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銀月のロスト  作者: taka
第17章 個人指名

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死ななかっただけ

 装甲トラックが、ロストパラダイスの裏手へ戻ってきた。


 表口のネオンは、相変わらず派手だった。


 赤と紫の光が建物の縁をなぞり、濡れた路面に滲んでいる。


 扉の向こうからは、酒と煙草と香水の混ざった匂いが漏れていた。


 だが、裏手の空気は違う。


 油。


 排気。


 湿った鉄。


 血の臭い。


 トラックが止まる前から、荷台の中では負傷した男が呻いていた。


「腕……腕が……っ」


 声は、もう怒鳴り声ではない。


 痛みと恐怖で擦れた声だった。


 後部扉のロックが外れる。


 灰狼が先に降りた。


「処置係を呼べ」


 チェインが運転席から顔を出す。


「もう呼んでる」


 後部扉が開いた瞬間、負傷した男の叫び声が外へ漏れた。


「やめろ、押さえるな! 腕、腕が――!」


 ミナトが男の肩を支えている。


 カジは顔をしかめながら、反対側の腕を掴んでいた。


 ノイは少し離れて、荷台の端に立っている。


 視線は男の腕ではなく、床へ落ちていた。


 血が、荷台の床に細く流れている。


 処置係が二人、裏口から駆けてきた。


 一人は担架を持ち、もう一人は厚い手袋と止血用具を持っている。


 慌ててはいるが、驚いてはいない。


 この場所では、こういう帰還も珍しくないのだろう。


「負傷一」


 灰狼が言った。


「右前腕。爪。汚染あり。止血済み」


 処置係の顔が少しだけ硬くなる。


「排水路ですか」


「そうだ」


「奥へ」


 短いやり取りだった。


 負傷した男は、担架に移される時にまた叫んだ。


「切るなよ! 切るな、頼む、まだ動く、まだ――!」


 指は動いていなかった。


 それでも男はそう叫んでいた。


 処置係は何も答えない。


 口に何かを噛ませ、肩を押さえ、担架を持ち上げる。


 灰狼が低く言った。


「暴れるな。暴れるほど残らん」


 その言葉に、男の目が見開かれる。


 だが、痛みがそれ以上の言葉を奪った。


 担架は裏口の奥へ運ばれていく。


 叫び声が、廊下の向こうへ消えていった。


 残った新人たちは、誰もすぐには喋らなかった。


 ネオンの光が裏手の壁を淡く染めている。


 表では、まだ酒と女と金が回っている。


 そのすぐ裏で、男が腕を失いかけている。


 ミナトが手袋についた血を見た。


 それから、小さく呟く。


「死ななかっただけ、マシだ」


 慰めではなかった。


 ただの確認だった。


 カジが顔をしかめる。


「戻れるかは別だけどな」


 ミナトは何も言わない。


 ノイは黙って、自分の手袋の指先を握った。


 コボルトの爪が安いガードを裂いた音。


 金属が割れ、肉が開いた音。


 それを思い出しているのかもしれない。


 荷台で騒いでいた連中も、今は誰も笑っていなかった。


 灰狼が振り返る。


「終わってない」


 その一言で、新人たちの背筋が伸びた。


「並べ」


 誰も反論しない。


「今日の仕事は、戻って報告するまでだ。負傷者が出ても、報告と精算は終わらせる」


 ミナトが真っ先に立ち位置を取った。


 カジがその横に並ぶ。


 ノイも、少し遅れて並ぶ。


 他の新人たちも従った。


 ユウは最後尾寄りに立った。


 ARは安全を確認し、スリングで身体へ寄せている。


 SMGも同じだ。


 マガジンの残りも確認済み。


 スマートリンクの線が、裏手の地面と並んだ新人たちの輪郭を薄く拾う。


 まだ、邪魔ではある。


 だが、戦闘中よりは落ち着いている。


 裏口から、黒いシャツの男が出てきた。


 細身の男だった。


 袖留めをした腕。


 片手に支払い端末。


 もう片方に記録端末。


 表のバーカウンターで酒を出しているところを、ユウは見たことがあった。


 だが今、その手にグラスはない。


 支払い担当。


 帳場係。


 ロストパラダイスでは、酒を出す手で報酬も処理するらしい。


 男は灰狼を見る。


「精算で?」


「そうだ。負傷一、後送済み」


「了解です」


 男は、叫び声が消えていった奥の通路を一瞥もしなかった。


 端末を開く。


「シギだ。名前を呼ぶ。確認して受け取れ。弾薬費、装備破損、処置費は別計算。文句があるなら灰狼さんへ」


 誰も文句を言わなかった。


 シギは淡々と名前を呼び始めた。


 新人たちが一人ずつ前へ出る。


 端末を合わせ、キャッシュデータを受け取る。


 確認し、下がる。


 金額は多くない。


 それでも、彼らにとっては仕事の報酬だった。


 騒いでいた男の一人は、受け取った数字を見て、何か言いかけた。


 だが、灰狼の視線に気づいて口を閉じる。


 負傷した男の叫び声が、まだ耳に残っているのだろう。


 ミナトが呼ばれる。


「ミナト」


「はい」


 ミナトは端末を出す。


 シギが処理をする。


「弾数報告」


「七発」


「確認」


 ミナトは頷いて下がった。


 次にカジ。


「カジ」


「あいよ」


