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銀月のロスト  作者: taka
第3章 仕事の形
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聞き取り

 連れて行ったのは銀月ではなかった。


 店へ戻してしまえば、どうしても目が増える。


 マスターは口が堅いし、銀月の空気も軽くはない。


 それでも、わざわざ店の中へ持ち込む話でもない。


 使うのは、もっと手前の場所で十分だった。


 ガレージストリートから半筋外れた、潰れた整備小屋の裏。


 表のシャッターは半分落ち、看板は剥がれ、使われなくなって長い顔をしている。


 だが、雨と風を少し避けて、人目を切って、壁を使って人を座らせるには都合がいい。


 下層にはこういう場所がいくらでもある。


 何かを隠すためじゃなく、何かを見せすぎないために使う場所だ。


 若い窓口役の男は、壁際へ座らされていた。


 完全に縛り上げてはいない。


 片腕だけを後ろへ回し、逃げようとすれば自分で自分を痛める程度に固定してある。


 煙草の男ではなかった見張り役の方は、少し離れた位置で足を崩して座らされていた。


 こっちは口数が少なそうな顔のまま黙っている。


 どちらも威勢だけは失っていない。


 だが、逃げ切れると思っている顔でもなかった。


 ユウはケースを壁際へ置き、その横へ立った。


 ここで何をするかは分かっている。


 分かっているが、自分の役目が前に出ることではないことも、もう分かっていた。


 だから口は挟まない。


 視線だけを向ける。


 タチバナは二人の前へ立ち、少しの間、何も言わなかった。


 怒鳴りもしない。


 脅しの文句もない。


 ただ立っているだけなのに、それで十分に圧がある。


 義体の腕や背丈のせいだけではない。


 相手のどこまでを見て、どこから先は切るのかが、最初から決まっている立ち方だ。


 若い男が先に口を開いた。


「……何だよ」


 強がりだった。


 喉の奥が乾いている声だ。


 目も、真正面からタチバナを見きれていない。


 タチバナは平らに言う。


「お前は末端だ」


 男の眉が跳ねる。


「全部は知らないだろう」


 言い切った上で、そこで一拍置く。


「だから、知ってる分だけ吐け」


 怒鳴り声より、そっちの方が効いたらしい。


 若い男の喉が一度だけ動く。


 見張り役の方も、そこで初めて目だけを上げた。


 タチバナは続ける。


「大元の名前を吐けとは言わん。お前が知らないなら意味がない」


 その言葉は、逃がしているように聞こえる。


 実際、その通りでもあった。


 だが、逃げ道を先に示されると、人は逆にその中で嘘をつきにくくなる。


「聞くのは細かいことだ」


 タチバナの声は低く、一定だった。


「何回目だ」


 若い男の口が少し開く。


 怒鳴られると思っていたのかもしれない。


 最初の問いがそこなのは、予想していなかったらしい。


「……二回」


 タチバナは頷きもしない。


「今日を入れてか」


「……今日で二回目だ」


「前回の窓口はお前じゃないな」


 男の目が揺れる。


 答えは分かっている問いだ。


 それでも、相手に言わせる意味がある。


「違う」


「誰だ」


「知らねえよ」


 タチバナはそこで初めて、義体側の手を男の肩へ置いた。


 力はまだ入っていない。


 ただ置いただけだ。


 だが、男の背が目に見えて固くなる。


「顔を知らないのか、名前を知らないのか。どっちだ」


「……名前は知らねえ」


「顔は」


 男が黙る。


 タチバナはそこで、肩へ置いた手をほんの少しだけ深く沈めた。


 鈍い音が、男の喉の奥で鳴る。


 悲鳴になるほどではない。


 だが、答えを飲み込むには邪魔な痛みだった。


「顔は見た」


「だったら最初からそう言え」


 若い男が歯を食いしばる。


 見栄を張る場所ではないと、ようやく身体が理解し始めたらしい。


 ユウはそのやり取りを見ながら、胸の奥で小さく息を止めた。


 殴って黙らせるのとは違う。


 痛みは入れている。


 だが、壊すためじゃない。


 答えの精度を上げるためだけに入れている。


 しかも、それを必要最小限でやっている。


 タチバナは次を聞く。


「指示を受けた場所は」


「……北寄りの路地だ」


「広いな」


「酒場の裏……」


「どの酒場だ」


「看板はない。赤いランプが一個だけ点いてる」


 タチバナの目がほんの少しだけ細くなる。


 具体へ寄った。


 それだけで、もう使える。


「そこにいつも同じ奴がいるか」


「いや……違う。今日は女だった」


「前回は」


「男」


「歳は」


「四十くらい。いや、もっと上かも……」


 タチバナはそこで、少しだけ視線を下げた。


 情報の重さを測っている時の顔だ。


「報酬はその場か」


「違う」


「どこだ」


「終わった後に、別の場所で受け取る」


「どこで」


「北門寄りの……通りの角だ」


「場所を絞れ」


 若い男が口を開く。


 その前に、タチバナが義体側の指を男の肩甲骨の縁へほんの少しだけずらした。


 今度は男がはっきり息を詰まらせる。


 声を上げる寸前で止める。


 その加減が嫌になるほど正確だった。


「……やめろ!」


「絞れ」


