は死んでるらしいです」
「見張りは」
「外に一人、裏に一人。中に二、三。たぶんそのくらい」
レンジはそこで紙を少しだけ引き寄せた。
「向こうも、ここが危ないって分かってるはずです。だから人数を増やしすぎてない。増やすと逆に目立つんで」
「武器の癖は」
「近い距離では止めに来ます。けど、胴の装甲を抜くには弱い」
レンジの視線がタチバナへ向く。
それから、一度だけユウの座るであろう空席の方へ流れた。
「ユウ君も装甲板は入ってるんで、即死にはしにくいと思います」
タチバナがすぐに言う。
「即死しないと、死なないは別だ」
「それはそうです」
レンジもすぐに頷いた。
「頭、首、脇、関節、装甲の切れ目。そこを狙われれば普通に危ないですし、数を浴びれば止まる。過信はさせないでください」
「させるか」
短い返答だった。
卓の上に、少しだけ間が落ちる。
店の方では誰かが低く笑い、マスターがカウンターの奥でグラスを拭いている。
銀月は変わらない顔で回っている。
その中で、この席だけが次の仕事の輪郭を固めていた。
タチバナは紙へ目を落としたまま言う。
「二人で足りるな」
レンジがすぐに返す。
「足ります」
それで終わらず、少しだけ口元を緩めた。
「……まあ、正面から軍隊ごっこするなら別ですけど。中継地点を叩くなら十分ですよ。タチバナさんが前を割れば、ユウ君でも裏は押さえられます」
「裏口だな」
「その方が自然です」
レンジは指で建物の裏手側を示すみたいに紙を軽く叩いた。
「表はどうしても視線が集まるんで、タチバナさんが正面から入った方が向こうもそっちを見る。ユウ君は裏から。逃げ筋を切る形ですね」
「裏に二人いたら」
「一人はたぶん逃げる方へ意識を割くんで、先に動ければ取れると思います」
「取れなかったら」
「その時は表が早く終わる形でしょうね」
レンジの答えは乾いていた。
だが、雑ではない。
タチバナはそこでようやくグラスを取り、一口だけ水を飲んだ。
「目的は」
レンジがわずかに目を細める。
「花街側は、止めるだけじゃ足りないと見てます」
「見せろ、か」
「ええ。次に同じ真似をする連中が出ないように」
タチバナは短く頷いた。
「なら、中継地点ごと潰す」
それだけで十分だった。
レンジがゆっくり息を吐く。
「了解です」
その返しに軽口はない。
そこはもう仕事の範囲なのだろう。
「じゃあ、俺は後ろですね」
タチバナが視線を上げる。
「DMRを持て」
「ええ、そうだと思いました」
「撃つのは二つだ。逃げた時と、想定より重かった時だけだ」
レンジが頷く。
「あくまで保険」
「そうだ」
「ユウ君には」
「切らない」
即答だった。
レンジの口元が少しだけ動く。
「でしょうね」
面白がってはいる。
だが、異を唱える気はないらしい。
「まだ仮ですし、そこは妥当です。前に立つ二人と、後ろの保険は別の話ですから」
タチバナはそれに返さない。
だが、否定もしない。
レンジが続ける。
「位置は取れます。裏の建物の二階、半分死んでる部屋が一つあるんで、そこなら見える。風もあまり巻かない」
「出入りは」
「細い階段が一本。逃げるには向かないですけど、撃つには十分」
「顔は出すな」
「誰にです?」
「向こうにもだ」
レンジが肩を竦める。
「了解。見えない方が保険ですもんね」
その言い方は軽い。
だが、中身はまっとうだった。
しばらく、二人とも黙った。
タチバナは紙に書かれた細かい位置関係を頭へ入れている。
レンジはその沈黙を邪魔しない。
やがてタチバナが言う。
「ユウには、表の情報だけ渡す」
「十分でしょうね」
「場の詳しい線は切らん」
「その方が動きやすいと思います」
レンジは少しだけ笑った。
「変に全部見せると、逆に迷いますよ。今必要なのは、自分の役目だけ理解してることです」
その言葉に、タチバナはごく小さく頷いた。
それで話はほぼ決まった。
レンジがグラスを傾け、酒を少しだけ飲む。
それから、思い出したように言う。
「一つだけ」
「何だ」
「向こう、こっちが探ったのは分かってます。だから、“いつかは来る”前提で待ってる可能性はあります」
「想定内だ」
「ならいいです」
レンジはそこで口元を戻した。
「だからこそ、早い方がいい。向こうがもう一段厚くなる前にやるのが正解です」
タチバナは椅子から立ち上がる。
「明日だな」
「はい」
「位置を取ったら先にマスターへ落とせ」
「いつものやり方で」
「そうだ」
レンジもそこでグラスを置いた。
軽く伸びをし、それからいつもの少し抜けた笑みを戻す。
「いやあ、嫌な仕事ですね」
タチバナがそれを見下ろす。
「嫌じゃない仕事をしてる顔か」
「してませんね」
即答だった。
その返しに、タチバナはそれ以上何も足さずに背を向ける。
カウンターの奥で、マスターが一度だけ目を上げる。
タチバナはそれに短く視線だけ返した。
必要な話は済んだ。
それで十分だ。
レンジが背後から言う。
「ユウ君、たぶん明日だいぶ本番ですね」
タチバナは振り返らない。
「だからこそ、お前は後ろだ」
「分かってますって」
その返しに、タチバナは足を止めなかった。