「弾数」


「九」


「確認」


 カジは受け取った額を見て、小さく鼻を鳴らしただけだった。


 次にノイ。


「ノイ」


「……はい」


「弾数」


「三」


 シギの手が一瞬だけ止まる。


 それから淡々と入力した。


「確認」


 ノイは頷き、下がる。


 最後に、ユウの名前が呼ばれた。


「ユウ」


 ユウは前へ出る。


 シギの目が、一度だけ端末からユウへ移った。


「外部指名枠」


 その言葉に、新人たちの何人かがこちらを見た。


 シギは気にせず続ける。


「前払い分差し引き、残額支払い。弾数報告」


「八」


「確認」


 ユウは端末を出した。


 キャッシュデータが移る。


 表示された額は、新人たちより明らかに多かった。


 露骨に騒ぐ者はいない。


 だが、気づかない者もいない。


 ユウは金額を見た。


 確認する。


 受け取る。


 それだけだった。


 誇ることでもない。


 隠すことでもない。


 依頼に提示された分が支払われた。


 それだけだ。


 シギは淡々と記録を閉じる。


「精算完了。負傷者分は処置費確認後、別途処理」


「本人に伝えろ」


 灰狼が言う。


 シギは頷く。


「生きていれば」


 その言い方に、何人かが顔を硬くした。


 シギは表情を変えない。


「次。灰狼さん、報告書は?」


「今から出す」


「了解です」


 シギは端末を閉じると、裏口へ戻っていった。


 表では酒を出す男が、裏では血の匂いの中で報酬を払う。


 それが、ロストパラダイスだった。


 灰狼は新人たちを見回した。


「今日の結果だ」


 全員が黙る。


「コボルト六体処理。一体逃走。キャリオン六体処理。負傷一。死亡なし」


 死亡なし。


 その言葉に、何人かの肩がわずかに下がった。


 安心ではない。


 ただ、最悪ではなかったという確認だった。


 灰狼は続ける。


「弾を数えていなかった奴は、次までに直せ。撃ちすぎた奴も同じだ。前に出るなと言われて出た奴は、今日見た通りだ」


 誰も顔を上げない。


「腕一本で済むと思うな。腕一本から始まる借金もある」


 カジが目を伏せる。


 ミナトは真っ直ぐ前を見ている。


 ノイはまだ手袋の指先を押さえていた。


 灰狼の声は変わらない。


「今日の報告は上げる。使える動きも、使えない動きも、そのまま書く」


 新人たちは短く返事をした。


「解散。装備を返す奴は返せ。自前の奴は整備しろ。飲むなら勝手にしろ。だが、負傷者の腕を酒の肴にするな」


 それは注意というより、命令だった。


 誰も笑わなかった。


 新人たちが散っていく。


 ミナトはしばらくその場に残り、ユウの方を見た。


 何か言いたそうに見えたが、言わなかった。


 代わりに、短く顎を引く。


 ユウも同じように返した。


 カジはユウの横を通り過ぎる時、小さく言った。


「左、抜けてなかったな」


「抜かせてない」


「だろうな」


 それだけ言って、カジは歩いていった。


 ノイは最後に、ユウを一度見た。


 そして、また自分の手袋を見る。


「上、撃てなかった」


 小さな声だった。


 ユウは少しだけ考える。


「言った」


 ノイが顔を上げる。


「それで落ちた」


 ノイは目を瞬かせた。


 それから、小さく頷く。


「……はい」


 ノイも離れていった。


 灰狼だけが、その場に残る。


 ユウは灰狼を見る。


「報告は」


「書く」


 灰狼は短く答えた。


「お前は左を抜かせなかった。弾数も抑えた。負傷者に飛びつかなかった」


 事実だけを並べる声だった。


 褒める調子はない。


「役割は崩していない」


 ユウは黙って聞く。


 灰狼は続けた。


「報告には、そう書く」


「分かった」


「次があるかは、上が決める」


「ああ」


「ただし、今日の分は今日の分だ。次に崩せば減る」


 タチバナと似たことを言う。


 ユウは頷いた。


「分かってる」


 灰狼は少しだけ目を細める。


「ならいい」


 それで話は終わった。


 灰狼は裏口へ向かう。


 負傷者の運ばれた先へ行くのか。


 報告を書きに行くのか。


 その両方かもしれない。


 ユウは装甲トラックの横に残った。


 裏手には、まだ血の臭いが残っている。


 荷台の床に残った赤い跡を、チェインが水と薬剤で流し始めていた。


「踏むなよ」


 チェインが言う。


「混ざると落ちにくい」


 ユウは足を引いた。


「悪い」


「いいさ。今日の分はまだ少ない方だ」


 チェインは軽く言った。


 軽い声だったが、冗談ではなかった。


 ユウは一度、ロストパラダイスの表へ目を向けた。


 ネオン。


 酒。


 女。


 客の笑い声。


 そこから少し裏へ回っただけで、腕を失いかけた男が叫びながら運ばれていく。


 金は支払われる。


 報告は上がる。


 使える者と使えない者が分けられる。


 死ななかった者は運ばれ、残った者は金を受け取る。


 それが、ロストパラダイスの仕事の終わり方だった。


 ユウは報酬を確認し、ARのスリングを直した。


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