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銀月のロスト  作者: taka
第2章 拾った違和感
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15/20

別口

 レンジを見つけたのは、銀月に戻ってから少し経った後だった。


 店の奥にいるわけではない。


 かといって、入口に近い卓でだらけてもいない。


 店の空気がよく見えて、なおかつ自分は見られすぎない位置。


 そういう席に、いつの間にかいる男だった。


 グラスを片手に、椅子へ少し浅く腰掛けている。


 年はタチバナより下だが、若造というほど軽くもない。


 口元には愛想のいい笑みを浮かべていても、目の方はちゃんと起きている。


 場を楽しんでいるように見せて、場の流れは見落とさない。


 そういう男だ。


 タチバナが近づくと、レンジはグラスを揺らしながら顔を上げた。


「うわ。嫌な顔してますね」


 第一声がそれだった。


 タチバナは椅子を引きながら返す。


「お前に愛想を振る理由があるか」


「ないですね。で、その顔は仕事ですか、説教ですか」


「両方に見えるなら、お前の行いが悪い」


 レンジが肩を竦める。


「怖いなあ」


 怖がっている顔ではない。


 だが、それでいい。


 軽口を叩いても、ちゃんと話が始まる男だ。


 タチバナは向かいに座ると、ジャケットの内から畳んだ紙を取り出し、卓の上へ置いた。


 似顔絵。


 あの窓口の男の顔だ。


 レンジはそれを見た途端、笑みを少しだけ薄くした。


「……ああ」


 その反応だけで十分だった。


 完全な名前までは出なくても、何かしらの心当たりはある。


「知ってるか」


 タチバナが聞くと、レンジは紙を指先で軽く押さえながら言った。


「顔そのものを、っていうより、こういう立ち方をする連中に見覚えがあります」


「どういう立ち方だ」


「場に馴染んでないのに、場だけ使ってる顔ですよ」


 レンジは紙から目を上げた。


「北門側、特に花街寄りの流れで最近ちょいちょいあるんです。窓口が妙に浮いてるやつ。言葉は合ってる、荷もある。でも見てると、『お前そこ慣れてないだろ』って感じの」


 タチバナは黙って聞く。


 レンジはグラスへ口をつける前に、少しだけ声を落とした。


「情報屋がどう言ったかは知りませんけど、花街側から見れば単純ですよ」


「何だ」


「あれは邪魔です」


 短い言い方だった。


「邪魔?」


「客の秘密。女の動き。荷の時間。あっちは汚く見えても、流れだけは細かく締めてるんです」


 レンジはそこで、少しだけ嫌そうに笑った。


「そこへ外から雑に手ぇ突っ込まれたら、迷惑に決まってるでしょう」


 その言い方には、よく知っている人間の温度があった。


 花街の北側。


 中層接続寄り。


 さっき別口から聞いた話とも、綺麗に繋がる。


「正規の筋じゃないな」


 タチバナが言うと、レンジは頷いた。


「正規で花街に顔を出してる連中じゃないです。もっと外側。荷の流れにだけ噛んでくる。女を回す本職でもないし、店を持つ気もない」


「場を借りて、口だけ差し替えて、横から吸うタイプか」


「そうです」


 レンジは軽く笑った。


「そういうの、花街側は嫌いますよ。儲けがどうこう以前に、後が汚くなるんで」


「下層の小物か」


 レンジは首を横に振った。


「小物だけで回すには、少し綺麗すぎます。かといって企業や大きい組織ほど太くもない」


「上下どっちにも完全には属してない、中途半端な連中か」


「たぶん」


 レンジはそこで、似顔絵を軽く叩いた。


「こいつは端でしょうね。窓口に立たされる顔です。切られても痛くないし、知ってることも少ない」


 タチバナはグラスに手を付けなかった。


「花街側は動くか」


「自前で締めるか、外に流すかは五分ですね」


 そこでレンジの目が少しだけ笑う。


「でも、違う筋から“ちょっとその辺見てくれないか”って話が出てもおかしくはないです」


「出るならどこからだ」


「表に立つ店からじゃないでしょうね。もっと裏です。店の用心棒筋か、北門側の荷を扱ってる連中か、あるいはそれに近い仲介」