「細い階段のある建物だ! 上に上がるんじゃなく、下に降りるやつ!」


 タチバナはそこで力を抜いた。


 若い男の息が荒くなる。


 だが、喋れる。


 喋れる線を越えていない。


 それが大事なのだと、ユウにももう分かる。


 タチバナは少しも急がない。


「監視役とは前から組んでるのか」


 若い男が視線だけで見張り役の方を見る。


 それで十分だった。


「……今日、初めてだ」


 見張り役の方がそこで初めて舌打ちした。


 タチバナの視線がそちらへ移る。


「お前は」


 見張り役はしばらく黙ったあと、ぶっきらぼうに言った。


「三回目だ」


 若い男よりは落ち着いている。


 だが、口の硬さが本物というより、慣れているだけだと分かる。


 こっちも末端だ。


「窓口は毎回違うか」


「違う時もある」


「今日は何人いた」


「……外に二人。上に一人」


 ユウの目がわずかに動く。


 やはり二階の影は見間違いではなかった。


 タチバナは何も言わず、そのまま続ける。


「受け渡しが切れた時の指示は」


 見張り役が一瞬だけ黙る。


 そこへ、タチバナは一歩だけ寄った。


 寄っただけで、見張り役の肩が強張る。


「逃げるのか、流すのか、回収するのか。どれだ」


「……見て、無理なら散れって」


「荷は」


「拾えるなら拾う。無理なら切る」


「上の顔は見たことがあるか」


「ない」


 答えが早い。


 本当にないのだろう。


 ここで無理に大元の名前を聞き続けても、精度は落ちるだけだ。


 タチバナはそこで、問いの角度を変えた。


「指示役の喋り方は」


 若い男が少しだけ眉を寄せる。


 考えている。


 そこへ答えを急かさないのもまた技術だった。


「……上の方の言葉、混じってた」


「花街寄りか」


「たぶん」


「たぶんでいい。女は」


「笑ってた。ずっと。……でも目は笑ってなかった」


 その一言に、場の輪郭が少しだけ濃くなる。


 タチバナはそれ以上そこを追わない。


 追いすぎれば、相手は想像で埋め始める。


 そうなる前に、次へ移る。


「ケースの中身は知ってるか」


「知らねえ」


 若い男が即答する。


「開けるなって言われただけだ」


「前回もか」


「前回も」


「見張り役、お前は」


「知らん」


 タチバナはそこで、二人を見た。


 十分だ。


 そう判断した顔だった。


 大元の名前は出ていない。


 当然だ。


 だが、末端が持っている札としては、もう十分だった。


 タチバナは壁から手を離した。


 若い男が浅く息を吐く。


 助かったと思ったのかもしれない。


 だが、まだ終わっていない。


「最後だ」


 タチバナが言う。


「次に声を掛けられたら、どこへ来いと言われてる」


 若い男の目がまた揺れる。


 そこが一番残したかった札なのだろう。


 タチバナは今度は痛みを入れなかった。


 ただ、真正面から見る。


「吐け。お前らが知ってる札は、今この場で終わる。残しても次に使われるだけだ」


 その言葉で、若い男の顔から見栄が少し落ちた。


「……北の階段下だ」


「さっきの報酬受け取りと同じか」


「同じ建物の……横」


「時間は」


「三日後の夕方」


 タチバナはそこで、ようやく短く頷いた。


 それで終わりだった。


 男たちはもう何も言わない。


 言えないというより、出せる札が一度空になった顔だった。


 ユウはそこで初めて、自分がずっと息を浅くしていたことに気づく。


 ただ聞いていただけなのに、妙に身体が張っていた。


 それくらい、タチバナの聞き方には隙がなかった。


 タチバナが振り返らずに言う。


「ユウ」


「ん」


「今のが仕事だ」


 短い一言だった。


 ユウは返す言葉を少し探して、それから小さく頷く。


「……脅すだけじゃないんだな」


 タチバナはそこで初めて、少しだけこちらを見た。


「脅して終わるなら、馬鹿でも出来る」


 声は低いまま変わらない。


「吐かせる前に壊したら意味がない。知らないことを吐かせようとしても意味がない。知ってる分だけ、使える形で抜く」


 その言葉は、さっきの手つきと同じくらい無駄がなかった。


 ユウはそれを聞きながら、二人の男を見た。


 捕まえた相手は、まだ情報の形をしていない。


 形にするのも、仕事だった。


 タチバナは男たちへ向き直る。


「次に妙な気を起こすな」


 若い男が乾いた喉で笑いかけて、失敗したみたいな顔になる。


「起こすかよ……」


「ならいい」


 本当にそれで終わるつもりらしい。


 壊しもしない。


 見せしめにもしない。


 必要な分を抜いたら、それ以上は混ぜない。


 ここで縛って抱えるより、放して流れを見た方がいい。


 そういう判断なのだろう。


 タチバナが短く言う。


「歩かせる。顔は覚えた。次はないと思え」


 その言葉だけで十分だったのだろう。


 二人とも、今度は強がる気配もなかった。


 整備小屋の裏には、湿った空気と遠くの機械音だけが残っている。


 ユウはケースを持ち直し、タチバナの横へ付いた。


 タチバナは振り返らないまま歩き出す。


「戻るぞ」


 ユウは短く答えた。


「分かった」


 その声は、さっきまでより少しだけ低かった。

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