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銀月のロスト  作者: taka
第3章 仕事の形
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左足の合図

 寝床で目を覚ました時、下層はまだ夜の名残を引きずっていた。


 割れた窓の縁に、企業広告の砕けた色が薄く滲んでいる。


 ユウはしばらく天井を見ていた。


 風が通るたび、建物のどこかで小さく金属が鳴る。


 ユウは片腕を額から下ろし、ゆっくり起き上がった。


 寝る時に手放していたのは深い眠りだけで、武器ではない。


 リボルバーは毛布の内側、手を伸ばせばそのまま握れる位置にあった。


 SMGも寝返りで倒さない角度で、すぐ取れるよう寝床の脇へ置いてある。


 下層で眠る時、武器を遠ざける理由はない。


 床板へ足を下ろす。


 冷たさはない。


 だが、湿気が薄く張り付いてくる。


 壁際へ置いていた装備へ手を伸ばし、一つずつ手元へ寄せた。


 ジャケットを羽織り、肩の収まりを見る。


 SMGのスリングを整え、構えずに重さだけを確かめる。


 予備マガジンは三本。


 リボルバーは抜かずに、グリップの位置だけ触る。


 水。


 簡単な手当て。


 針金と布切れ。


 どれも昨日と大きく変わらない。


 一つずつ確認しながらも、ユウの意識は銃より足元にあった。


 左足。


 違和感があったら、そこだけを動かす。


 わざとらしく見ない。


 手を止めない。


 確かめに寄らない。


 拾ったものを、タチバナへ渡す。


 今日見るべきなのは、武器の幅じゃない。


 寄りすぎないこと。


 惜しまず切ること。


 その方だ。


 ユウは立ち上がり、何も持たない状態で一度だけ足を動かした。


 ほんの半歩。


 立ち位置を変えるだけの動き。


 大きすぎる。


 これでは目立つ。


 もう一度。


 今度は、床板の軋みを変えない程度に、重心だけをずらす。


 左足の爪先がわずかに向きを変える。


 身体は正面を向いたまま。


 視線も動かさない。


 これなら、ただ立ち直したようにしか見えない。


 ユウはその感覚を足裏に残した。


 もう一度だけ試す。


 左足。


 半歩ではない。


 動かしたと分かるほどでもない。


 けれど、見る人間が見れば分かる程度。


 タチバナなら拾う。


 そういう動きだ。


 ユウは小さく息を吐いた。


 その線引きがあるだけで、少しだけ肩の力が抜ける。


 自分が全部決める必要はない。


 その代わり、拾うところは誤魔化せない。


 入口へ張った針金を外し、廃材の隙間から外の気配を一度だけ見る。


 まだ人の流れは薄い。


 通りの向こうで、誰かが空き缶を蹴る音がした。


 飯屋の方からは、湯気と油の匂いがもう流れてきている。


 下層の朝は空では分からない。


 街が回り始める音で分かる。


 外へ出る。


 崩れた階段を下り、裏の隙間を抜ける。


 銀月へ向かう道は、もう身体が覚えていた。


 急がない。


 だが、無駄に遅れもしない。


 ジャケットの内でメモが擦れる。


 場所も時間も頭に入っている。


 今日の仕事は特別なものじゃない。


 そう見えるように作られている。


 だからこそ、気負いは邪魔だった。


 銀月の前へ着くと、タチバナはすでにいた。


 店先の灯りは落ちている。


 夜の酒場というより、無口な拠点の顔だ。


 その脇に立つタチバナも、余計な言葉を持っている顔ではない。


 ジャケットを整え、義体側の腕を一度だけ軽く曲げ、元へ戻す。


 その所作だけで、準備は済んでいると分かる。


 ユウが近づくと、タチバナは顔を上げた。


「早いな」


「遅れてないだけだ」


「そうか」


 タチバナの目が、ユウの全身を一度だけ見る。


 肩。


 腰。


 足元。


 内ポケットの張り。


 その視線は長くない。


 だが、何を見ているかは分かる。


「重くしてないな」


「今日はそれでいいって言ったのはそっちだろ」


「ちゃんと聞いてるならいい」


 それだけだった。


 褒めたわけでもない。


 だが、余計な駄目出しがないということは、少なくとも及第ではあるのだろう。


 ユウは聞いた。


「左足は」


「分かってる」


 タチバナの目が、わずかに細くなる。


「分かってる顔で寄るなよ」


「寄らない」


 それだけで、確認は済んだ。


 タチバナが店の前から離れる。


「行くぞ」


 ユウも頷いて並ぶ。


 朝の下層を歩き出す。


 店を開ける音。


 飯屋の湯気。


 壁際で夜を越した連中の気配。


 見えない頭上のどこかで回る企業広告の色が、濡れた路面を薄く撫でる。


 銀月を背にして歩きながら、ユウは左足の感覚を一度だけ意識した。


 動かす時は、迷った後じゃ遅い。


 二人はそのまま、朝の下層を抜けていった。

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