「お前は繋げるか」


 レンジはすぐには答えなかった。


 グラスを傾け、酒を少しだけ飲む。


 口を湿らせてから、ようやく言う。


「完全に確約はしません。でも、こっちから“花街側にとっても邪魔な流れだ”って話を振れば、食いつく口はあると思います」


「早いな」


「俺が詳しいのは、その辺だからですよ」


 悪びれた様子もなく返す。


 軽い。


 だが、中身は軽くない。


 タチバナはそこで初めてレンジを真っ直ぐ見た。


「遊びじゃないだろうな」


 レンジが片眉を上げる。


「何がです?」


「その辺の顔だ」


「ああ」


 レンジはそこで、少しだけ笑いを引いた。


「遊びで覚えた顔もあるでしょうけど、仕事で覚えた顔の方が多いですよ。じゃないと銀月でこんな話、振られませんって」


 嘘ではないだろう。


 少なくとも、今この場で使う顔ではない。


「それに」


 レンジは似顔絵を軽く叩く。


「こういうの、俺も嫌いなんです。雑に場を荒らすやつって、後が汚くなるでしょ」


 その言い方には、珍しくはっきりした棘があった。


 花街周辺の流れを知っているからこそ出る、実務側の嫌さだ。


 タチバナは短く言う。


「分かった」


 レンジはそこで少し身を乗り出す。


「ただ、一つだけ」


「何だ」


「これ、ユウ君にはまだ振らない方がいいです」


 タチバナの視線がわずかに止まる。


 レンジは続けた。


「腕の話じゃないですよ。仮の子に、花街筋まで見せるのは早い」


 その判断は、タチバナの考えとも一致していた。


 ユウにはまだ見せていない。


 見せる段階でもない。


 ファミリーの内側と、外へ伸ばした複数の口を、今まとめて見せる必要はない。


「言われなくてもそうする」


「でしょうね」


 レンジは少しだけ口元を緩めた。


「だから俺が動きます。花街寄りの口を一つ叩いてみる。向こうが乗るなら、その時点で話を持ってきます」


「顔は出すな」


「誰にです?」


「ユウにだ」


 レンジはそこで、ようやく少しだけ本気で面白そうな顔をした。


「会わせないんですか」


「まだ仮だ」


「へえ」


 その短い相槌の中に、納得と少しの茶化しが混じる。


「まあ、妥当ですね。いきなり家の奥まで見せる段階じゃない」


 タチバナはそれに返さなかった。


 レンジもそれ以上は踏み込まない。


 こういうところの線引きは、こいつもちゃんと知っている。


 しばらく二人とも黙る。


 店の中では別の卓で低い笑いが起き、カウンターの向こうでマスターがグラスを拭いている。


 銀月の夜は、変わらず静かに回っていた。


 その静けさの中で、話だけが一段深い方へ進んでいく。


 やがてレンジが言った。


「じゃあ、俺は俺の方から回します」


「雑にやるな」


「俺に言います?」


「お前だから言う」


 レンジが肩を竦める。


「信用ないなあ」


「信用してるから言ってる」


 その返しに、レンジは一瞬だけ言葉を失ったように見えた。


 だが、すぐに薄く笑う。


「……そういうこと言うから、たまに面倒なんですよ」


「面倒なら切れ」


「切れないからここにいるんでしょう」


 軽口のまま言う。


 だが、それもまた本音の一部なのだろう。


 タチバナはそこで立ち上がった。


「動きがあったら持ってこい」


「先に、ですね?」


「二度言わせるな」


 レンジがグラスを持ったまま片手を上げる。


「はいはい。分かってますよ」


 その返しに、タチバナはそれ以上何も足さずに背を向けた。


 銀月の中を歩く。


 入口へ向かう間、マスターが一度だけ目を上げた。


 問いはない。


 ただ、レンジの席の方へ流れた視線が、必要な話が済んだことだけを拾っていた。


 扉を開ける。


 外の空気は、店の中より少しだけ湿って重い。


 夜へ沈み始めた下層の匂いが、鉄と油と薄い酒の臭いを混ぜて流れてくる。


 タチバナは振り返らなかった。


 銀月の灯りを背に、下層の夜へ歩き出した。


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